唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

依存症ー(3)

2009-09-26 21:13:20 | 依存症

「~思っているだけかもしれない」という姿勢なのですが、社会問題として捉えたときは別に問題はないということになるでしょう。いろんな依存症のかたちがあって、依存することでしか自己表現ができないという、それなくしては生きていくことができない、という問題なのです。家内いわく「それをやめろといわれたら私に死ねといってるのと同じことになる」といっていました。ではなぜこのような依存症に陥るのでしょう。その人の歩んできた環境にも左右されるのかもしれません。生い立ちにも問題が隠されていたり、また社会との関わりがうまくいかないということもあるでしょうし、人間関係もうまくいかず、閉じこもりがちになっているということもあるでしょう。このような閉塞感が依存に走らせるのではないかと、思われてなりません。たまたま私は家内との関わりの中で依存症からの開放を解く鍵をいただきましたが、それはどのようなことかといいますと、繰り返しになりますが「自分も同じである」という視線を失ってはいけないということです。「さるべき業縁の、もよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』)とは親鸞の仰せでありました。過去に於いてどのようなことがあったとしても「今」、過去のことを受け止め明日に向かって初めの一歩を踏み出していけるよう、共に歩みを進めていくことが大切なのではないでしょうか。