晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

美しく青きドナウの船旅(11)

2008-11-16 09:45:13 | 海外旅行

クレムスの街を離れるセレナーデ号。


船はデュルンシュタインへ向けて滑るように走る。
この辺りからバッハウ渓谷が始まる。


部屋で一休みしている間に天気が急回復、快晴になって来た。
1時間30分ほどでデュルンシュタインの街が見えてきた。


2時15分デュルンシュタインに到着。


船着場のすぐ前、ますますいい天気になって来た。
ここでの観光は二手に分かれる。


「シッカリ観光」コースは英国リチャード獅子心王が幽閉されていたケーリンガー城址へ。
山道を頑張って登るとそこに絶景が・・・
ブドウ畑とかわいい街、悠々と流れるドナウ川、天気も良くなり素晴らしい眺めであったそうです。



「ゆったりコース」はブドウ畑の中をミニトラムで巡ります。
日本のブドウ畑とまったく違います。
この辺りはオーストリアでも良質のワインが作られることで有名なようです。

     


ミニトラムはブドウ畑を観光、広い畑の中に数軒づつ固まって家がある。
畑の中には葡萄の房が沢山ぶら下がっている。

   
街の中のワイナリーで試飲して白ワインを買った。
日本へ帰ってから飲んだが凄く美味しかった。
今は機内に液体を持ち込めないのでその場で飲んでしまうしかない。


空が晴れてケーリンガー城址が日の光を受けてきれいに見える。
最後はトラムに乗って城門をくぐり旧市街を通って船に戻る。


夕食までの一時、部屋の下の船べりに黒鳥、白鳥が寄ってくる。


甲板に出るときれいな夕焼け、明日も快晴間違い無しだ。


夕食後8時30分から街中のワイン酒場に試飲に出かけた。
デュルンシュタイン教会の尖塔からケーリンガー城址までの山道がライトアップされている。


船から下りて坂道を10分ぐらい歩いた所にパブがあり我々総勢20余名が入れる1室がある。
他のテーブルには5~6名の地元の家族連れ一組と若いアベックがいた。
1杯目は旅行会社のおごり、2杯目以降は自腹。
中沢さんと一緒の席で白ワインを飲む、添乗員も一緒になって二人の馴れ初めから性格までいろいろ聞いた。
1時間ほど飲んで船に戻った。
空にはお月様が煌々と輝き思ったほど寒くない、写真の整理をして11時就寝。
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美しく青きドナウの船旅(12)

2008-11-16 09:44:51 | 海外旅行
11月16日(水) 晴れたり曇ったり
6時30分起床、予定通りラジオ体操、7時30分朝食。


9時デュルンシュタイン出航。
いよいよメルク(オーストリア)までの約35km、ドナウの最も美しいところ、世界遺産バッハウ渓谷をめぐる3時間のクルージングの始まりだ。



デュルンシュタインの桟橋を離れる。


ケーリンガー城址を右に見て進むと一面のブドウ畑だ。


ワインで有名なヴァイセンキュルヘンの街。


コートを着てフードを立てているが上甲板は風が強く手が冷えてくる、ST.MICHAELの塔。


冬支度の薪が積まれている。



この辺りから太陽が顔を出し晴れてきた。


シュピッツの街を右に、ヨハン教会を左に見て快晴の中を進む。


交通手段の一つ貨物を牽引した船と行き交う。


右岸には貨物列車や昨日クレムス駅で見たのと同じ列車が走っている。
これはクレムス駅の時に説明した、ウイーンフランツ・ヨーゼフ駅からドナウ川の北側を走る列車で、メルクへは直接行けない。
ウイーンから準急で約1時間10分でいま私達が向かっているメルクに行けるがこれはウイーン西駅からドナウ川と離れて南側を走る列車で、線路が違う。
特急はメルクに停車しないので途中ザンクト・ベルテンで乗り換えなければならない。


この渓谷は軍事的にも重要な拠点が多く昔から多くの民族が激しく戦って占領したり撤退したりを繰り返したそうです。
悪魔がドナウの流れを遮ろうとして失敗したと言われる浅瀬を過ぎ、シュワレンバッハ、ヴィレンドルフと進み、左手に盗賊の騎士が捕虜を谷底へ突き落としたという伝説があるアックシュタイン、このあたりは景色も天気も最高に良い。
あとはユックリ景色を見てください。




アックシュタイン城。






シェーンビューヘル城を過ぎてメルクに向かう。
途中から2階の展望室に降りたが11時30分になったので部屋へ戻った。


12時メルク到着。




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美しく青きドナウの船旅(13)

2008-11-16 09:44:33 | 海外旅行
  
昼食はカレーライス、13時20分メルクの船着場で下船、市内観光へ。

  
バスに10分余り乗ってメルク修道院に到着。
11世紀、バーベンベルク家がメルクの城をベネディクト修道院に寄進。
1682年トルコ軍の侵入により修道院は焼け落ちてしまい、1702年当時流行のバロック式で再建された。
「横に伸びた摩天楼」とも呼ばれ、バロック様式の荘厳華麗な建物としてバッハウ渓谷のシンボルにもなっている。

  
さらにハクスブルグ家の所有になり400ほどある部屋はマリア・テレージャが住居,饗宴会場などとして使用、モーツアルトの演奏会なども行われその時弾いたパイプオルガンが残っている。
広い廊下には一族の大きな肖像画が掛かっている。
大きな図書館もあり修道女達が黙読、講読で勉強し、更に自分達が手書きで作った図書が残っている。
高い壁の両側には立派な蔵書がビッシリ詰まっている。

  


回廊を通って建物の上に上がるとメルクの町並みが見下ろせる。

  
聖堂も広くて立派、昨日サンクスギビングデーの祭礼が行われたそうだ。

  
修道院の出口の門を通って石畳の道を市街地へ行く。

  
街中を散策した、静かな落ち着いた街だ。
地図を見ると近くにメルク駅があるようなのでそっちへ向かった。


少し距離があったが駅はすぐに見付かった。


メルク駅に入るとすぐに電車が入って来た。


ウイーンから鉄道と船とを利用して「バッハウ渓谷」を日帰り旅行するには「バッハウコンビチケット」がある。
これは、まずウイーン西駅からメルクへ直行し、メルクで遊覧船に乗り換え船でクレムスまでドナウ川を下る(私達の船とは逆向きになる)。
メルク~クレムス間が世界遺産”バッハウ渓谷”になる。
クレムスで再び鉄道に乗り換えウイーンフランツ・ヨーゼル駅へ戻るコースになっている。
さらにメルク修道院の入場券も付いており割安である。


子供たちが大勢乗り込んで行く。


駅から街中へ引き返す途中で修道院の建物がよく見えた。


市街地を歩いてワインを売っている店を探した。
狭い抜け道の途中にWEINの看板が見えたので入ってみた。
ここでは白ワインしか売っていない、この辺りは白ワインの有名な産地だそうだ。
地下の酒蔵に入って少し説明を聞き10.5ユーロのワインを買った。
その時説明してくれたパンフレットを欲しいといったら50セントだというのでそれも買った。
バス乗り場まで歩き4時に船に戻った。
5時にメルク港を出航、10時30分グレイン(オーストリア)入港の予定。
夕食のあと8時30分からクイズとビンゴ大会があったが風呂に入ったら眠くなったので8時30分就寝。


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美しく青きドナウの船旅(14)

2008-11-16 09:44:17 | 海外旅行

11月17日(木)曇り時々雨
6時30分起床、上甲板でラジオ体操。
船はすでにグレインを出港してリンツに向かって航行している。
朝食は和食だ、ご飯は少々柔らかいが味噌汁が美味い、お代わりをした。

  
10時からは3階の展望ラウンジで”和菓子のティータイムと船や航路の話”があるので聞きに行く。
川の高低差はスタートしたブダペストで85m、我々が下船するパッサウで210mと130mもある。
川船は底が浅いがドナウ川で一番の浅瀬では川底と10cmぐらいしかないところもあるそうだ。
ドナウ川の船は水は多くても10万リットルぐらいしか積んでいないがセレナーデ号は25万リットルも積んでいる。
他の船にはシャワーはあるが風呂(バス)は無い、セレナーデ号は風呂がついているためそれだけの水を積んでいるのだそうだ。
途中で水門(堰)を通過するので写真を撮るため甲板に出た。
水門の中に入ったので船の後側の扉が閉まり始めた。

  



後ろ側の扉は完全に閉まってしまった。



  
今度は船の前方の写真だ。
水が徐々にドックの中に入ってきた。

  
やがて船はドックの上の方まで浮き上がって来て進行方向の水位と同じ高さになった。

  
水門が開き、信号機が青になったので前方に向かって推進し始めた。反対側のドックは水は空っぽのままだ。


ドックを出て前へ進む、今まで何度か水門を通過してきたが明るい時は初めてなのでよく見えた。


リンツの町が近づいてきたようだ。


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美しく青きドナウの船旅(15)

2008-11-16 09:43:25 | 海外旅行
   

  
昼食はヴァイキング、12時30分リンツに入港。目の前の橋の上をいろんなデザインのカラフルなトラムが走っている。


キャビンのすぐ前の道路には午後から観光に行くバスがすでに停まっている。
船でリンツに入って来た時は大きな工業都市だと思ったが奥へ入ってくると田園地帯も開け鉄道も縦横に走っている。
人口18万8千人、殆どの人はこの町で働いており、よそへ働きに出て行く人は滅多にいないそうだ。
リンツと言う名前はもともとローマ人が住んでいてローマリンティアと言っていたのが詰まってリンツになったそうだ。

      
昼食後リンツ生まれのオルガン奏者ブルックナーが眠るザンクト・フローリアン修道院観光に出かける。
消防の聖人フローリアンを守護聖人とする修道院で立派な図書館もあって13万5千冊の蔵書が壁の両面にビッシリと収まっている。
天井には絵の具で描かれたトルコとの戦いに勝利を収めた場面の絵があり、下から見ると天井が丸く湾曲しているように見えるが実際は平面に描かれているそうで、「騙し絵」という技法を使って描かれているらしい。


大聖堂で3時からパイプオルガンの演奏が30分あった、聖堂の中で反響して想像以上に荘厳で大きな音であった。
ツアーのメンバーの中にパイプオルガンが弾けるという人がいて上に上がって弾いたが中々上手く引けず途中で止めてしまった。


パイプオルガンの真下にアントン・ブルックナーの棺が安置されている。
また地下の墓所には沢山の骸骨がそのまま置かれていた。


18時から船長主催のさよならパーティーだ。


今日17日はボジョレーヌーボー、赤ワインで乾杯。
早いものでこの間歓迎パーティーがあったのにもうさよならパーティーだ。


さよなら夕食会のあと3階ラウンジでお楽しみ会。
お世話になった船員の紹介、カラオケ、シャンソン、ドイツ歌曲、ダンスなどお客さんの一芸大会。
最後は添乗員による歌と踊り、この2日間寝る間を惜しんで深夜まで練習したというピーナッツの「ユーホー」女装した島崎添乗員が最高に面白かった。
明日の朝はセレナーデ号ともお別れだ、部屋に戻って荷造り開始。
ロッカーのジャケット、パンツ、箪笥のシャツ、肌着などをカバンに詰め11時過ぎ就寝。



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美しく青きドナウの船旅(16)

2008-11-16 09:43:07 | 海外旅行

11月18日(金) 曇り
6時起床、7時から上甲板でラジオ体操

  
エンゲルハーツエルを通ってパッサウに進む。

  
7時30分にスーツケースを部屋の前に出し朝食に行く。


9時前船はバッサウに到着、9時20分各グループごとに下船しバスに乗り換える。
これから約2時間バスでミュンヘンに向かう。
さすがにドイツの道路は見事だ、いまバスが走っているのは普通の道路だがこれが日本の高速道路以上に広くスムーズに走れる。
高速道路に入ってもゲートや料金所はない、高速道路の通行料は1年の初めに一定の金額を払っておけば1年中フリーパスで行けるそうだ。
鉄道料金と同じで性善説で合理的だ。
車窓から見えるのは一面に広がった大麦、小麦の畑、ジャガイモ畑もある。
高速道路から出る車は右へカーブした道路へスピンアウトして行く。
料金所がないのでスムーズに流れてゆく。
途中トイレ休憩があったが有料なのでやめた。
1時間ほど走ったあたりから周りに雪らしいものが見える。
ミュンヘン近郊ではうっすらと雪が積もっている。
来年(2006年)サッカー世界大会の開会式場になるアリアンアレーナ(建築中)のそばを通る。
建物というより大きな宇宙船のようで表面はテフロンで出来ているそうだ。
ここに6万6千人の観客が入り、駐車場も2万5千台分ある。閉会式はベルリンになる。

 
ミュンヘンの街に入ると駐車している車も走っている車も屋根に雪を載せている。
今朝4時過ぎから降りだした初雪とのこと。
ハウプスト通りにあるオペラ劇場の前で車を降り歩いて昼食に向かう。




路面電車の走るマクシミリアン通りにはティファニー、バーバリー、プラダ、ルイヴィトン、ゴールドファイル、アルマーニ、グッチ、フェラガモ、ウオルフォード、ジルサンダー、ケンゾー、エルメス、カルティエ、ボーグナー、アイグナー(馬の蹄鉄をデザインしたAのマークで有名)など有名なブティックがずらりとあり、その一角にはマックスヨーゼル広場を前にしてバイエルン州立歌劇場がある。
DAKSの立派な店もありその先に小さなミュンヘン三越がある。


その20~30m 先にヒットラーが決起した所として有名なホフブロイハウスがある。
1階に入るとステージがあってコスチュームをつけた4人の人が賑やかに演奏をしている。
2階に上がりビールとソーセージとパンの昼食を摂る、ビールはホワイトビールだ。




昼食を終わって1時15分まで30分余りの自由時間、みな一斉に買い物に走る。
バスの中でミュンヘンのお土産についてブルケンシュトックの靴、ゴルドファイルの皮製品、ダルマイヤーのチョコレートなどいろいろ聞いていたが時間も無いのでダルマイヤーの店を探すことにして地図を見ながら急ぐ。
DAKSの店の横を曲がりオペラ劇場の先で左に曲がったあたりに在る筈だが見付からない。地図を確認しているところで中澤さんに会い聞くとすぐ先だという。目の前に工事中の建物がありその陰になっていて分らなかった。
店の中は客が一杯、コーヒー、紅茶、チョコレート、からハム、ソーセージとある。
ソーセージは難波の高島屋でも売っているがチョコレートは日本で売っていないので急いで4ツ買ってバスに戻った。
そこでハタと思い出した・・・・
ウイーンで買ったお土産用のチョコレートケーキはどこへ行ったのだ!
シマッタ!
船室の冷蔵庫に大事に仕舞っておいたまま下船する時に忘れてしまった。
いまさら引き返すことは出来ない。
セレナーデ号の乗務員さんいろいろお世話になりました、皆さんで召し上がってください。
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美しく青きドナウの船旅(17)

2008-11-16 09:42:45 | 海外旅行

再びバスに戻りマリエン広場からアルテ・ピナコテーク(中世の美術館)へ行く。


ここには他にノイエ・ピナコテーク(近代の美術館)、モダン・ピナコテーク(現代の美術館)と3ツの美術館がある。






アルテ・ピナコテークは中に入ると1階の奥に左右に分かれて大きな広い階段がありこれを上って2階の展示室へ行く。
車椅子用のエレベーターもあるが許可を得なければ使用できない。
展示室はドイツの部屋、フランスの部屋、イタリアの部屋、スペインの部屋などに区切られていてミケランジェロ、ラファエロ、レオナルドダヴィンチ、ルーベンス、レンブラント(オランダ生まれ)、エルグレコ(ギリシャ人だがスペインへ夜逃げしたのでスペインの部屋に展示)など有名な画家の絵が飾られている。
こういう絵の中には作品の片隅などに描いた人の自画像がさりげなく描き込まれていたりするものもある。
宗教画、人物画が多いがスペインの部屋は海を描いた明るい風景画がありホッとする。
ここには綺麗な無料のトイレがあった。


美術館を出てバスで今夜の宿泊所マリオットホテルへ16時30分到着。
ホテルの周りも道路を除いて雪が薄く積もったままだ。
部屋までは長い廊下を歩かされた。
ここの部屋も広くベッドは超キングサイズ、バスは最初のヒルトンホテルより更に大きく湯船に完全に寝転がれる。
19時から地下の食堂で夕食。
薄暗い部屋で、ライスは硬く、サーモンの蒸し焼きは生しくて不味い。
殆どの人が食べ残していた。
最後に注文したコーヒー、紅茶もなかなか出てこなく注文がうまく通っていない。
最低のホテルであった。11時就寝。
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美しく青きドナウの船旅(18)

2008-11-16 09:42:25 | 海外旅行

11月19日(土) 曇り
5時半起床、スーツケースに最後の荷物を詰めて6時すぎに部屋の前に出した。
6時半に食堂へ行き朝食、7時に部屋に戻ったが途中廊下にスーツケースが置かれたままになっている部屋が2~3あった(約束の6時半までに荷物を部屋の外に出していなかったのだろう)。
7時30分に1階のロビーへ集合、なかなか全員が揃わない。


待っている間にホテルの外へ出てみた。
ホテルの隣にドイツの大手企業シーメンスの本社があった。
最後になっても足の不自由な箕面の一人旅のおばさんが部屋から出てこない。
添乗員が合鍵で扉を開けたがチェインが掛かっていて中へ入れない。
出発時間は過ぎており皆がイライラしだした頃オレンジ色の服を着たレスキュー隊員らしい人が4人エレベーターで上がって行った。
どうやらチェーンを切って扉を開けるらしい。
時間が無いので私達のグループの添乗員の荷物だけ残して空港へ出発した。


ミュンヘン空港からKL1792便(10時35分出発)にてアムステルダムへ。
どうやら事故になったようで添乗員は間に合わなかった。
あとは私の推測だが、最悪の場合足の不自由なおばさんがあのでかい湯船で足を滑らせて溺死でもしたのかなと心配したりした。


またスキポール空港の長い通路を通って乗り換え口へ。


出発まで1時間ほどあるのでお土産を見て歩く。
ボジョレーヌーボーが1本5.9ユーロ(日本円で830円)、買おうかと迷ったが手荷物がまた重くなるのでやめた。
日本へ帰って近くのスーパーで見たら全く同じものが980円で売られていた。
世界は狭くなったものだと感じた。


私達のパーティーはKLM867便(14時05分出発)で関空へ。
東京から来たパーティーはその少し前のKLM機で成田へ。

この旅行に出かけたのは2005年11月9日、ジャスト3年前である。
デジカメを撮りはじめて4ヶ月、カメラのこと周辺機器のこともよく分らないまま取敢えず沢山の写真を撮ってこようと思い必要品を考えた。
折角の海外旅行なんだから写真なんかよりも自分の目(頭)に綺麗な景色をに焼き付けるのが一番だという人もいたが少しづつ記憶力が衰え始めている私には無理なことだと考え写真を撮ることをメインに考えた。
今から3年前メモリーカードは128MB か256MBが殆どで1GBや2GB は高くて買えなかった。
仕方なく重いノーパソを手荷物に入れて提げて行き観光から戻ったあとカメラから取り込んでメモリーを空にして翌日に備えた。
振り返ってみて思い切り写真を撮ってきたのが今の楽しみに繋がっている。


末尾に今回の船旅のコースの地図を載せておきます。
次回は「オランダ・ベルギーの運河を巡る旅」を予定しています。


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