ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

葬式事情

2008年11月21日 | 気にかかる

                管物・糸菊 (神戸 相楽園)






たまちゃんからのメールに今朝気づきました。「なかたさんっちの花見」に何時も一緒していた、たかぎさんが亡くなったというお知らせでした。お仲間のこばやしさんからたまちゃんへ、たまちゃんから私へと伝わってきました。

一瞬迷いました。お葬式に行くべき?そんなに親しかったかと聞かれれば返答に困るくらいの中。デモね、私の元へお知らせが届いてしまったんですから、行くべきかな~と思ってたまちゃんと行くことにしました。

その代わりかわかみさん、わかはらさんにはお知らせしないことにしました。皆さん聞いてしまうと「いくべきか?」と悩まれると思うのです。知らなければ知らないで済む間柄なんですから。私達が代表でいいのではないかしらと思ったのです。

たかぎさんは今年は「お花見」には来られませんでした。去年のお花見の直ぐ後ぐらいに入院されたと聞いていました。「肝臓がん」だと聞いていました。とても痩せておられるとも聞いていましたので、もう駄目だろうな~と思ってはいました。

私は友人のお葬式に行ったことが無いのです。この度が初めてなんです。やはり同級生の死は心に重いです。

今日、私宛にいそがいさんから喪中のハガキがきました。娘さんを亡くされたのです。孫娘二人を残されて娘さんは他界されました。こちらも話を聞いていましたので、そうだったかと、逆さごとほど辛いことは無いだろうと思いました。中3と小4の孫娘さんを引き取って育てられるそうです。「今日も娘に語りかけたのよ。良くぞこの子達を残してくれたね、って」しんどいけれど、孫娘がいるからこれから、彼女は頑張れると思う。「母娘のいい時期がこれから始まると言う時期に先立たれて辛い」とも言っていましたね。「笑顔で会える日が来ると思うよ」貴女のその言葉を信じて待っていますよ、いそがいさん。


今の葬式事情なんですが、遺影のことなんです。その人の若くて奇麗だった頃の写真を大きく引き伸ばして、近影は小さく側に飾ってあったと言うのです。何故そんなことを? 私には理解できません。そして、ソレが好評だったと言うのです。私に話したせつこさんも賛成のようでした。私は紋付に首を挿げ替えた写真も嫌ですが、あえて若い頃の写真を飾るのも変だと思います。私は今の私でいいと思うのですが…。

今度は香典の話なんですが、受付で香典を差し出しますよね。そうするとその場で金額を確かめ、その金額に比例した物品(アズユーライクの様なノートかしら)を、その場でお返したお葬式があったそうです。勿論、香典返しは頂いた金額に応じた額をお返しするものなんですが、しかし随分と礼を欠いたやり方だと思うんです。「香典返し」が面倒なら「香典辞退」にすれば済むことではないですか…。

「遺影」と言い「香典返し」といい何だかおかしいですよ。何からそんな発想が生まれるのでしょうね。そうは思いませんか? 此処にも今の日本の「自由自由」が芽をだしているのかな~。
コメント (2)
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