ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

鶴見公園「咲くやこの花館」

2009年03月11日 | 一寸そこまで
  




       ラン展をしておりました  私が形が珍しいと思ったランです 
               (大阪・咲くやこの花館 09-3-11)



日の出が早くなり、日の入りが目に見えて遅くなりました。お彼岸が近づいたのですね。今日は息子の家に行く前に、1駅乗り越して「咲くやこの花館」に行きました。うろ覚えの鶴見緑地公園です。

「花の万博」(1990年・平成2年)が行われた時は花いっぱいだった駅前も、今は形だけそのままで花はありません。「花博」が終わってから一度来たことがあるきりです。外園も風車があってその周りにチューリップがいっぱい咲いていましたから、行ったのはキット春だったのでしょう。チュウリップはまだ早いにしても日本庭園とかに行ってみたいと思っていましたが、「咲くやこの花館」だけで時間がいっぱいになりました。

館の入り口に、4月1日からは大阪市内の人以外は65歳以上でも有料になると書かれたちいさな看板がひっそりと立っておりました。私は外部の人間ですから、500円を払いましたよ。500円を払っても見ごたえはありました。

「花博」の時アチコチに小さなステージがあって、そこで色んな踊りなどが催されていました。当時、私は太極拳を習っていましたので、太極拳の舞台をお見せする為に、何度か此処に来ました。舞台のあとは自由に見物しても良かったのですが、そのときは「青いケシ」は大変な人気で「咲くやこの花館」は長蛇の列でした。

だから、「花博」が終わってから「青いケシ」を見に来たことがあります。そのときの美しさが忘れられなくて、もう一度見たいと切望しておりました。今日は残念なことに「青いケシ」は咲き切っておりました。常時見れるように栽培を心掛けていると聞いていましたが、よっぽど運が悪かったのでしょう。

館の中はお花がいっぱい、パチパチ写しておりますと約束の時間が迫っても半分も見ていません。私は外苑に出て、孫に遅れる旨電話しました。

そして、この近所から2人「唱歌の学校に通っている方があるのだわ」と何気なく考えておりました。電話を終えて館内に入ったとき、私に近づいてくる人があるのです。「どうして此処まで?」と私に声が掛かりました。マスクをしておられたので何方かわからず、私はきっと怪訝な顔をしていたと思います。

何と!何と!今私が思い描いていたご本人が目の前に立っておられるのです。こんな事ありますか? もし何秒か電話が長くとも短くともご対面は無かったのです。「まぁまぁ…」と話しが弾みます。ご主人がお待ちのようでしたので、早々にお別れしましたが、思いがけない所で思いがけない人にお会いすると言うことは、本当に心がほっこりとするものですね。良くぞ、声をかけてくださいました。

丁度「ラン展」もしていましたので、珍しい品種も見て、約2時間おりました。その代わり外園は見る事が出来ませんでした。今度は春の盛りに一日かけて見に来たいな~と思いました。

館の外に出たのは良いのですが、西も東もわかりません。さて、息子の家がどの方向にあるかがわからなくなりました。丁度、ウォーキングをしておられるご夫妻を見つけて「鶴見警察」の方向を訊ねました。丁度そちらに行かれるというので、一緒に歩かせていただきました。鶴見警察の前までご一緒してくださいましたので、其処からは迷わずに行くことが出来ました。

思いがけない人にお会いしたり、ご親切に道案内していただいたり、なんとも嬉しい一日でした。
                               (997回)

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総理の外遊は金食い虫

2009年03月10日 | ネットニュースから

  ハボタン 花芯が上に伸びて花の終わりを告げています (09-3-10)

      4ヶ月遅れで蒔いた種も 花盛りを迎えました (09-2-26)

 ハボタンの形になるかと心配した苗も やっと色づき始めた頃 (09-2-10)


硬くなった筋肉を解す為に「ストレッチ教室」に間に合うように行きました。早めに家は出たのですが、今まで無かった花がアチコチで咲き始めています。あっちに寄り、こっちに寄りと道草を食うものですから、ギリギリに着きました。これからは道中が楽しみになりました。今年はチューリップを植えている家が少ない感じがするのですが…。


何だか近頃は驚くような話が多いのですが、今日も又驚きました。総理が外遊(これ言葉はおかしいですね。外国に遊びに行くわけではないのでしょう)するのにそんなにお金が掛かるのですか?

麻生総理の外遊5回で6億5800万円掛かったんですって。一番掛かったのは去年11月ペルーで開かれた「アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の出席に2億2200万円だそうです。何日間行かれましたっけ?

5回の同行した政府関係者の数は述べにして370人です。と言う事は一回に同行する人数は7~80人って事になりますね。どうしてそんなにぞろぞろ付いていくのです。仕事のランクごとの係りの顔合わせですか? まさかね~?そんなのはテレビ電話で間に合いません?

6億5800万円から2億2200万円引くと、差し引き4億3600万円。これを残り4回で割ると、一回が約1億9000万円になります。一回に80人随行したとして、1人約240万円、70人随行とすると270万円となります。

計算の出来ている5回の後にも3回外遊をしておられます。その費用は未清算だそうですが、8回の同行した総数は511人だそうです。

下調べはちゃんとして行かれるのでしょうから、10人も付けば良いのではないかと思うのですが、政府専用機が乗れるだけ乗せて行きましたか?何人乗れるのでしょうか?

記者達は別便ですか? もし同道するとすれば、費用は新聞社が持ちますか?政府専用機とは税金の飛行機でしょう? 全て税金ですよね。 無駄使いの様な気がしますが…

未清算の3回も、予測計算すると少なくとも4億位でしょうか? 8回の外遊に10億以上のお金を掛ける必要がありますか? 

よその国は首相外遊にどのくらいの費用を使っているのでしょうね。経済大国日本の見栄でしょうか? いいホテルに泊まりいい食事をし、酔っ払って、会見に出て恥を曝す、こんな外交で良いのですか?

取り立てて新聞が書くという事は、もしかして今までの総理の外遊とは桁外れの出費でしょうか? 100年に一度の経済不況といわれている今、こんな豪遊が許されていいのでしょうか? 今はネットニュースですから、詳しいことはわかりません。しかし尋常ではなさそうですね。明日の朝刊を待ちましょう

                               (996回)
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尼崎を宜しく!

2009年03月09日 | 気にかかる


        綿の花    こんなに奇麗だとは思いませんでした 
          花色は白もあります (08-7-16 ウッディ)


     花後の塊が 再び開くと「綿」が出てきました (08-7-30 ウッディ)

     花材として使われた一例 (07-11-21 インド家庭料理教室)


今月の20日から、神戸三宮から近鉄奈良まで、直通で90分で阪神電車で結ばれます。三宮→近鉄奈良940円、尼崎からは860円だそうです。阪神電車が近鉄に乗り入れるための線路が出来上がって、昨日の8日初試乗会を開いたそうです。招かれたのは約50人、その中には、勿論我らの尼崎・白井市長も居られました。尼崎駅もキー・ステイションの一つですからね。

落語家の桂米團治さんも居られました。お父さんの人間国宝桂米朝さんが尼崎の住人だったから高校までは尼崎の公立を出ておられるのですよ。彼は今も尼崎の住人かな~? そこの所は未確認。

2・3年前の白井市長の後援会の総会に、ゲストとして来られて、市長と対談されました。面白くて、えらく盛り上がった記憶があります。

その為でしょうか、有名人がお二人だけだったからでしょうか、写真は、日経も産経も(朝日は止めて2・3年たちますが、未だに「又お願いできませんか」と来ます。何しろ、黙って我慢して50年近く取っていたんですから…)お二人のツーショットでしたが、日経は市長をそのまま美人に撮ってくれているのですが、写真が小さい、産経は写真は大きいのですが、シャッターチャンスが悪くて、気に入りません。本当に写真って難しいです。それも人間は難しい。でもプロなんだからさ~、もう少し良い顔を撮って上げてよね!

又脱線しました。車両は相互直通運転用に阪神電車が開発した「1000系車両」6両編成だったそうです。西九条駅からドーム前駅までの試乗だったのですが、ドーム駅は地下30mにあるそうですね。この間開通した中之島線も地下深くに駅がありましたし、足腰丈夫にしておかないと乗り降りに苦労することになりそうです。

神戸・奈良を直接結ぶ、この阪神線もJR線も全て夫々の尼崎駅を通るのですが、通過点になるような気がするんですよ。JR尼崎の駅前には、去年の11月に西宮にオープンした「西宮ガーデンズ」の様な施設が出来るんですよ。

わが尼崎市はまだまだスマートさには欠けますのでね、どんな施設が出来るのか、一寸ドキドキしているんです。主人と二人「野暮ったいのが出来るんちゃうかな~」って心配もしてるんです。でもね泥臭さからは脱皮しつつあると思うんですよ。町全体の雰囲気はふんわりと暖かいと思うんです。秋にオープンの予定だそうですから、出来ましたらショッピングに映画にと一寸途中下車してみてくださいね。
                               (995回)


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定額給付金

2009年03月08日 | 気にかかる


          紙粘土だと思うのです 上が壁掛け 下が置き物  
  この穴は?ドライフラワーでも差します? (インド家庭料理教室 09-2-15)


   これも紙粘土のブローチです  30年ぐらい前に私が作ったものです  
         変色もありません お気に入りで時々身につけます
      これが進化して上の壁掛けや置物になったと思うのですが…


今朝6時ごろ、又地震がありました。前回の時よりゆるく短かったです。寝ていた主人は知らなかったそうです。でもこういう様に時をおかずに地震を感じるのは余り良い気持ちではありません。

春を感じると、肩まで伸びた髪の毛が煩わしくて切りに行きました。さっぱり切って一足早い春がきた気持ちになりました。

「焼き鳥いこか?」お昼が焼き飯だったので、夜はさっぱりとしたものが食べたいから「焼き鳥」は嫌だな~と思った。「そんならとおるちゃんとこいこか?」と言う事になり、三宮に出ました。

一昨年ぐらいまでは三宮から北野町まで歩いていたのですが、近頃はバス一駅を乗ります。お寿司は食べたいのですが、だんだん「神戸まで遠いな~」と思うようになってきました。

少し離れているけれど、バスで行ける範囲の市内にお店は見つけてあります。でも主人がとおるちゃんと話すのも料理の内と思っているので、中々切り替えられないで居ます。

やっぱりお店は大将との相性もありますから、一度行ってみたほうが良いなと言う気もしています。「定額給付金」は地元に落とした方が良いんですものね~。

「定額給付金」予想通り大変な事になて居るようですね。1000万円配るのに650万円の経費が掛かった村があるそうです。この650万円は市町村の負担でしょう? それでなくとも財政難に喘いでいる市町村は如何するのですか? 

尼崎の白井市長は、「子供達に負の財産(借金)を残さない」と赤字解消に必死に努力しておられるのに、どの位掛かるか知りませんが、この費用は又赤字を増やすことになるのではないですか? ほんとにやってられないね~って感じです。

尼崎は如何なんでしょう? 何しろ46万人も居ますからね。手続きも大変で、支給は遅いだろうと思っていますが、何も気にしない人は「いつくれるの?」って市役所に電話しているのではないでしょうか? 人が貰えば私も早くと思うのは人情ですけどね、余計な電話に人手を取られて、通常の業務に差しさわりが出ないかと心配しています。

この手続きに掛かる費用ですが、私はこんなに多額の費用が掛かるとは思いませんでしたよ。元を正せば、公明党の言い出したことでしょう? それを受けて、同意して、踏み切ったのは麻生総理なんですけど、公明党も麻生総理もこんなに手続きに費用が掛かるとは予想していなかったのではないですか?

「棚からぼたもち」「降って沸いたような話し」で、下さると言うのですから、ありがたく頂いて、貯金はしないで、なるべく地元にお金が落ちるようにするつもりですけどね。このお金、何処から出るの、資金源はどこ? 結局煎じ詰めれば「自分達の税金」ですよね。そのうち増税だ!消費税の値上げだ!って貰った分を加算した、必要以上に取り立てられるのではないかと心配です。

そう考えると長い目で見れば貰った人は特別徳ではないような気がします。では、「定額給付金」のばら蒔きで本当に得する人はだれですか? 私知りたいよ。
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美しい日本の旗は白地に赤く

2009年03月07日 | 新聞から

        さんしゅゆ が咲き始めました (尼崎・大井戸公園 09-3-7)

    蕾が膨らむ頃    赤い実は地上に落ちて (大井戸公園 09-2-20)

黄色い花からは 想像できないような赤い実がつきます (大井戸公園 09-1-8)

秋になればサクランボを細長くしたような実がつきます (大井戸公園 08-10-30)


我庭にも春の気配が漂ってきました。「レンギョウの黄色」が色付き始めました。レンギョウも黄色い花の後に葉っぱが出てきます。春一番に咲く花、春を告げる花です。

先日こんな記事が載っていました。
「薄汚れた外務省の公館の国旗」

『先日、東京都港区の外務省飯倉公館の前を車で通ったとき見たのですが、掲揚されている国旗が汚れているのが大変気になりました。

白地が汚れて灰色になってしまっているのです。運転していた同僚は「ぞうきんのようだ」と言っていました。 … 中略 …

わが国を代表して外国政府と渡り合う外務省の施設に掲げられている国旗が汚れているのは「国歌の品格」にかかわります。

予備の旗もあるでしょうから、汚れが目立つ前に取り替えてクリーニングに出していただきたいと思います。

年末に出かけた銀座では、通りの両側の街灯に何十枚もの日の丸がはためいていました。こちらの国旗の地は真っ白でした。「美しい日本の旗」はやはり「白地に赤く」でなくてはなりません』

そうなんですか。私の周りには公舎と言うものが見当たりませんので、考えても見ない事でした。やはり「国歌」「国旗」を敬うと言う教育をされていないからではないかと思うのですが。「国旗」が「日本国」を表しているものであると言う認識が無いからだと思います。

今夜の「侍日本」と「韓国」の試合の前に、国歌の演奏がありました。「君が代」の演奏と選手達の顔が大写しになりました。それを見た主人が「何でみんな口を摘むんでるんや?」「国歌、国旗を敬うという事を教えられていない世代やからでしょう」と私。

韓国の国歌の時は韓国の選手は、帽子を胸に当てて「国歌を敬う」姿勢を示しました。「あれぐらいせなあかんよ」と主人。私はこの形は西洋人の真似をしている様であまり好きではありません。しかし何らかの形で「国歌」「国旗」に対する敬いの気持ちは表したほうが良いと思います。直立不動の形だけでも良い…。

遅まきながら「国歌」「国旗」を学校の式典で使うことが求められる世になりました。私達は戦前の教育ですから「日の丸」「君が代」を何の抵抗もなく「国旗」「国歌」と認め、誇りにさえ思っています。どこが「戦争」を思い出し「戦争に駆り立てる」と言われるのか解りません。

「国歌」「国旗」を敬う気持ちが浸透するには又何十年と言う歳月が掛かると思います。でも日本国民が「日の丸」「君が代」を敬い、大切なものであると思う気持ちを持つ日も近いと信じて止みません。
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思い出話しは供養よね

2009年03月06日 | 今日この頃


      も~う春ですね! 今一番多いのはパンジー・ビオラでしょうか 
     ハボタンもストックも負けずに咲いています (西宮の公園 09-2-27)



今日は月参りの日でした。住職さんが来られました。お母様が亡くなられたことのお悔やみを申しました。人を見送るのはこんなに大変だとは思わなかったという事です。仕事柄「お葬式」には慣れているのですが、自分宅は初めてなので、パニくってしまったそうです。

1人で全てをこなしておられた方の死ですから、全ての引継ぎがまだ終わっていないそうです。人の死後、こんなに色々手続きをしなければならないとは思いもしなかったそうです。

叔母達が、義理で来る人も多いだろうから公にするな、寺の前に告辞も書くな、と言われたそうです。正月であると言う気兼ねもありましたが、でも今から思えば、せめて、お墓のある家、月参りをしている家、毎月寺にお参りにこられる家にはお知らせするべきだったと思っていると言われました。数えてみれば4百軒はくだらないそうで、結局は電話もし切れなかっただろうという事でした。

私宅は月参りもしていただいているし、お墓もありますし、知らせていただければ、義理ではなくお正月でもお参りさせていただいたと思います。

6年前に肝臓がんの手術をして、薬で持っておられたそうです。でも去年の11月の末には(私が最後と知らないでお会いして間もなく)薬も利かなくなったのでしょう、お医者さんから「治療は止めます。好きなものを飲んで食べて、旅行でも良い、好きなことをさせてあげてください」と言われたそうです。

「どこか行きたい所があるか?」と聞きますと「イタリアに行きたい」と言うので「一週間イタリア旅行をして、せめてもの親孝行をしました」と言われました。

息子さんとの旅は「嬉しかったでしょうね。楽しかったでしょうね」と彼女の喜びを感じます。でもそれから1ヶ月もしない間に、旅の余韻を楽しむ間もなく、あの世に旅立ってしまうなんて、明日の命はわからないとはこのことかと思いました。

22日に春のお彼岸の施餓鬼があります。「今度行ってももうお母さんにはおあいできないのね~」と思わず言ってしまいました。もう笑顔を見る事は出来ないんだわ。でも習慣になっているから、無意識の内に彼女の姿を求めるかもしれない。そんな気がしています。


昼から唱歌の学校に行きました。先日のコンサートのDVDを見せていただきました。画面が大きいので自分だという事も良く解りました。迫力がありましたね。やっぱり数ですね。上手に聞こえましたね。自画自賛です。良い思い出です。

良い話しがあったんですよ。長い方の歌「この街で」の間奏部分にハ-モニカ演奏が入ることになったのですよ。このクラスにはハーモニカクラブの方が5人も居られるのですものね。楽しみになってきましたね。

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ウイーン静物画の秘密展

2009年03月05日 | 一寸そこまで
  
     招待入場券  有名なベラスケスの 「マルガリータ王女」(3歳)
           この絵が初来日とはしりませんでした


        私の買った絵葉書の一枚 「巻貝と二枚貝のある静物」
         旅したいろんな国から珍しい貝を持ち帰ったそうです



今日は啓蟄。本当に虫達が土の中から這い出してきそうな暖かい一日でした。暖かさに誘われて、私達も立花から這い出して神戸に行って来ました。本当は一昨日行く予定だったのですが、あまりに暗く冷たい日だったので、日延べして今日行きました。帰るころには冬のコートでは汗ばむほどのお天気でした。

神戸から大阪の間で、灘駅と甲子園駅が古い駅舎でした。その二つが今工事中です。灘駅は今の駅の少し西寄りに屋上駅を建設中です。大きな駅舎になりそうです。駅から兵庫県立美術館までの間の道路にお花が無いのが寂しいですね。樹も数本ですし、美術館にも花の気が在りません。これは一寸寂しいですね。「予算がないのかな~」と話したのですが、その点尼崎は緑と花がいっぱいの町ですよ。

ウイーン美術史美術館所蔵の「静物画」だったのですが、「静物画」って言葉久し振りだな~と思ったんですよ。学校では「静物画」が主でしたよね。好きだったのですが、下手な私は上手な友人を見ると魔法の手のように感じましたね。

写真も何も無かった時代、今目の前にあるものを永遠に残したいと言う気持ちから始まり、その思いが「静物画」を広めました。「静物画」は実物が目の前にあるように描かれたので、トロンプルイエ(目を騙すという意味)と呼ばれました。

これら全ての絵は当然「キャンヴァス」に描かれているものと思っていましたが、始は木(オーク、楓、マホガニー)の上に描かれていました。

それから画家と言う職業が世襲制だとは知りませんでした。画家は弟子を持ち、同じ絵を(模写?)描かせたそうですから、本人の絵かどうか解らないこともあるそうです。

招待券を頂きますので「音声解説」を借りることにしています。その解説が成される絵を重点的に見るのですが、それでも疲れます。途中で一回は休憩を入れます。休憩のベンチは、大方が絵から離れた所にありますが、絵のある部屋にも置いていただけるとありがたいのですが…。

予定では神戸・三宮に出て昼食を摂る予定でしたが、何しろ疲れているし、お腹も空いているので、ここで食べることにしました。海に向かってオープンの全面ガラス窓があるお店です。主人はサンドイッチとホット私はカレーを頼みました。

   こんな横長のお皿に入ったカレーは初めてなので撮ってみました

1cm角ぐらいのお肉が3~4個入っていて、800円は高いな~。「塚口の店と如何や?」と主人。あちらは900円にお釣が来るのに、3センチ角のお肉がゴロゴロ入っているし、お米もいいのを使っているし、お味も比べ物にならないくらい美味しい。カレーも尼崎・塚口に軍配をあげるわ。

尼崎は良い所という事で今日はお別れ…


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竹島はどうなるの?

2009年03月04日 | 気にかかる

        白もくれん 日向の花はもうほころびていました


    影の蕾はまだ固いです  影絵の様なこの枝のシルエットが好きです


ジムのストレッチで硬くなった、筋肉を伸ばさなければと思いながら、アレから一度も行っていません。8時半に家を出たのですが、図書館に寄ったので間に合いませんでした。読書によって頭は硬く無いと思っているのですが、全身の筋肉はこのままでは駄目ですね。我が身の調節は我意志でしなければね~、誰に頼るわけにも行かないことです。…と自分に言い聞かせているのですが…。根っからの運動好きでないもので…。

フラの時間には間に合うように行きました。大方がバウスカートになって、教室は華やかになりました。私は相変わらず、少数派のパンツです。早いもので4月から3年目に入ります。皆さんフラの曲をつかめるようになりました。上手とは言いがたいのですが、フラのリズムを身体が覚えたようです。皆さん熱心ですが、よく休む私はドキドキしながら必死についていきます。



この間から再々「竹島」問題が紙上に上っております。竹島の北側に鬱陵島と言う島があるそうです。

『江戸時代の立て札(鬱陵島へ「渡航禁止」)競売に』『竹島と曲解の恐れ、韓国側の落札懸念』

『江戸時代に「竹島」と呼ばれた韓国領の鬱陵島について、「朝鮮国に属しており、渡航を禁じる」との内容が書かれた江戸時代の立て札が、京都市内で3月に開かれるオークションの出品されることが26日わかった。鬱陵島は現在の竹島(韓国名・独島)とは異なるが、立て札の記述は韓国側が竹島を自国領と主張する際にたびたび引用されているという。立て札が韓国側に渡る可能性もあり、竹島問題と向き合う島根県関係者は成り行きを懸念している』

東日本在住の所有者が出品し、最低落札額は120万円。書かれた内容は長くなるのでここでは省くが、『島根県の竹島問題研究顧問の杉原隆さんは「韓国側が『竹島』と記述された鬱陵島の資料を買い集めていると言う情報もある。史実は変わらないが、今回の立て札も韓国側に渡れば自分達の都合の良い資料として使われるだろう」と指摘するが、島根県総務課は「財政状況が厳しいので落札は難しい。韓国側に値段を吊り上げられると太刀打ちできない」としており、行方を不安視している』

島根県選出の国会議員は如何思っているのだろう。竹島は如何でもいいと思っているのだろうか? 島根県が制定した「竹島の日」松江市で開かれた記念式典に、県が毎年求めているにも関わらず、今年も政府関係者の出席はゼロだった。同日、市内の別の会場で開かれた、竹島が日本領であることを否定する本の出版記念集会のほうが、盛況だったそうだ。

これは如何解釈すればいいのですか? 私には理解できないのです。政府関係者とは大臣という事ですか? 島根県選出の議員も含まれますか? 何故、国境を守る会に国が力を貸さないのですか? 諦めて、五月蝿いから韓国にくれてやろうと言うことですか? 誰でも競売に賭ける限り、金額の多いほうが良いに決まっていますが、その所有者は日本人ですか? 日本人なら何故今のこの時期に競売にかけようとするのだろう? 何か魂胆あり? それとも、所有者も「竹島は韓国のもの」と解釈しているのだろうか?

これは島根県だけの問題ではない、私達国民が考えなければならない問題です。でも正直言って、私は何も知らないのです。知らないから力になれないのです。新聞でどんどん取り上げて、私達に知らせて下さい。3月15日のオークションの結果を待つことしか出来ないのです。それまでに何か手を打ってもらえばもっと嬉しいのですが…

私は「対馬」について何度もブログに書きました。こちらは現在完全に日本のものだとわかっているから、韓国に買い占められないように、乗っ取られないようにと願っているからです。やっと国会議員が党派を超えて「対馬問題」に乗り出してきました。如何かどうかもっともっとスピードを上げてください。そして途中経過を私達に知らせてください。それが国民を立ち上がらせる唯一の道だと思うからです。
                               (990回)


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決別の森

2009年03月03日 | 読みました

            木製のおひなさま (ウッディのフロント)
    
      トールペイントの壁掛けおひなさま (インド家庭料理教室)
    
        ちぎりえ 「灯かりをつけましょ…」って歌ってる? 
              (唱歌の学校玄関 09-2-20)



雛祭りの日ですね。親子何代もの雛を飾っているお家もあるのでしょうか。今年は、お雛様を見に行く予定に、風邪を引いてしまって行けませんでした。

今日の写真のお雛様は、どちらも関東風ですね。昭和天皇がご成婚後、外国風に皇后様の右手に立たれてから、お内裏様とお雛様の立ち位置も、それに習ったと言われていますね。

私のお雛様も、当然向かって左に(京風)いらしたのでしょうね。覚えていないのです。覚えているのは小さなお道具類ばかりです。一番下の段にありましたし、触っても叱られなかったからでしょうか。

雛壇は西洋には無い飾り方でしょうから、外国の人はどんな感想を持つのでしょうか? 聞いてみたいですね。

東洋と言っても、中国や韓国にはありませんよね? 日本独自のものなのでしょうか…。

5月人形も、鯉のぼりも皆みんな日本独特なんでしょうか? 何と感性豊な国民なんでしょう、と言うか子供を大切にする国だったのですね。「だった」って過去形にしたくなる今の日本です。 寂しいですね。


            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

          決別の森       末浦 広海

第54回江戸川乱歩賞 受賞作品です。我兵庫県生まれの方で、江戸川乱歩賞に挑戦し続けて7回目で今年受賞されたそうです。諦めずに良く頑張られたと思います。

推理小説も随分変わってきましたね。トリックとかおどろおどろしい仕掛けなんて無くて、近年の推理小説は自然の生活の中から生み出されてくるのですね。

この小説の中には自衛隊の訓練の描写が少し出てきますね。主役が元自衛隊のパイロットで現在はヘリコプターの操縦士と言う設定ですからね。

北海道の知床が世界遺産に登録されてから、観光客が増え、自然が破壊されるのを阻止し、元の人間の入り込まない自然に戻したいという事が、この小説の犯罪の元になっているのです。

本文にこんな言葉がありました。「…知床なんて、ここ10年で見る影もなくなってますから。特に世界遺産に登録されてからは、シャトルバスなんかも運行するようになったでしょう。土地は踏み固められて植物も生育しなくなっている。それに野生動物に平気で近づき、餌を与えるような人たちばかり…」

20年ほど前主人が退職して、次に転職する間に1ヶ月の北海道旅行をマイカーでしたときに、知床まで行きましたが、ほんの入り口で通行止めでした。半島を見るのは海から船で見るだけでした。そんなに変わってしまっているのですね。

同じことが屋久島にも言えますね。私が始めて行った40年前は信号機も無い島でした。鹿児島から船で4時間掛かったでしょうか、今は高速艇「トッピー」もあり、2時間も掛からないです。

17年前に行った時は信号機が2つ付きましたが、まだまだ田舎でしたし、縄文杉に会いに行く人もそんなに多くはありませんでした。

所が5年前に行った時は長田浜の亀を見に行ったのですが、夏休みでもあり縄文杉を目指す若者がいっぱいでした。歩くことが苦手な孫達と一緒でしたし、紀元杉は側まで自動車でいけるので行っただけです。杉の周りは歩道が組まれていて、木に触れることは出来ません。

屋久猿も餌をやる人があるのでしょう、自動車の中のバナナが見えたらしくて、自動車によじ登ってきましたよ。ここも知床と同じ現象ではないでしょうか。

話しがそれましたが、自然遺産は世界遺産となった時点で人間を締め出さなければ、体形は崩れると言うことを教えられました。

7月22日屋久島では、天気が良ければ4分間の皆既日食のドラマが見れるそうですよ。もう一度行きたい、屋久島へ! 
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本と私

2009年03月02日 | 気にかかる



        クリスマスローズ (西宮の公園 09-2-27)
    下を向いて 地面近くに咲ているので写真が撮りにくいんです
        新しい品種は前を向いて咲くそうですが…



昨日から「お水取り」という事で、寒さがぶり返してきました。背中がぞくぞくするので又風邪薬を飲み始めました。

天井近くに棚を作ってもらって、文庫本がづら~っと並んでいるのです。若い頃は目が良いですから、文庫本で十分だったんです。乗り物に乗るときは本を読む、これ当然のことでした。今はほとんどがハードカバーですし、目が悪くなっていますので、乗り物で読む事はめったありません。

私の若い時代は、今のように沢山の作家は居ませんでしたから、文庫本はいわゆる名作物が大半でした。お給料から、1冊1冊買ったものですから、愛おしくて処分できないのです。ハードカバーは「結婚祝いに何が良い?」と聞かれれば、友達の時は「本を頂戴」と貰ったので、これも捨てられません。

山岡荘八の「徳川家康」26巻(昭和40年~41年)は、出版されるのを待ちかねて、1冊1冊買ったものです。むさぼるように読んだと言う想い出があります。

今日、手にとってみましたら、全て第1版でした。そしてそこには作家の印鑑が押してある紙(印税の為でしたっけ?)が張られていました。「そうだ昔はこうだった」と懐かしく思い出しました。

読書会でも毎月1冊買っていましたが、これは自分の好きでないのもあったので処分したのもあります。読書会の先生が「本は自分で買って読むものだ」と言われていましたので、服は買わなくても本は買うと言う私でした。

震災で散乱した本を見て思ったのです。置いておきさえすれば又、子や孫が読むだろうと、惜しげもなく本代を使っていたのは間違いだと気が付いたのです。今のように作家の数が増えれば尚更です。男と女の違い、好きな作家の違い、私が大好きでも、子や孫は好むとは限らないのです。それに気づいた時から、よっぽどのことが無い限り本を買うのを止めました。図書館で借りる事にしたのです。

それでも昔買った本が壁面を占めています。私にはどうしても処分できないのです。何の価値も無い本なのです。でも背表紙を眺めていますと、それを買った時の情景が浮かんできたりして想い出に浸ったりします。この本は息子達にとって価値の無いものだと思います。だから全ての処分は彼らに任せることにして、時々私も処分していきましょう。

特別な価値の無い私の本でさえ、愛おしいのです。

昨日の児童文学の寄贈者の方のお気持ちも解らないではないのです。でも自分の本を大切にしてもらう為には、歩み寄りが必要ではないのでしょうか、「希少価値だから、特別だろう…」はご自身で管理なさるなら良いですよ。でも府民の税金で管理してもらうとなれば、おのずと限界はあると思います。

寄贈された書籍が「児童文学者」に千金の価値であっても、その本は考古学者には如何でしょうか? 彼らには又彼らの大切な書物があるのではないですか。

橋下知事は「学者と政治家の違い」と言われましたが、学者もその分野で、そのものに対する価値観の違いはあるのではないですか?

問題は府民税の使い道ですよね。どんなに貴重な書籍(館長は文化財としてと言っていましたね)でも、違った分野に取っては無価値と言う事もあるでしょう。だから「児童文学」だけに、それも広く府民に役立つのではなく、研究者の為だけにとなれば、贅沢はいえないのではないでしょうか。


「国会図書館も欲しがっている」と言いますが、国会図書館には世界中のあらゆる分野のあらゆる本が集められていると聞いています。だから欲しいのは、今回問題の寄贈本のほんの一部、全てではないのではないでしょうか?

いろんなことを総合してみれば、居丈高にわが意だけを正当化するのではなく、今一度冷静に考えて、良く話し合われて、歩み寄って円満な解決がなされるようにと、本大好きな私は考えています。
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