ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

尼崎市菊花展

2008年11月12日 | 一寸そこまで





           一文字(いちもんじ)菊 (尼崎菊花展)       
              大菊の中で唯一の一重咲き
              御紋章菊とも呼ばれています


阪神尼崎の前で「尼崎市菊花展」が開催されていたので行って来ました。何時もは、唱歌の学校のお隣の西宮えべっさんの中にある菊花展を見に行っているのですが、先週と明後日はお休みするので時期を逸します。わざわざ見に行くのも億劫なので、近場の阪神尼に行きました。

お花の良し悪しは私には比べようが無いのですが、その展示方法が西宮の方が奇麗です。なんだか雰囲気が全然違います。あちらの方が菊を引き立てているように思います、数段上のお花に見え、こちらの飾り方はぞんざいでお花が貧相に見えます。これは残念なことです。


久し振りの川柳です。テーマは「老い」

       うなだれて息子の文句きく老獪

まだその経験は無いのです。まだ対等に逆らいます。でもいつかはその日が来るのでしょうね。其れは確実に自分の老いを認めた時でしょうね。

       「オイ」と「アレ」「ソレ」と「コレ」とで用が済み

先日もサウナの中でこの話が出たんですよ。奥さんが外出して帰宅した時のご主人との会話です「アレしといてくれた?」「アソコに寄ってアレ買うてきたか」「言われたソレ買って来たよ」人が聞くと何のことか解らない会話も、夫婦の間では代名詞だけできっちり伝わっているんです。不思議…。

       一日の8割以上さがしもの

本当にそうなんです。あっちにウロウロ、こっちでウロウロ、その内には自分が何故何をしに此処に来たかを忘れるんです。先日もデパートの始めての場所のおトイレで、さっさと歩き出してから、「???」どうもおかしい、こんな売り場知らない、エスカレータは何処?とウロウロ。とうとうもう一度トイレに戻ってやり直しました。ソレも1人でブツブツ言いながらです。老いの進行に愕然としました。

       戦争を伝える老いの数が減り

先輩達が次々と彼岸に渡られて、「アレはどうだっけ?」と聞こうにも聞けない。個人的なことはまだいいとして。受験の為の勉強の為に、歴史は近代史は習わないままと聞きます。勿論遠い昔も大切ですが、近い昔ももっと大切です。大東亜戦争についても語り聞かせる人が減っています。近ければ近いほど、その歴史は正確に学ばねばなりません。その人の生き方、考え方にも関わってくるからです。自国のことをきっちり正確に教えられてこそ、国を愛する気持ちも育つのでしょう。国歌、国旗を身近に感じる気持ちも育つと言うものではないでしょうか。

       高齢化主治医も俺と同い年

わが家のホームドクターも主人と同年代。間もなく引退されるかもと言う噂もチラホラ…。ご近所の他のお医者様は大方息子の代に変わっておられます。我先生も息子さんはお医者さんですからそうされる筈。又息子さんに引き継ぐべきと建て替えられた病院ももう何年過ぎたでしょうか。今は大学病院に勤めておられるのですが、中々止められません。先日読んだものでは、今大学病院の先生を希望する人が減っているそうです。だから中々止める機会が掴めないのかな~とも考えています。私としては、やっぱり今の先生に何時までも続けていただきたいのですが…。


   
コメント
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