ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 1 (第一,二回区切り打ち)

2009年03月21日 | 思い出話
       
    この姿で夫婦で四国88ヵ所を9回に別けて歩き遍路をしました

平成13年11月16日から9回に区切リ打ちで、平成15年11月19日結願しました。 やり始めるからには途中で中断したくないと言う気持ちから、実行に移すまで何年も考えました。若くは無いので夏と冬は避け、春と秋に区切り打ちをし様と決めました。

始の1.2回は書き残すことなど考えていませんでしたが、3回目から、主人の勧めもあり(ずるい! 自分は何もしないで!と思いつつ…)書いておかないと忘れてしまうと思い書き始めました。ですから始の1.2回分は3回目を書き終えてから思い出しながら書いたものです。写真だけは少し撮っておりましたので助かりました。

遍路に出る度に想い出にと私が文章と写真を、主人が装丁を受け持ってくれて、20部ばかり刷って友人にお配りしたものに加筆訂正し、改めてブログ用に打ち直したものです。

私の遍路記は夫々のお寺の説明は入っておりません。遍路で経験した事、出合った人のことを書き止めたものです。当時を思い出しながら懐かしみながら書き進めました。遍路の経験は皆違います。私達の遍路の想い出をご一緒に辿って頂ければ嬉しいです。当分、土、日曜日を想い出の日としたいと考えています。

   第1回 平成13年11月16日~11月19日
       1番 霊山寺~12番 焼山寺

           平成13年11月16日(金曜日)
       1番 霊山寺  2番 極楽寺  3番 金泉寺

歩き通せば東京から鹿児島までの距離、一日平均大阪から神戸までの距離、通しで50日前後、私達のように区切ると日数は解らない。結願(けちがん)出来るだろうか。中途でリタイヤしたくない。考えに考えた末「歩き遍路」に挑戦すべく一歩を踏み出した。

三宮発7:45 JRバスに乗り徳島へ。JR徳島よりワンマンカーといわれる1両編成の電車で坂東(ばんどう)駅まで。駅は無人だった。そこから徒歩で第1番札所 霊山(りょうぜんじ)に。私達は寺の前の店で最低の装束を揃えたが、お寺でも装束を売っていた。
  

       ぴかぴかのお遍路さん なんとなく恥かしげ

霊山寺は頭の中では荘厳な感じを想像していたが、現実は裏町にある普通のお寺と言う感じで拍子抜けがした。始めての納経を済ませ、お寺の前のお店でうどんとおむすびの昼食をすませ、昼過ぎ、いよいよ第一歩を踏み出した。

      

第2番札所極楽寺(ごくらくじ)へはJR高徳線(こうとく)に沿った道を歩く。大型車がびゅんびゅん飛ばしている。その風圧で菅笠が飛ばされそうになり手で押さえる。こんな道が80%だというのも誤算だった。しかしのんびりした風景は其れを忘れさせてくれた。大きな家の多いのにも驚く。只こんな風景には昔ながらの構えの家が似合うのに、時として白亜の殿堂の様な洋風の家を見ると「ミスマッチ!」と違和感を覚えた。


☆ このように田んぼに稲の束を置いているのは始めてみましたので、とても面白く、のどかな風景だと心に残りました。

極楽寺は樹齢1200年の「長命杉」が有名である。触ると命ながら得るというので、遍路の手の届く幹はツルツルであった。勿論私も元気で長命を願って触ってきた。

逆打ち(88番から1番にと順番を逆さに辿ること)の若者に出あった。今日が結願だという。仲間意識が私達に語りかけさせるのか、身体中で喜びを表しながら、声を上ずらせながら…。又、逆打ちは難しかったとも言っていた。どんなに嬉しいだろう、とは言うものの、歩き始めたばかりの私達には本当の結願の喜びは理解出来て居なかったと思う。

彼と別れて、次の寺への道に迷っていると、自転車で通りかかった人が「田んぼ道が嫌いでなければ近道がある」と教えてもらう。一面野の花に覆われた道に出たとき、遍路道とはこういう道だと想像していた自分に気づく。

3番 金泉寺(こんせんじ)の東側から入る道だった。境内には大師が発見されたという「黄金の井戸」がある。水に顔が映れば長生きするという言い伝えです。和達も恐る恐る覘いてみました。水があるのですから映って当たり前なのに、映っている自分に何故かほっとしました。

11月16日  坂東旅館 (1泊目)     

初めての夜は坂野駅前の坂東旅館に泊まった。料金の高い割りに余り奇麗でなかったし、食堂の電燈は料理がはっきり見えないくらい薄暗かった。夜は若女将(と言っても50代)、朝は老女将。この旅館の経済はまだ老女将が握っているようだ。だいたい旅館は朝支払いをしますからね、お金を受け取る人が会計を握っていると思いますよ。過って泊まったペンションでも若夫婦は夜だけ、朝は老夫婦でした。実権を握る者が会計を握っていると思うのは間違い?若夫婦にお寝坊させてあげる為?まさかねぇ・・。

早朝、窓から見える駅には、高等学校に行く子供を送ってきた自家用車が次から次へと現れました。淡路島に橋が架かってから、駅は寂れたと、昔の繁栄を懐かしげに、悔しげに老女将は語っていました。今から思えばバス、鉄道と乗り継いでも早朝に1番札所に到着するのですから、私達でももっと先まで歩けたと思いますから、この地を素通りする遍路さんが増えるのはいたし方の無いことです。
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今年もアーモンドの花

2009年03月20日 | 一寸そこまで



      アーモンドの花 (神戸市深江・東洋ナッツ工場 09-3-20)
  
         今年は残念なことに昨夜の雨と風で落花盛ん…


「アーモンドの花見に行く?」あまり乗り気ではなかったようでしたから、1人で行く気でした。所が「新聞に載ってる…」という事で急遽行く気になったようです。「花は朝がきれいから、早よ出るよ」と言ったのですが「風が強い」「曇って、パラパラしてるから様子を見よう」と言って腰が重い。

イライラを静めながら待つこと1時間、家を出たのが10時です。それからが忍耐の時間待ちの始まりです。



     本日開通した神戸・三宮から奈良まで直通でいける阪神電車

バスで阪神の駅まで行きました。乗った駅も下りる駅も快速が止まりませんから、普通電車です。西宮で快速待ちをすること10分。もしかしたら今日開通の「快速急行」が来るのかもしれないとカメラを持ってプラットホームで待ちました。

やってきました。写真やテレビでは何度も見ましたが、実際に目にするのは初めてです。私の居るホームは神戸・三宮行きですからそんなに込んではいません。しかし後で聞くところに寄れば、三宮の阪神の駅の人出は凄かったらしいです。私達は今日は見るだけですが、そのうちお世話になります。

阪神深江駅からの無料バスは長蛇の列です。30分ほど並びました。去年はお墓の帰りに1人で来たので、深江に着いたのが2時ごろでしたから待つことはありませんでした。

会場に着いて、窓越しに「花」を見た時「花が少ない!奇麗じゃない!」と直感しました。今年初めての方は奇麗と思われたかもしれませんが、去年の奇麗な花を知っている私はガッカリしました。

着いた時は既に12時近かったので「花より団子」兎に角、何か食べる事にしました。どこを見ても長蛇の列です。それは覚悟の上でした。主人と二手に分かれることにしました。私が「ブタマン」に並び、主人には「揚げたてアーモンド」に並んでもらいました。

私が「ブタマン」をゲットして、主人と代わりました。この「揚げたてアーモンド」が食べたくて来たのです。店に売っているのは時間がたっています。揚げたては此処でしか味わえません。列に並んで40分、100円のカップ5個(1人制限5)を買いました。お餅は間に会いませんでした。主人にも珍しい「アーモンドの入った御餅」食べさせてあげたかったのですが、これは早く家を出なかったから仕方がありません。

1時を過ぎています。主人は暖かいコーヒ、私は常温の御茶を買って、大きな「ブタマン」と小振りの「ナッツ入りミソ餡饅頭」と「揚げたてアーモンド」の昼食です。


    咲き残っている花より 花びら無き後のほうが こんなに美しい

これだけで並び疲れしています。
遠めには花はいっぱい咲いているのです。でも近づくと奇麗でないし、花数も少ないのです。奇麗な花を撮りたいと隅々まで廻ったのですが、初々しい花にはお目にかかれず、人間に例えれば、我々世代です。遠目には確かに花(女)です、でも近づけば、どちらも瑞々しさなくシワシワだ!と1人苦笑しました。花の落ちた後のほうが以外に美しいのを見つけて写真に撮りました。

諦めて、ナッツを買って帰ることにしました。ここでも15分待ちです。でも私達の乗ることになったバスは阪神ファンの喜ぶこんなバスでした。

          帰りの無料送迎バスは こんなに可愛いバスでした

4時間の内半分近くが並ぶと言う一日でした。主人はラヂオで野球を聞きながらでしたので、我慢できたのでしょう。家を出るとき野球が始まり、帰りのバスに乗り込む時野球は終了しました。野球放送と共に終わった「アーモンドの花見」でした。


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インド家庭料理教室 (15回)

2009年03月19日 | 今日この頃

           インド家庭料理教室 オーナーの作品


今日は暖かでした。このまま暖かくなるのではなく、来週もう一度寒くなるので、昨日今日の暖かさで開花した桜も長持ちするだろうという事です。

今日は3人お休みでしたので、手が足りなくて、何時もは怠けて写真ばかり撮っている私も包丁を握りました。何時もは包丁を使わない、捏ねたり延ばしたりの方でした。



            papad:右端のナンの様なもの 
 左:袋に200グラムで30枚ぐらい入っている 「ひよこまめ」の粉で出来ている
            右:油にさっと潜らせる又は直火焼き


今日はこの製品を使いましたので、捏ねたり延ばしたりの作業はありませんでした。先生が油に潜らせたり、直火であぶったりなさいました。ポテトチップににていましたね。一寸塩辛いですが、軽くて美味しいです。



               アーモンドチキンとその材料

今日の一番のお気に入りでした。チキンはスジは勿論、脂身、皮は剥いであります。私達が鶏肉を使う時は皮は付いたままですから、まず始に火を通してから他の材料を入れて炒めますが、このお料理は味付けも全て終わって煮込む寸前から入れます。鶏肉そのものだけですから、こんな方法で出来るのでしょうか。美味しくて、お代わりしましたから、晩御飯はお漬物でご飯少々で十分でした。やっぱり胃は小さくなって来ているようです。


               サフランライスとその材料  

サフランは一本の茎に3.4粒しか付かないそうです。1グラム取るのに300粒ほどのサフランの種がいるそうです。ですから昔は貴族階級の食卓にしか上らなかったそうです。お米はパスマティライスと言う、細長い外米です。ヨーグルトも入っていますが、存在を感じませんでしたね。

サフランと言えば、「パエリァ」でしょう。私が「パエリァ」を初めて食べたのは、メキシコのおゆきさんの手料理でした。「パエリァ」と名の付く料理に時々出会いますが、料理上手なオユキサンのパエリァより美味しいのに出会ったことがありません。又食べたいな~、「オユキサンのパエリァ」


                    ライタ

トマト、玉葱、胡瓜のみじん切りをヨーグルトに混ぜて、冷たく冷やしただけ、これは簡単で美味しいですよ。とはいうものの、ヨーグルトの苦手な私は始めは飲み込むだけでした。カレーの辛さを抑える為に食べていたのです。でも今は美味しいと思います。ヨーグルト自体も食べられるようになりました。まだそのままと言うわけにはいきませんが、甘味を加えて毎朝食べています。如何です!この変わりよう!!
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 奨学金 何故返さないの?

2009年03月18日 | 気にかかる


    大根の花 又は 紫花菜(むらさきはなな) (ウッディの花壇 09-3-18)
         この紫色がなんともいえなく好きです。優しい色です



            雪柳 (尼崎・大井戸公園 09-3-18)
        わが家にも大人の背の丈を越す雪柳がありました 
その頃の私には花に対する愛情が足りなかったのでしょうか 消えてしまいました



今朝は何となくすっきりしない気持ちでした。昨日の講座が私には消化不良だったようです。渡辺淳一さんの時の様な不満があったわけではないのです。でも何だかすっきりしないのです。

ジムに歩いて行きながら考えていました。司会者が、過って上田さんが僧侶の集会でお話しされた時「あなた達(僧侶)は『少欲知足』なんて事ばかり言っていないで、もっと目を覚まして、がんばれ!」と言う様なことを言われたそうです。だから「今日この『少欲知足』をどの様に解釈されるか楽しみだ」と言われたのです。

私も楽しみにしていましたが、直接そのことには触れず、玄侑さんと、微妙な言葉の違いはあっても同じようなお話しをされたので、ディベートの形式を期待していた私は物足りないと感じたのでしょう。司会者の思惑も其処にあったのではないかと思うのですが…。


ディベートといえば過って所属していた会で「奨学金」についてのディベートに参加したことがあります。当時は尼崎市長・白井さんもまだ市会議員時代で、ご一緒に勉強仲間でした。このディベートにも出られて私と反対意見の組でした。白井さんは反対側の私にも、ネットからプリントした沢山の資料をくださいました。

「奨学金」をどの様に言い合ったのか忘れましたが、私自身の意見と異なる組だったとだけは覚えております。何しろ時間が短いのでディベートといっても、筋書きが決まっていて、左右に分かれて意見を言ったというだけです。「ディベートとはこういうものですよ」とお勉強しただけです。

奨学金を返さない人が増えていると言うのを、その時初めて知りました。奨学金は受けた全ての人が返納しているものと思っていましたから驚きでした。又奨学金を扱っている会がこんなに多くあることも知りました。当時から返納されない人が多いので夫々の奨学金支給側は資金難だと書いてありました。

ディベートに取り上げてからでも何年も経っていますから、その総額は大変な金額になっていると思います。

奨学金はいわば借金だとわかっているのかしら? 自分が借りることによって、勉強を続けられたのですから、同じような立場の人にバトンタッチするためには、自分の借りたお金を返さなければならないという事が解っていないのですね。皆が返金しておれば、この不景気な時代、進学を諦める人に回せたのにな~と思います。

小学生の給食費未払いは親の責任ですが、高校、大学の奨学金の未返納は本人の責任だと思うのです。「借りたものは返す」こんな単純明快なことを怠るなんて、何を学んでいたのかしら。頭の中に学問と言う知識を詰め込んでも、人としての常識を持たない人間は周りを不幸にしますし、本人も本当の幸せを知らないで終わると思うのです。

人の温かさで学べた貴方! 今度は貴方が温かい心で包んであげる番ではない?
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少欲知足

2009年03月17日 | 一寸そこまで



                 連翹 早春に咲く黄色  
        わが家では2.3年何故か連翹が咲きませんでした 
         久し振りに咲きましたが元のようではありません 
           以前は其処だけ鮮やかな黄色の塊でした



「今日はお彼岸の入りです」と言う言葉から始まった、大阪・本町にある本願寺津村別院(北御堂)へ「少欲知足」と題した公開座談会を聞きに1人で行きました。パネリストは玄侑宗久氏、上田紀行氏、司会が釈 徹宗氏でした。 少欲知足:欲少なくして足るを知る

玄侑さんは芥川作家とは知っていましたが、本は読んだことありません。芥川賞と聞いただけで、拒否反応の出る私なんです。芥川賞は私にはどこが良くて選ばれたのか解らない作家が多いように思うのです。でも折角のご縁ですから一冊は読んでみましょうかね。

上田さんは三遊亭小朝と父方の従兄弟ですって。「癒し」と言う言葉を考えた方だそうです。過って「癒す」と言う言葉はあっても「癒し」と言う言葉はありませんでした。9年ほど前です、私が当時所属していた会のスピーチコンテストに出場しました時の私のスピーチの題が「癒し」だったのを懐かしく思い出しました。

釈さんは全く存じませんでした。北影堂と同じ浄土真宗本願寺派のお寺の住職で、認知症高齢者の為のグループホームを経営したり、著書も多数の方の様です。

お三方の話される内容で初耳でお勉強になった事は日本の人口を調査したのは徳川吉宗で、当時日本の人口は3000万人だったそうです。鎖国で自国で全てを賄っていたので、全てに制限があった。農業とすれば(職人しかり)、農業を代々ついで行くのは長男で、次男が生まれても継ぐものが無かった。それゆえ、次男が生まれれば、子供の無い家を探して養子にやるより無かった。だから江戸時代は一人っ子が多かったそうです。

昔は自分の知らない遠い先祖であっても、過去帳を見て、50回忌だからお参りしようかと言う事もあったが、今は親の法事(大阪)でも3回か7回忌で終わる家が多いと釈さんが言えば、玄侑さんは「そんなことは無い(富山)」と言う。やっぱり富山はご先祖様を大切にするのだと思った。勿論これは確立の問題で、富山にだって大事にしない人だって居るでしょうし、大阪にだって大切にお守りする人はいるでしょう。

私が思うには、人情の薄れもあるかもしれないけど、長命とも無関係ではないだろうか? 親が長生きするという事は子も年を取るという事で、法事の様な人集めが体力的にしんどくなるのではと思うのですが…。違うでしょうか?

まとめとして、これから如何生きれば良いかと言う事ですが、玄侑さんは「無計画に生きる」「これは絶対に使わないなど制限を持つ」うん?何だか正反対のこと言ってない?

上田さんは「その前では自分は絶対嘘が付けない」というものを持つ。彼は「富士山」だそうです。時として富士山に会いに行かれるそうです。私も富士山を見ていると、人間って何てちっぽけなものだろうと、そのときの悩みなんて吹っ飛んでしまいます。同感同感…。

関西には今は切り捨てられている昔の会社の生き方がある。現代社会は必要なものは、人の育てた花を取る・ヘッドハンティング、必要なければ首切り・リストラが当たり前の世の中になったが、共に助け合って、給料は下げても首は切らないという中小企業がある。大会社でも京セラやオムロンのようにリストラしない会社が残っている。

松下幸之助さんのナショナル(関西企業)は人の喜ぶいい製品を作って売った、儲けるのが最大の目的ではなかったが、結果的には売れて儲かったと言う商売の仕方だったが、今は「売れるのが良い商品」と言う商いに変わっていると言う。

関西は住みやすいとはそんなところに原因があるのかもしれないな~とにんまりと家路に着いた。
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私ってお金持ち?

2009年03月16日 | 今日この頃

          ブルドックと仔犬たち (ウッディ 09-3-12)

          上の犬達なんですけれど この様に並び替えてみると 
             物語が浮かぶような気がしませんか?



去年秋、鹿児島に行った時、従姉達にお世話になったので「くぎ煮」送りたいと主人が言うものですから、もう一度煮ることにしたのです。だけど土曜日は時化で漁が中止、昨日は日曜日でお休みで(近頃は、漁師さんもサラリーマン並で日曜は休業なんです。ご存知でしたか?)今日になりました。

昼前に売り場に行ったのですが、まだでしたので、午後に又出直しました。今度は出ておりましたが、値段はそのままです。

買うつもりで行ったのですが、やっぱり高いな~と眺めておりました。去年までは1キロ売りだけだったのですが、今日は1キロと500グラムとありました。

500グラムのを手に取った人が「何でこんなに高いのかしら?」と独り言、私が「不漁だからだそうですよ…、明日値下がりするとしても、今日の大きさが私好みの最終だから…」と言うと「私もこれ以上大きいのは嫌ね。今年は半分の500グラムにしとこ…」と籠に入れました。「ほんとに足元を見てね~」と私が1キロを2つ籠に入れるのを見た、その人が「うわ~! 奥さん金持ち!」って大きな声を出すものですから回りの人も大笑い。

帰って主人に「私始めて『奥さんお金持ち!』って言われたわ」と話しますと、主人も大笑いしました。

元値がこんなに高いのですから、デパートではどんな値が付くのでしょう。例年でもグラム値は私の買値の7~8倍の値段ですから、今年は買って食べる人は手が出ないのではないでしょうか。

夫々公平に計りながらタッパーに入れました。4軒に別けたわけですから1軒当たり500グラムあると思っていたのですが、実際は400グラムでした。生姜も入っていますから、2~3割の目方が、煮ることによって、水分が飛んで少なくなっているんです。計ってみて初めて知りました。

デパートの「くぎ煮」が高いわけがやっとわかりました。水分が飛んで目方のロスが大きいからです。きっちりした方なら、そんな事始から解っている事なんでしょうけど、アバウトな私は何十回も炊いているのに、今日やっとその事に気づきました。

デパートといえば、今年のバレンタインデーが土曜日だった(義理チョコを渡さなくて済んだ)ものだから、チョコレートが売れなくて、食品売り場も売り上げが落ちたそうです。と言う事は義理チョコはデパートの売り上げに貢献大という事ですね。

  
       この場所には何時もこんなに大きな作り花があります 
   造花もこれだけ大きいとそれなりに奇麗です (神戸のビル 09-3-10)
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日本は住みよい国なのか?

2009年03月15日 | 新聞から


    
        展覧会の出品「パフィオ」 (咲くやこの花館 09-3-11)



        地植えの「パフィオ」  (咲くやこの花館 09-3-11)
   始は形がグロテスクに見えて嫌いだった「パフィオ」 今は大好きなんです



今日は寒くて寒くて、ちじこまっておりました。テレビを見たり本を読んだり、餡子物をつまんだり、口の中が甘すぎると言ってはオカキを食べたり、先日の風邪の時の絶食で3キロばかりお腹の脂肪を燃焼消費して、ぺちゃんこになったのに、又もとの木阿弥です。

でもね物は考えようで、少しくらいお腹に脂肪を貯めておいた方が良いような気がします(言い訳がましいかな?)2日間食欲が無くて、絶食状態だったのですが、お腹の脂肪が私の身体を支えてくれたように思います。「お腹がすいた!」と食欲が出たとき、私のお腹はペッタンコになっていましたよ。この予備燃料があったからこそ回復が早かったのだと信じています。

とは言うもののやっぱりもう少しスマートが良いかな~?「イエス」or「ノー」ハムレットの心境です。


不法入国のフィリッピン人の家族は、結局娘を母親の妹に預けて、自分達は強制退去することを選んだようですね。支援者達は親子3人を残すべきだと言っているようですが、それはおかしいですね。他人名義のパスポートを使って不法に入国したのでしょう? どの様な事情があってのことかは解りませんが、やはり法を破って他国に入国した人を許すわけには行きません。

人情的には娘さんを1人残すのは可哀想だとは思います。しかし母は17年父は16年間、日本の法を犯していたんですからね。

のりこさんが言葉の解らない国に帰すのは可哀想という意見もありますが、両親はどうして、バイリンガルに育てなかったのでしょうね。普通は自分の母国を、母国語を伝えたいと思うものではないのでしょうか…。絶対に不法入国はバレ無いと思い、一生日本で住むつもりだったのでしょうか。容易に2ヶ国語を話せる環境にあるのですから、私なら教えますね。

法務省は言葉の解らないのりこさんの為に親族が面倒を見る事を条件に、日本に残ることと、娘に会うために両親が再入国することを認めると言う異例の提案を行ったそうです。

後はのりこさんが、両親が強制退去させられたのは、不法入国と言う日本国の法を犯した為であるという事を1日も早く理解して、叔母さんの下で学業に励んで欲しいと思います。
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小さな歩みも 千歩になって…

2009年03月14日 | 今日この頃

           秋に蒔いた種から咲いたパンジーの一番花です 
         花びらの縁がフリンジしていてとても優雅で可愛いです



昨日一日降った雨も、朝には小降りになりました。でもものすごい大きな雷さんが落ちたようです。春雷と言うのでしょうか、そんな奇麗な字は似合わない、雷親父の雷が落ちた、と言う感じでした。

朝から私の頭の中は「1000回」と言う言葉がウロウロしております。

2006年3月30日第1回を書いた時に、立てた目標が1000回でした。

2年11ヶ月14日掛かったわけです。70歳代に足をかけて、なにか新しい事をしてみたいと思って、花が好き、花を育てるのが好き、花の姿を残したい、いや人様に見ていただきたい、写真が良いかな? 花の写真のブログを作ろう… から始まりました。去年の3月に有料のお仲間入りするまでは、指定の大きさで枚数も3枚と限られていました。写真はピントさえあっていれば、大きいのが奇麗です。思い切って有料にして、大きく出来て嬉しいです。

          
          

          過っての私は自分の心をしっかりと秘めていた。

          ふと気づくと私は自分の心の扉を開いていた。
          それは周りの人の私に下さる温かさと感じている。
          「お日様ときたかぜ」のように…

          そして私は「陽だまりの幸せ」を掴んでいた。

          心を開いて生きるという事は
          何と気が楽なんだろう
          このブログはその延長線上にある。

          私の「小さな幸せ」の呟きを聞いて欲しい。
          そして私をもっと知って、
          私に語りかけて欲しい…

第1回目をこの文章から始めました。 しかし残念ながら中々コメントはいただけません。それは私自身も好きなブログを読ませて頂いて、読みっぱなし、コメントを残さないのですから仕方がありませんね。

ただ人様のブログを読ませて頂いて感じることは、シニアの部、花の写真の部、とかさまざまにある何処かに所属するのが、コメントを頂きやすいように感じました。お互いに、コメントを出し合っておられる感じがいたします。

しかし所属しますと席次が付いてまいります。私も負けず嫌いなところがありますから、それが気になるかな~と所属しないで居ます。勿論有料にしますと、gooブログ全体の順位は付いてまいります。120万ブログの1万番までの順位が知らされます。これは仕方が無いことかな~と思っています。

明日からは、目標は定めません。風の吹くまま気の向くまま、鎌田實先生の言葉「がんばらない」けど「なげださない」で行きたいと思います。

1000回もお読みいただきまして有難うございます。これからも宜しくお願いいたします。
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3桁最後の日

2009年03月13日 | 今日この頃











   賞には入らなかったけれど 私の好きなラン (咲くやこの花館 09-3-11)


今日は一日中雨でした。今も休みなく降っております。雨の中を唱歌の学校に行ってきました。何時も本を貸してくださるはったさんが、声をかけてくださいました「貴女のブログね、私は出来ないのだけれど、主人に何度も探してもらったけど、出ないのよ『小さな幸せ』と引くと2万件もあるそうよ。どうして探せばいいの?」

私は何時も財布に1枚だけ名刺を入れています。「よろしくおねがいします」とお渡ししました。明日ぐらい見てくださるかしら?

今日は雨降りに行ってラッキーなことがありました。ごとうさんの無農薬野菜(ミズナ)を頂きました。帰りまして早速水につけてパリッとさせて、夕食の1品に鶏肉とミズナだけのあっさり小鍋をしました。昔はミズナと言えば鯨肉でした。「はりはり鍋」と言いましたっけ…。鴨肉を買いに行ったのですが無かったので鶏肉にしました。雨が降って寒かったので「鍋」は良いメニューでした。

コンサートの衣装決まりました。ボトムが白っぽいものに統一、上は半袖でTシャツ(襟無し)でもポロシャツ(襟あり)でも自由です。ボトムが黒でなくて良かったわ。これなら私の考える上下自由に近いので、内心ホットしました。

歌が歌ですから、軽やかな、可愛い感じが良いでしょうか?「可愛いおばあちゃんになりたい」って感じですね。メドレーが繰り返しが多く、歌詞はよく読めば未来を歌って明るいのですが、受ける感じは沈む感じですので、身体を左右に揺らして歌いたい感じです。

歌の解釈によって、皆さんシャツを選ばれると思いますので、皆さんの個性を見るという楽しみが出来ました。今まではあらかた決まっていましたから、その服が似合うか似合わないかの差でしたものね。私も持ち駒(Tシャツ)を引っ張り出して考えます。


今日が最後の三桁の日(999回)です。始める時に「やるからには1000回は続けよう。決して投げ出してはいけない」と心に誓って始めました。お陰さまで風邪でダウンしてのお休みと「ちっちゃな旅」のお休み以外は頑張って、ずる休み無しで明日1000回を迎えます。
                               (999回)
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高級品になった「くぎ煮」

2009年03月12日 | 今日この頃









   ラン展で賞を貰った花達 (大阪・鶴見「咲くやこの花館 09-3-11)


今日も図書館に行ったものですから「ストレッチ」には間に合わずです。サウナっ子で帰ろうとしたのですが、何だかとても眠くなりました。昨日は歩き廻って、沢山のお花に興奮して疲れていたのでしょう。マッサージ室の安眠用椅子があるんです、そこで一寸休んでいこうと思いましたらぐっすり眠ってしまいました。

一眠りしたので、「くぎ煮」を煮ようかと魚売り場に行きました。「くぎ煮」にするのは「イカナゴの稚魚」で兵庫県の沖合いを通るとき「くぎ煮」に丁度良い大きさで東に向かうんだそうです。其処を一網打尽に取るので、「くぎ煮」が大流行なんだそうです。東のほうに行った時には、もう「いかなご」の大きさになっているので、余り煮る人は無いようです。

実は1週間ほど前に一度売り場を覘いたことはあるのです。でも少し小さすぎたのと、驚いたことに1キロ1980円の値段が付いていたのです。吃驚しましたよ。昨年まではキロ1000円前後でした。一昨年前までは7~800円でした。だからキロ1980円に驚いたわけです。

所がです、今日は我目を疑いました。キロ2980円の値札が付いているのです。去年の3倍です。あと20円で3000円です。「足元を見て!」と思いました。

でも「くぎ煮」は数週間だけなのです。私は一旦は元に戻したのですが、又手が伸びて、片手に持ったまま迷っておりました。

其処に子どもずれの奥さんが着ました。「高くなりましたね~、吃驚しましたよ」と言いますと、彼女が「3日前は1590円でしたよ。凄い人が並んでいました。私はそのときに買いました」今日の半値だったわけです。「安く買われて良かったですね。今日の値段だと2キロ買えますものね」と私。

私は決心をして、1箱を手にしてその場を離れました。濃い口醤油とザラメ砂糖と、生姜を買いに行きました。今一度売り場を見ると、男性が、やにわに3箱掴んで立ち去るのが見えました。「よっしゃ、私も例年通り2箱つくろ!」と舞い戻って、もう1箱籠の中に入れました。

何時もは財布に5000円を入れているのですが、今朝は何気なく1万円入れてきたのです。他の買い物もすると1万円札は羽が生えたように飛んでいってしまいました。

財布は軽くなったけれども、荷物は重たいです。図書館から借りた本は3センチも有るのが2冊、イカナゴ2キロと醤油や砂糖で又1キロプラス。ふ~ふ~言いながら担いで帰りました。

イカナゴは時間を置かないほうが良いので、昼食後直ぐに取り掛かりました。色んな炊き方があるようですが、私は料理上手な友人に教えられたとおり忠実にしました。美味しい「くぎ煮」が出来上がりました。

温かいご飯に載せて食べたら、何杯でもご飯が進みます。主人はお酒の御摘まみにつまみます。「あ~、美味しい、これぐらいの贅沢は許されるわね~」と独り言を言いながら、ふと浮かんだのは「定額給付金」と言う言葉…、その前倒しとしましょうか?と考えると気が軽くなりました。
                               (998回)






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