ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

大学で「高校の復習」?

2008年11月16日 | 新聞から





          管ものの菊 (08-11-12 尼崎市菊花展)
            昔はこの「管もの」が好きだったが
        近年は「厚もの」がだんだん好きになってきました


昨日の夜から雨が降り続いて気温があがっている。花を見廻ってみると、小さいながら「チョコレート・コスモス」が花を開いているし、「金の成る木」ににはいっぱいの蕾が付いていた。「まゆはけ万年青」の蕾もあがってきた。私は蕾の今、シールと言う状態のこの花形の時が1番好きなのです。


一ヶ月ほど前ですがこんな記事がでていました。「高校復習」に補助金は愚策」
『文部科学省は、大学が新入生に対し高校の授業を復習させる為の補習授業を行うなら補助金を交付する方針だ。平成十八年度の国公私立大学の33%(234校)が高校時代の補習授業を導入しているからだと言う』

入学試験は何の為にあるのでしょうか? 何を基準に入学を許可しているのでしょうか? やっぱり今の教育制度や受験制度はどこかおかしい。

一応受験をパスして入学してきたのに、どこが何が足りないのでしょう。高校の授業が理解できなかったと言うことですか? それなのに入学できたと言うことは信じられません。又それだからといって、員数合わせの為に入学を許可した大学が、復習させているからといって補助金を出すなんて、文部科学省も何を考えているのでしょう。

今は大学の数が多すぎて、全員入学できるようです。それゆえに尚更良い大学は競争が激しくなり、平均以下の大学は出来なくてもいいからと員数合わせをした結果では無いのですか? 結局は粗製乱造された大学が潰れない為の、先生たちの生活保障のためではないのですか?

おまけに「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」の言葉通り、勉強する為に貸し与えられた奨学金を(忘れることは無いでしょうが)返金しないと言う非常識な厚かましい人間を育ててしまうのです。

他の人はこう言います『高卒レベルの学力がない学生を入学させなければ経営が成り立たない大学はそもそも存在する意義がない。補助金をカットし、淘汰すればいい。高校の補修は高校でやるべきだ。学力も向上心もあるのに家庭の経済的事情で進学を諦めたり、高校中退を余儀なくされている若者が増えていると言う。彼らにこそ支援するべきだ』

入学したい人は全て受け入れ、その代わり卒業資格を厳しくするほうがいいのではないでしょうか。社会が大卒に求めているのは、専門的知識を身に付け、即戦力になる人物ではないのですか。弁護士と医師や教師だけが国家試験を受けるのではなく全ての学部で最終的に国家試験をとなれば、遊ぶ為、おしゃれの為にバイトに励む学生は減るでしょう。そして学生とは勉強するものと言う昔に戻って欲しい。

それで無ければ、今度は大学卒新入社員を教育しなおさなければならなくなるのではないでしょうか。

大学にいって、専門的なことを学びたいという学生と大卒と言う肩書きだけを望んでいる学生との比率は如何なんでしょうね?

何はともあれ、大学での「高校復習」に補助金を出すなんて考えは止めていただきたいものです。 
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