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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

今一度「大阪・国際児童文学館」

2009年03月01日 | 新聞から



                   斑入り沈丁花    
             わが家の庭にも早春が香っておりました 
               本当に優しい暖かい香りです



溜まっているビデオを見たり、本を読んだりして過ごしました。ビデオは溜まりすぎて見ても見ても、うんざりするほど残っております。本の途切れ目に一気に見ようと思いますが、図書館から次の本の連絡も入っております。時間が足りな~い、時間が欲し~い。

本と言えば2日前又、「大阪・国際児童文学館の存廃論議加熱」の記事が出ていましたね。大口寄贈家3人が「廃止するなら資料を返して」と府に申し入れたそうですね。18万点だそうです。故人になられた約2万5000点を寄贈家の代理人の人が「国会図書館からも欲しいといわれるほどの資料の価値を、府は全く理解していない」と憤っているそうですが、橋下知事は「行政のトップとして(資料の価値より)組織改革が重要だと思っている。文学者と政治家の価値観が異なるのは仕方が無い」と答えたそうです。

私は橋下知事の考えに賛成です。私は数え切れないくらい「国際児童文学館」に行っています。私の行くのが平日だったとしても、余りにも入館者が少ないと感じていました。交通の便も良いとはいえないし、親と一緒で無いと来れない場所だからだろうとは思っていました。

橋下知事は言われます「児童文学館の事なんか府民はほとんど知らないんじゃないですか」そうだと思いますよ。大阪府立図書館に移転が決まって、多くの子ども達に読んでもらえるし良かったと思いました。本は飾り物じゃ~無いんですものね。

でも寄贈者の思いは違っているんです。「閲覧を主目的とした図書館ではなく、研究施設である児童文学館だからこそ、貴重な資料を活用できると言う思いがあるから」だそうです。

こうも言います「研究に役立ててもらう為に寄贈したのだから、図書館へ移すことは信義に反する、高度な専門知識を持った職員が居なければ資料は死んだも同然」

「恩着せがましいことを言わないで」と言いたい。その道の研究者にとっては凄い価値のあるものかもしれないけど、結局は自分で管理できなくなって寄贈されたのでは?上げたものを返して…だって?その選別、運搬のお金は誰が出すのです?

要するに「寄贈した本は研究の大切な資料だから一般に貸し出しや閲覧はしないで大切に保管してほしい」と言うことでしょう。書庫改造の費用として府は5億8千7百万円の予算を計上してくれているのだから、「一般市民の触れることの出来ないコーナーを作ってください」とお願いすれば良いのではないですか。

そんな難しい本を子ども達も喜びませんしね。それはそうと、その寄贈された本を今までに何人の学者の方が研究に利用されたのでしょうか?利用率はどのくらいだったのでしょうね? 返してなんていう前に、その統計ぐらい示して良いのでは。

どうしても一般図書館が嫌なら、廃校利用を願い出られては如何ですか?京都の「京都国際マンガミュージーアム」も元小学校だと聞いています。限られた人の利用を望まれるのなら、がっしりとした棚と、空調設備さえしっかりしていて、おっしゃるとおり専門知識を持った方を管理人にすれば良いのでは? 梅田の曽根崎小学校も20年前から廃校ですよ…。後は何に使われているのか書かれた居ませんよ、空き家では?

何だかんだ言ったて個人の手に余ったから寄贈なさったのではないのかな~。私はそんな気がするのですが…
コメント (2)
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