大阪に向かう飛行機 到着便の荷物の積み下ろし
何?黒い塊?修学旅行生でした 初めて見た「蕎麦とおぜんざい」のセット
11月24日
伊丹から鹿児島に飛び4泊しながら、日豊本線を北上し、小倉から「のぞみ」で帰ってきました。
九州の青空は関西の空より青いように思いました。空気も澄んでいるような…。只暑かった。寒いと着込んできた上着は脱ぎたいけれど、荷物になるので、ふ~ふ~いいながら着ていました。
辿った九州の食べ物の甘さには閉口しました。幾度と無く訪れている土地ですが、こんなに「甘」かったかしら…。お醤油自体が甘いんですね。写真のように「おぜんざいと蕎麦」がセットになっていたのには笑い出しました。甘いもの大好きな私ですが、「蕎麦」の次に「おぜんざい」を食べたいと思いませんよ。「所変われば品変わる」ですかね~。
「甘い」のは、昔「砂糖は貴重品だった。鹿児島は密貿易?で豊だったので、その印に、食べ物に砂糖をいっぱい使った。その名残りで甘い」のだそうです。
それと量の多いのにも驚いた。鹿児島だけではない、昼食を5回食べたのですが、どこでも吃驚するような量だった。セットは最初で量の多さで懲りたので、単品を取ることにしたが、それでも私達には多かった。
ホテルを決める時に、料理の写真で10品以上の宿には泊まらないようにしたつもりなのに、「美味しい」から食べたいのだけれど、次が食べられなくなるので、半分ぐらいで止め無ければならなかった。5.6品もあれば充分なのに、次々と出てくる。これは量の多さと言うより「私達が年齢的に多くを食べられなくなったからだろう」と話した。
近頃の日本の旅館の品数の多さは何時頃からだろうか? 昔はこんなに多くは無かったように思います。これからはバイキングの宿を探そうかと思います。
別府の宿で、売店で話した方はツアーで来た千葉からの姉妹だそうで、お料理はバイキングだったと言っていました。私達は個人ですので、一品ずつ出てきますし、会場も違いました。朝食はバイキングでしたので嬉しかったです。個人客でもコースとバイキングを選ばせてくれるといいのにな~と思いました。
従妹の家に直行しました。飛行場から近いからです。去年から此処「隼人」も「きりしま市」と地名変更になりました。行政の管轄の為でしょうが、安易に町名変更をしますが、地名には、それなりの理由があって名付けているのですから、余り変えないほうがいいように思います。元は「姶良郡隼人町」でした。「薩摩隼人」に関係あるのかな~とか想像できますよね~。
早速お向かいの従弟の弓道場に行き弓を曳かせてもらうことになり、97歳の方の「柔らかい弓」を借りてきてくださいました。テレビの中で、元モーニング娘の方が曳いていたのもこの弓だそうです。
先日のNHKのBSテレビは15分間撮るのに当日40人のスタッフが来て大変だったそうです。それだけではなく、準備、打ち合わせと8月から再々スタッフの出入りがあったそうです。私達が行ったその日に再放送があって、もう一度従姉妹たちと見ました。従姉妹達は現場にいたので、テレビで見るのは初めてだったそうです。
始は矢を番えないで教えていただきました。勿論胸当てもしました。弓を曳くにはまず、頭上に差し上げてから、下げながら左右に曳くと、良く曳けると教わりました。これが案外「柔らかい弓」なのに力が要ります、思いっきり曳けなくても、ぶるぶると腕がふるいます。とても姿勢が良くなるような気がしました。
主人が「やっぱり矢を番えないとな~」と矢を持ち出してきました。弦に矢の切込みを合わせ矢を曳きました。生まれて始めての経験です。ワクワクしました。写真を見るともっと思い切って腕を引かなければならないことが良く解りました。
次は主人の番です。「昔取った杵柄」聞いてないで~とかで、様になっているようでした。義父の弓を曳く写真は何枚もありますが、主人のはありませんから知りませんでした。
夕食には従兄弟達と昔話に花が咲きました。この夜が第一目的の今回の旅ですから、私も飲みすぎる主人を止める事無く、ぐ~っと我慢の一夜でした。
食事のことですが同感です。量少な目のシルバーランチを売り出すべきと思います。
六地蔵窯のお手伝い、売り出し順調でよかったですね。
中学生はカーボンの弓を使っているそうですが、高校では如何なんでしょうね。中学の大会で優勝した女の子が、テレビ当日初めて竹の弓を使いましたが「とっても曳きやすい」といっていましたが…。
人間国宝を拒否してのは叔父で、その子や孫の弓は如何なんでしょうね?