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ニュースより:「人工知能学会、物議の学会誌表紙についてコメント……「女性差別の意図はない」」

2014年01月13日 | 王様の耳はロバの耳
見かけて気になったので。

人工知能学会、物議の学会誌表紙についてコメント……「女性差別の意図はない」

[引用]
 人工知能の研究を進める一般社団法人「人工知能学会」の学会誌2014年1月発行号の表紙イラストが「女性差別ではないか?」とネットを中心に議論を巻き起こしている。9日、同学会は騒動に対して「女性差別の意図はない」と見解を発表した。
[引用終]
他、「人工知能学会の表紙は女性蔑視?」

当の学会誌を読んでいませんが、「この表紙は性差別だ」と表紙を見ただけで言ってる人に対しては、簡単に回答できるはず。

まずこういうのは「対象を他の物に置き換えたらどうなるか?」を試すと分かりやすいです。
この場合、「箒を持ってる女性」を「男性」や「少年」、「老人」に置き換えてみましょう。
奴隷(もちろん性的なものも含めて)は女性だけに限った話ではありませんので、おかしな置き換えではないはず。

これに対し、考えられる反応は二つ。

【①「描かれてるのが男性だったら性差別ではない」派】

おかしな話です。
男性の奴隷だって女性に劣らず大勢いたのですから。

ここで「人工知能学会は男性が多いので、女性に対して差別的な感情を持っているはずだ」と言い出したら、根拠と結論が逆転しています。
「表紙に女性を描いてるから女性差別だ」だったはずが、「女性差別してるから女性を描いたんだ」になってしまう。
もはや言いがかりでしかなく、むしろ「男性は女性差別をしている」という『男性差別』をやっています。

【②「描かれているのが男性であっても差別だ」派】

筋としては①よりも通ってます。
ですがこの場合、「人型をしたロボットを作ること」に対し、「気持ち悪い」と反発していることになります。
だって女性かどうかは本質と関係ないのだから、性差別ではない。
あえて言うなら人権とか人道とかそういう方面の問題。


よって①と②のどちらであっても、「性差別だ」という批判は的外れとなります。

「生理的に受け付けない」と感じること自体は自由なのですが、「どうして自分は受け付けなかったのか」の理由を、当の本人も勘違いしていると、お互いにとって不幸だと思うのです。
①の人なら無根拠な男性不信、②の人なら人型ロボットに対する嫌悪(女性型かどうかに関係なく)。
どちらにしても「表紙が性差別かどうか」は問題の本質ではないのだから、そのような批判をしても問題は悪化するだけのはず。

この手の混乱は私も気を付けたいと思った。


【蛇足】

あと、この表紙絵を描かれたのは女性だそうで。
「男が多いから、男の発想で描いたんだろう」といった決めつけの怖さも教訓ですね。
事実だと確証の取れない部分を、推測で批判するのは本当に危険。

【蛇足2】

上記の諸々に目を瞑って、あえて書くなら、そもそも箒をもってる女性を描くことの何が女性差別なのかが分かりません。
では、安全ケーブルつけて高所作業やってる男性を描いたら、「男を仕事に縛り付けたい妄想の現れ」と感じるんだろうか。
家事=虐げられていることの象徴と考えること自体、主婦および主夫への酷い差別です。
また、現実には共働きを希望する男性が多数いることも考えると、「男の願望=家で家事をさせていたい」なんてのは、既に架空の妄想に近いのだと思うのです。

【蛇足3】

こういった話題だと「差別だと思う人もいるから配慮が必要」と言われがち。
でもそれは、すなわち「差別である」と確定していないと認めてるのと同じです。
だから差別だと批判するためには、証明が必要になってきます。

例えば学会誌本文に「女性は本来男に仕えるべきだから、ロボットは女性型にしたい」と書かれているとか、表紙イラストのロボットが性的に際どい造形をして首輪をしているだとか、「アイヌの民族衣装を着た女性」といった何らかの意図がなければ選ばれない珍しい題材だったとか、そういった「差別だと思う人ばかりだ」となるような根拠があるなら、説得力があります。
(このような場合なら、上記の「置き換えてみたら」がそもそも成り立たない。「女性である」ことに強い意味があるのは明白なのだから)

単純に「『私は』この表紙が嫌いだ」と主観による批判なら良いのですけれど、「差別をしている」と相手の意図を基にした批判をしようと思ったら、「そう思う人もいるから」では賛同を得るのは厳しいと思う。
コメント
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