豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

置いてきぼり

2001-10-04 20:56:23 | 海外旅行
10月4日(木) 快晴

 モンバサ病院

一昨日プールに転落して右肘を脱臼したH君。船内で整復は無理なのでギプスで仮固定。午前中に付き添ってモンバサ病院へ。1泊2日の入院で、全身麻酔で整復の上、明日退院の予定。この病室はスイートタイプでオーシャンビュー。専属のコックが夕食の肉の焼き加減を聞きに来るくらいだから、食事もいいに違いない。できればH君に代わって入院したいくらいだ。


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    置いてきぼり

I氏はナイロビの病院ではなく、現地の病院で診てもらうことになった。JG責任者の平沢と保険会社の協議の結果そのように決ったとのこと。午前、Iをモンバサ病院に付き添う。そのまま入院となる。PBスタッフ井上が付き添う。熱帯病や難病・奇病でなければ地中海で合流となろう。

午後、小幡とシーメンスクラブでメールチェックの後、マタトゥーと呼ばれる私営バスに乗って市内観光に出かけた。ワンボックスカーを改造して15人くらい乗れるようにした代物で、料金は10ケニアセント(18円)で、降りたい時には車体を2度ノックする。運転手と車掌の2人組で、街のボスから1日単位で車を借りて運行している。商売敵が多いので客引きにも熱が入る。停車するたびに車掌役は大きな身振りと大声で客を呼び寄せ、金を受け取り、発車寸前の車のドアーにしがみつきながらも通行人に向かって行き先を叫んでいる。道路はあちこち舗装が壊れている。オールドタウンはモスクが多く、アラブ風の作りの家が並んでいる。女性は黒いブイブイを身につけ、男性はコフィアと白い回教服のいでたちが多い。

21:00 モンバサ出航。




読書「パレスチナ」 広川隆一



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