豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

緑の書

2001-10-24 21:10:03 | Weblog
10月24日(水) 快晴

10月24日(水) 快晴

  シュノーケリング講習会

1ヵ月後には太平洋に入ります。南太平洋ではシュノーケルを使いこなせないと、珊瑚礁の熱帯魚と友達になれません。プールでは初心者のためのシュノーケリングの講習会が開けれています。でもね、浮き輪でシュノーケルは意味がないんじゃない

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緑の書

「議会は民主主義を歪曲するものである」とカダフィは言う。「人民の代表と言うのはありえない」と間接民主主義を否定する。それなら直接民主主義とは何かと言えば「いたるところに委員会、人民会議を」と述べ、「人民会議なくして民主主義はない」と断言する。そりゃ間接民主主義より直接民主主義のほうが優れていることは万人が認めますよ。だけど議決の具体的方法を示して下さらなければ・・・。

「習慣と宗教という2つの根源を離れて制定された法はすべて無効である」「法は制定されたり成文化されたりすべきではない」「自然法こそ理にかなう」つまりイスラム聖法で行くということだ。

カダフィは社会主義を標榜する。しかし衣料、食料、住居、乗り物だけは私的所有を認める。資本家は存在しないので、企業の賃労働者は共同参加者なのだそうだ。そして社会主義が発展すると、権力と富と武器が平等に配分され、最終的には利潤と貨幣が廃止されると説く。彼の緑の共産主義は楽観的に過ぎる。

歴史を動かす原動力は、社会的要因が政治的要因を凌ぐ。その主体である集団とは必ず民族的関係に根ざした恒常的なものである。従って、民族闘争こそ新の社会闘争であり、歴史を動かし、世界を変える力である。その主体たる集団は「血と出自」により連帯責任を負う運命共同体である。ゲエーッ!かなり怪しくなって来た。

「人類的連帯は国家と無縁であり、家族がその基本である」その連帯とは次の通りになるらしい。「家族―部族(大家族)―民族(国家)―大民族(世界)」結束力は左に行くほど濃密で、右に行くほど希薄になる。これは自然の摂理である。「民族は1つの宗教を持つべき」であるし、「結婚は同じ民族内で行われれば集団の結束は強まる」何じゃ、これは!

「男女は同権である」が、それぞれ役割がある。避妊はいけないし、子供は母乳で育てなければならない。託児所は原則禁止だ。

「教育、芸術、スポーツに文化革命が必要である」健康とリクリエーションの観点から見るスポーツではなく、参加するスポーツが奨励される。ボクシング、レスリングは禁止だ。

人類の文明は黄色人種から始まった。白人が次に世界を支配した。未来は黒人が統治する。ほんまかいな。

カダフィはかつて次のように言った。「コーランには、女性に対して自然な美しい部分を隠せとは規定されていない。だから、やがてリビアの女性たちは神が命じていない不自然な束縛から解放されるであろう」これだけでもよろしく頼みますよ、カダフィさん。トリポリの女性のほとんどはスカーフをかぶっていた。



読書「緑の書」 カダフィ

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