ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

京都の美里

2008年11月14日 | 一寸そこまで






京都・美里に「尼崎市花いっぱいの会」から行って来ました。此処は私の憧れていた村です。役員さんに「今年は何処に行きたい?」と聞かれて、「美山」と答えた私です。行きたい場所ですが、一寸遠いので今まで行けないで居ました。

やっぱり山奥でした。山又山をバスは走りました。只この当りは京都の北部に当たる為「北山杉」(柱にする表面が滑らかな杉)が多いため、紅葉は少なかった。でも所々の紅葉に美里の紅葉に期待を抱かせた。窓に流れる風景は「遍路」で歩いた、四国の風景と酷似していた。似通った田園風景あり、似た分岐点あり、川の流れと遍路で見た風景を思い起こさせた。

    

美里の紅葉は私の目には薄いように感じたが、ガイドの地元のおじさんに言わせれば、「これで最高だ!」そうです。バスを降りると、田舎育ちの方だろう「わ~懐かしい!昔、私の田舎もこうだった!!」と叫んでおられた。

やっぱり田舎は似ているんだと思った。では都会はどうだっろう似ているのか?やっぱり生活のある小路は似ているのかもしれない。

ガイドさんが家のつくりについて、白川郷との違いについて話してくださった。
白川郷          美里
合掌つくりの3階建て   入母屋つくりの平屋
家の中の壁土壁      板壁

記憶を呼び起こしてみると、此処は小さな家が引っ付いている感じ、白川郷は家自体も大きく孤立して立っていると言う感じです。

年々茅葺師も減ってきたし、屋根自体が持たなくなってきた。南向きは20年、北向きは17年ほどしか持たない。昔は40年持ったそうでだ。

屋根の材料の萱自体いいものが無くなった。萱は細いものがいいが、手にかけて育てられた萱は太くて弱い。 又酸性雨の影響だと言う学者も居る。

もう一つ大きな点は、囲炉裏やおくどさんで煮炊きをしてし無くなった。長持ちの条件であった、萱を煙で燻すことが無くなったのが一番の原因だという。

「お陰さまで、国からの補助が降りているので、どうにか茅葺屋根が保てている。そのお金は元を正せば皆さんの税金ですから、皆さんに支えられているようなものです」と言われた。上手い事言うね~。

 
     放水銃:普段の形             右:開いたところ

珍しいと思ったのは「放水銃」一家に一台の消化器です。火災が起きた時、川から引いた水の水圧で蓋が開き、放水を始めるそうです。一年に一度点検の為、一斉放水する。今月末にあると言われた。そんな時に出会いたかった。

憧れていた美里、もっと規模の大きな村だと思っていました。一軒内部を見せてくれる家がありましたが、お茶をいっぱい頂くだけで300円。これは一寸高いですね。やっぱり山里は山里らしい見学料にしていただきたい。「あ~、此処も儲け主義だ!」と感じてしまい、田舎の人情や、素朴さを求めた私には残念な感じでした。




コメント
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