ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 4

2009年03月29日 | 思い出話
平成13年11月18日   柳水庵   (3泊目)

途中で追い越した男性は植木貴久さん(彼は息子世代の方です。今も年賀の友としてメールを頂いている。今は東京勤務で親子離れ離れの生活だそうです)といい名古屋の人。

柳水庵は一日3人しか泊めないはずが、私の電話を受けたご主人が私を1人遍路と間違われて(申し込みが菅野さんの後だったからでしょうか)植木さんを受け入れられたらしい。だから当夜は、菅野さんと私、植木さんと主人と言うように泊まることになりました。

柳水庵に着くと、菅野さんはとっくに着いておられ、洗濯もされ、ぬくぬくと半纏を羽織って出迎えてくださいました。植木さんは私達より遅れて到着、よっぽど喉の乾きが堪えたのでしょう。

まずはお風呂を頂くことになった。五右衛門風呂との久し振りの対面である。ただ中央の板は固定されていたので、以前の経験のように板の中心に身体を置いてバランスをとらないと廻りの鉄に触れて熱さに飛び上がるという事は無かった。

入浴中雨音がしてきた。母屋とこの風呂場までは離れている。折角気持ちよくなったのに又ぬれるのか、でも真っ暗な道を走ることも出来ないし、観念して戸をあけて吃驚、そこには傘を差して私を待っていてくださった宿のご主人の姿があった。何とありがたいことか。これも遍路者への心よりのお接待と思いありがたく頂いた。

女主人は話好きな方で、私達4人と話しに花が咲く。お手伝いの方が、食器を提げても良いかと言ってこられた。それからも延々とお話しは続いた。お接待として、ホカロン、ティッシュ、アメなどを頂きました。私達には始めての「お接待」である。

菅野さんは留守宅よりお母様が怪我をされたと言う電話があり、帰られることになった。始は「弟もたいしたことは無いといっているし…」と帰るべきか続けるべきか迷っておられた。「如何思いますか?」と聞かれたので私は「このまま続けて楽しむことが出来ますか?」と答えた。お母さんは菅野さんが遍路に出ることは反対しておられると言う。娘がいざと言う時傍に居ないと心細いからだそうだ。だからこの度も内緒で来ているという。

翌朝早くのタクシーを予約されて、一番に宿を後にされた。予定では「鯖太子」まで行かれる予定だったそうだ。此処、柳水庵は歩き遍路のみを泊めておられるそうで、菅野さんは、「事情が事情なので帰りますが、今度来る時は此処まで車で来ますが、泊めていただけますね」と念を押し、了解を得ておられた。

二番手は私達。植木さんは次の宿が植木旅館(柳水庵の次の宿が植木旅館の時は、サービスで荷物を運んでくれる契約だそうな)なので荷物を引き取りに来てもらえるというので、ゆっくり出発されるようでした。

          11月19日(月)     12番札所 焼山寺


     焼山寺 本堂前 (後から追いついた植木さんが写してくださった)


今日の山道は気持ちが良かった。暫く行くと駆ける様に下ってくる若いお坊さんが来られた。「昨夜はどちらに?」と聞くと「修行ですから野宿です」と答えると、又飛ぶように降りていかれた。

「ヤッホー、ヤッホー」と言う声が木魂して聞こえてきた。「アレはきっと植木さんだろう。荷物を背負っている私達でさえ、気持ちの良い山道だから、荷物を持たない彼はもっと気持ちが良いだろう」と話した。

道中に大きなお大師さんの像が建っていた。今朝、宿のご主人が「この方向にお大師さんがおられます」と指差し教えてくださったが、その意味が理解できていなかった。写真も撮ったのですが、暗い山中です、シルエットのように写っているだけです。

山門に着いた。やれやれ着いたと思ったのは間違いだった。うっそうとした杉並木が続いている。「遍路ころがし」と言われる焼山寺への道をクリアした。昨日の前半より今日の後半の方が歩き易かったと思う。第1回目の難関の心配が杞憂に終わった。

お参りをして一服していると、植木さんが登ってこられた。やはり重い荷物が無い分ルンルンのようであった。暫くお話しをして私達は降りることにした。先着の走る修行僧の方が、階段に腰掛けてまだお休み中だった。この方も他の方と待ち合わせかな?

私達が到着した時には既にお参りしてる方は数十人おられた。この人たち何処から来られた?と不思議だった。柳水庵からの道は私達の前には走る修行僧、後は植木さんだと思っていたから。前に写真に写っている人たちを見ても解るように、背中に荷物が無い、車遍路の方だと思うが…。

その謎は暫く下ったところで解けた。其処には大型バスや10人乗りぐらいの車が何台も止まっていた。お話しを聞くと、大型バスは狭い車道は登れないので、此処で、大型から小型に乗り換えて登るのだそうです。

帰りのバスは「寄井中」までのバスは午前中は一本だけで、焼山寺からその停留場までは1時間は掛かるので気をつけてくださいと徳島バスのにしやまさんが親切に教えてくださっていた(私が西山さんのブログに時間の問い合わせをした)ので、心急いていた。山中の遍路道は、桜の木が多かった。桜の頃は気持ちが良いだろうな~と思いつつ下った。

山を下って町に入る区切りの橋で、「あ~ぁ、これで今日は山道とお別れだ、後は舗装された道だ」と言う安心感もあり、橋の上からの景色もすばらしかったので「いい景色やね~」と言いながら写真を撮って、休憩していると、「お接待です」と道端の家からヤクルトを1人2本づつ持って来てくださった。山越えで喉の乾いていた私達にとって、よく冷えたヤクルトは本当にありがたかった。



バスの時間の1時間前に着いてしまった。停留所にはバス遍路のご夫妻が待っておられた。1時間も待つ位なら歩こうという事になり、私達は歩くことにした。その方が次回「寄井中」までで済み、此処まで上ってこなくて済むからです。

1キロほど歩いて、庭の手入れをしておられた人に「「寄井中まで2キロぐらいですか?」とおたづねしていると、何処からともなく犬が現れた私達の前を歩き出した。距離が開くとじ~っとこちらを見て待っている。「そんなに付いてくると帰り道が解らなくなるよ」と話しかける。主人は余り犬が好きでないので、杖で追い払おうとするが、一向に動じない。

何時もの如く主人と私の距離が離れて、姿が見えなくなった。「犬も居ないな~先に行ってしまったのかな~」と思った。フッと気が付くと犬は私の横で私を見上げている。「あんた居てくれたん」と言うと又先導し始めた。とうとうこの犬は寄井中のバス停まで付いてきて「さっきまで居たのに、犬は?」と気が付いた時には犬の姿は無かった。後に今治の越智さんにその話しをすると「道案内をする犬が居ると聞いたことがあります。きっとその犬なんでしょう」という事でした。


第1回の遍路は終わりました。自信が無かったので短い計画でした。次回はもう少し長くしても大丈夫かなと言う気がしています。まだ自分が何をしていると言う自覚がありません。宗教心からではないことは確かです。ですから「般若心経」を唱えることはしていません。「南無大師遍照金剛」と3回唱えるのみです。その気になればすればいいと考えています。誰も見ないカラスヘビを見たこと、先導犬に遇った事、何よりも何十年も忘れていた短歌が出来、それにより苦しみが緩和されたこと、いずれにしてもこの旅が私にとって普通の旅で無いという確信を得ました。自分達に合ったやり方で大窪寺(88番札所)をめざそう!


          *  *  *  *  *  *  *

焼山寺への遍路道にて   平成13年11月19日

お大師さん何を念じて登られし それを思いて我は辿れり

この道を又登る日が来るだろか 一期一会の弘法の道

我歩む元気の証鈴は鳴る 音速やかに焼山寺

若き芽の幾千年育ゆく命終えるか 今の盛り木

弘法さん迎えた花はシャガか 緑か紅蓼の花

金剛杖何処に突くか抱えるか 考えのみで道を歩む

虫の声鳥の声もないしじま 蜘蛛の姿に朝の挨拶

空海の歩みし道を我辿る 森林浴を楽しみとして

楽あれば苦ありの遍路道 次は苦しい登り坂道


助けるは 我が身より無し 焼山寺

時間ごと 渇きを知らせる 喉時計

喘ぐ時 鈴も喘ぐよ 遍路道

焼山寺 我を迎える 紅紅葉

あの山の 向うか目指す 焼山寺

木隠れに 夫の存在 遍路笠

夫の背を 仰ぎて登る 遍路道

登れども 山又山の 焼山寺


☆ 今見ればおかしい句もありますが、あの苦しい中、突然浮かんだ句ですので、そのまま記しておきたいと思います。書き留めたのは「ひらがな」ばかりでしたが、それだけは「漢字」に替えました
コメント (8)
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