ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

思い出話しは供養よね

2009年03月06日 | 今日この頃


      も~う春ですね! 今一番多いのはパンジー・ビオラでしょうか 
     ハボタンもストックも負けずに咲いています (西宮の公園 09-2-27)



今日は月参りの日でした。住職さんが来られました。お母様が亡くなられたことのお悔やみを申しました。人を見送るのはこんなに大変だとは思わなかったという事です。仕事柄「お葬式」には慣れているのですが、自分宅は初めてなので、パニくってしまったそうです。

1人で全てをこなしておられた方の死ですから、全ての引継ぎがまだ終わっていないそうです。人の死後、こんなに色々手続きをしなければならないとは思いもしなかったそうです。

叔母達が、義理で来る人も多いだろうから公にするな、寺の前に告辞も書くな、と言われたそうです。正月であると言う気兼ねもありましたが、でも今から思えば、せめて、お墓のある家、月参りをしている家、毎月寺にお参りにこられる家にはお知らせするべきだったと思っていると言われました。数えてみれば4百軒はくだらないそうで、結局は電話もし切れなかっただろうという事でした。

私宅は月参りもしていただいているし、お墓もありますし、知らせていただければ、義理ではなくお正月でもお参りさせていただいたと思います。

6年前に肝臓がんの手術をして、薬で持っておられたそうです。でも去年の11月の末には(私が最後と知らないでお会いして間もなく)薬も利かなくなったのでしょう、お医者さんから「治療は止めます。好きなものを飲んで食べて、旅行でも良い、好きなことをさせてあげてください」と言われたそうです。

「どこか行きたい所があるか?」と聞きますと「イタリアに行きたい」と言うので「一週間イタリア旅行をして、せめてもの親孝行をしました」と言われました。

息子さんとの旅は「嬉しかったでしょうね。楽しかったでしょうね」と彼女の喜びを感じます。でもそれから1ヶ月もしない間に、旅の余韻を楽しむ間もなく、あの世に旅立ってしまうなんて、明日の命はわからないとはこのことかと思いました。

22日に春のお彼岸の施餓鬼があります。「今度行ってももうお母さんにはおあいできないのね~」と思わず言ってしまいました。もう笑顔を見る事は出来ないんだわ。でも習慣になっているから、無意識の内に彼女の姿を求めるかもしれない。そんな気がしています。


昼から唱歌の学校に行きました。先日のコンサートのDVDを見せていただきました。画面が大きいので自分だという事も良く解りました。迫力がありましたね。やっぱり数ですね。上手に聞こえましたね。自画自賛です。良い思い出です。

良い話しがあったんですよ。長い方の歌「この街で」の間奏部分にハ-モニカ演奏が入ることになったのですよ。このクラスにはハーモニカクラブの方が5人も居られるのですものね。楽しみになってきましたね。

コメント
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