ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 3

2009年03月28日 | 思い出話

    平成13年11月18日(日曜日)
9番 法輪寺  10番 切幡寺  11番 藤井寺



9番札所 法輪寺

「たみや」を出るとき小雨が振り出した。菅野さんは一足先に出られた。法輪寺は畑の中にぽつんとあるから直ぐ解りますと、教えられた通りに行ったつもりがどこで行き違ったのか1キロ行き過ぎて気づく。往復2K損した事になり、藤井寺への到着が遅れる一歩になる。法輪寺の門前の「草もち」楽しみにしていたのに、まだ店が開いていなかった。

雨が少し強くなったので、菅笠だけでは駄目だと感じ、軒下で雨具を身に付けた。
歩き始めの1時間のロスは、この日一日後悔することになった。



10番札所 切幡寺

法輪寺の左側を回りこんで切幡寺に向かった。参道に入る手前には坂を挟んで宿が並んでいた。その一軒の軒先にエンジェルトランペットが驚くほど鈴なりに花をつけていたのが印象的だった。(この頃は写真に興味が無く、残念ながら写真はない。それゆえだろうか、満開の花は私の瞼に張り付いている。)

寺は長い階段を登った上にある。納経所の人を呼べども、ベルを鳴らせど出てこない。如何したものかと待っていると、後から男性が来られて寺の裏に廻って呼んできてくださった。その人の納経帳を見て驚いた。朱印の赤で字も見えなく、納経帳が2倍ぐらいに膨れ上がっていた。車遍路だそうでしたが、何故こんなに廻られるのか私には理解できない。

私達が降りる頃、お年寄りの団体さんが上ってきた。急な階段なので大変そうだった。

途中で、11番藤井寺で食べるつもりで「おにぎり」を買った。自動車道に沿って歩くが、行けども行けども吉野川が見えてこない。土手に出れば潜水橋が見えるはずが、一向に見えず、私達は吉野川に架かる長い長い鉄橋を渡ってしまった。

やっとの思いで着いた藤井寺は予定の時刻をとっくに過ぎて1時だった。急いで「おにぎり」を食べて1時半出発。納経所でも「急いだほうがいい、5時には日が暮れるから」と言われた。

今夜の宿、柳水庵は此処11番藤井寺から12番焼山寺までの中間点にある。お寺の方は「柳水庵までは3時間です」と事も無げに言われる。普通の人が3時間なら私は4時間は見なければならない。その計算では5時過ぎる。初めての山道、日が落ちたら危ない、急がなければと気ばかり焦る。道を間違って、此処まで17キロは歩いている。その上に3キロの山道である。少し上っただけで、心臓が早鐘を打つ。

へたり込みそうになったその時である、私の目に飛び込んできたのは道に伸びている小さな真っ黒いヘビである。もう11月も半ば、とっくに冬眠しているはずだ。杖でトントン叩けばヘビは逃げると聞いていたのでやってみた。ヘビは物憂げにゆっくり動いて、右手の坂を下っていった。私はヘビが大嫌い、怖いのです。主人はとっくに前を行っています。人が見ていたら、私は真っ青な顔をしていたと思います。

柳水庵で先に着いていた菅野さんも、前を歩いていた主人も見ていないと言うのです。「ミミズの間違いでは?」今までの道中で、確かに私は生まれて始めてみる大ミミズは見ましたよ。でもミミズに目は無いですよね。私だってヘビとミミズは間違いませんよ。それにヘビは真っ黒でした。後で知ったのですが、あの地方には「烏ヘビ」と言う、カラスのように真っ黒なヘビが居るそうです。私はヘビは嫌なのに、良く出くわすのです。


金剛杖の頭の部分はお大師さんの頭の部分にあたるので、触ってはいけないそうです。しかし疲れている私は頭の部分に手を置いて体重をかけ、すがらなければ足が上がらない。始はためらいもあったが、背に腹は変えられぬ「弘法さん堪忍して、頭を貸してください」と謝りつつ助けを借りた。

「富士山に登ったのに、こんなくらい何なのよ」と自分を叱りながら、励ましながら、何でこんな苦しい思いをしなくてはならないのと呟きながら歩んだ。主人は先に行って姿はない。たとえ傍に居たとしても、我が身は自分で運ぶしかない。もう限界だと感じた時、私の頭に浮かんだのは短歌であり俳句(季語もないのに俳句とはいえないが、川柳とも違うような? 5.7.5の言葉の羅列)である。

何故こんなに苦しい時に句が浮かんだのか、未だに解らないのだが、頭に浮かんだ言葉を書き留めるために歩みを止める、その何秒かの休憩が私を先に進ませた原動力になったことは間違いなさそうです。私が短歌を作っていたのは30年近く前のこと、師事していた先生が亡くなられてからは一切作っていない。短歌は未だしも、季語も入っていないので俳句ともいえないかも知れない句も、そのときの記念として書き留めておこうと思う。

途中で大柄のその身体に負けないくらい大きな荷物を持っている男性と話している主人に追いついた。「お水ありませんか」と言われたとか。生憎なことに、後1時間で着くと思った時点で、最後の水を飲んでしまっていた。人の為だけではなく、水は全て飲み干すのではなく、少しでも残しておかねばと悟った。それ以後、水は飲みきらないと心している。

日暮れを恐れた為、必死で歩いた為4時間かかると思っていたのに、3時間10分で柳水庵に到着。成せば成る成さねば成らぬ何事もである。
コメント (2)
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