ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 1 (第一,二回区切り打ち)

2009年03月21日 | 思い出話
       
    この姿で夫婦で四国88ヵ所を9回に別けて歩き遍路をしました

平成13年11月16日から9回に区切リ打ちで、平成15年11月19日結願しました。 やり始めるからには途中で中断したくないと言う気持ちから、実行に移すまで何年も考えました。若くは無いので夏と冬は避け、春と秋に区切り打ちをし様と決めました。

始の1.2回は書き残すことなど考えていませんでしたが、3回目から、主人の勧めもあり(ずるい! 自分は何もしないで!と思いつつ…)書いておかないと忘れてしまうと思い書き始めました。ですから始の1.2回分は3回目を書き終えてから思い出しながら書いたものです。写真だけは少し撮っておりましたので助かりました。

遍路に出る度に想い出にと私が文章と写真を、主人が装丁を受け持ってくれて、20部ばかり刷って友人にお配りしたものに加筆訂正し、改めてブログ用に打ち直したものです。

私の遍路記は夫々のお寺の説明は入っておりません。遍路で経験した事、出合った人のことを書き止めたものです。当時を思い出しながら懐かしみながら書き進めました。遍路の経験は皆違います。私達の遍路の想い出をご一緒に辿って頂ければ嬉しいです。当分、土、日曜日を想い出の日としたいと考えています。

   第1回 平成13年11月16日~11月19日
       1番 霊山寺~12番 焼山寺

           平成13年11月16日(金曜日)
       1番 霊山寺  2番 極楽寺  3番 金泉寺

歩き通せば東京から鹿児島までの距離、一日平均大阪から神戸までの距離、通しで50日前後、私達のように区切ると日数は解らない。結願(けちがん)出来るだろうか。中途でリタイヤしたくない。考えに考えた末「歩き遍路」に挑戦すべく一歩を踏み出した。

三宮発7:45 JRバスに乗り徳島へ。JR徳島よりワンマンカーといわれる1両編成の電車で坂東(ばんどう)駅まで。駅は無人だった。そこから徒歩で第1番札所 霊山(りょうぜんじ)に。私達は寺の前の店で最低の装束を揃えたが、お寺でも装束を売っていた。
  

       ぴかぴかのお遍路さん なんとなく恥かしげ

霊山寺は頭の中では荘厳な感じを想像していたが、現実は裏町にある普通のお寺と言う感じで拍子抜けがした。始めての納経を済ませ、お寺の前のお店でうどんとおむすびの昼食をすませ、昼過ぎ、いよいよ第一歩を踏み出した。

      

第2番札所極楽寺(ごくらくじ)へはJR高徳線(こうとく)に沿った道を歩く。大型車がびゅんびゅん飛ばしている。その風圧で菅笠が飛ばされそうになり手で押さえる。こんな道が80%だというのも誤算だった。しかしのんびりした風景は其れを忘れさせてくれた。大きな家の多いのにも驚く。只こんな風景には昔ながらの構えの家が似合うのに、時として白亜の殿堂の様な洋風の家を見ると「ミスマッチ!」と違和感を覚えた。


☆ このように田んぼに稲の束を置いているのは始めてみましたので、とても面白く、のどかな風景だと心に残りました。

極楽寺は樹齢1200年の「長命杉」が有名である。触ると命ながら得るというので、遍路の手の届く幹はツルツルであった。勿論私も元気で長命を願って触ってきた。

逆打ち(88番から1番にと順番を逆さに辿ること)の若者に出あった。今日が結願だという。仲間意識が私達に語りかけさせるのか、身体中で喜びを表しながら、声を上ずらせながら…。又、逆打ちは難しかったとも言っていた。どんなに嬉しいだろう、とは言うものの、歩き始めたばかりの私達には本当の結願の喜びは理解出来て居なかったと思う。

彼と別れて、次の寺への道に迷っていると、自転車で通りかかった人が「田んぼ道が嫌いでなければ近道がある」と教えてもらう。一面野の花に覆われた道に出たとき、遍路道とはこういう道だと想像していた自分に気づく。

3番 金泉寺(こんせんじ)の東側から入る道だった。境内には大師が発見されたという「黄金の井戸」がある。水に顔が映れば長生きするという言い伝えです。和達も恐る恐る覘いてみました。水があるのですから映って当たり前なのに、映っている自分に何故かほっとしました。

11月16日  坂東旅館 (1泊目)     

初めての夜は坂野駅前の坂東旅館に泊まった。料金の高い割りに余り奇麗でなかったし、食堂の電燈は料理がはっきり見えないくらい薄暗かった。夜は若女将(と言っても50代)、朝は老女将。この旅館の経済はまだ老女将が握っているようだ。だいたい旅館は朝支払いをしますからね、お金を受け取る人が会計を握っていると思いますよ。過って泊まったペンションでも若夫婦は夜だけ、朝は老夫婦でした。実権を握る者が会計を握っていると思うのは間違い?若夫婦にお寝坊させてあげる為?まさかねぇ・・。

早朝、窓から見える駅には、高等学校に行く子供を送ってきた自家用車が次から次へと現れました。淡路島に橋が架かってから、駅は寂れたと、昔の繁栄を懐かしげに、悔しげに老女将は語っていました。今から思えばバス、鉄道と乗り継いでも早朝に1番札所に到着するのですから、私達でももっと先まで歩けたと思いますから、この地を素通りする遍路さんが増えるのはいたし方の無いことです。
コメント (6)
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