豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

旅と日常性

2001-10-09 20:59:48 | Weblog
10月9日(火) 快晴

正装は恥ずかしい

毎日の夕食はコースメニューですが、服装は自由です。2週間に1度くらいのフォーマルディナーは正装しないといけません。船内で普段の僕は、仕事中は白衣姿で、自由時間はTシャツにGパン姿です。日本では冠婚葬祭の付き合いは極力避けていたし、オーストラリアでは1度も正装をしたことはありません。背広を着るのは何年振りでしょうか。ネクタイなんて死刑執行人が発明したんじゃないのですか?

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    旅と日常性

東京を出航して1ヶ月が過ぎた。104日の船旅のうち30日を消化しただけかもしれない。今年の春、31日間アメリカを旅した。しかし3ヶ月以上の旅は初めてだ。

僕は8月19日にオーストラリアから東京にやって来た。定宿の新宿南口のフォーチューン・ホテルを長期契約し、シドニーから持ってきた荷物と、東京の日通のトランクルームから引き出した荷物に囲まれての出航を待った。西口の電気街でPCの調整をしたり、高田馬場のPB事務所に顔を出したり、渋谷で買い物をしてはまたホテルに戻る毎日だった。仕事が一段落した時には谷川岳や尾瀬に出かけた。東京には15年住んで、新宿はいつも来る場所だったので、非日常性を意識しなかった。

9月8日に乗船すると、ホテルの部屋と同じくらいの広さのドクターズキャビンがあてがわれた。船内には生活に必要なものはほとんど揃っていた。レストランでメニューを眺めながら、何を食べようかなどと思い煩うこともない。飛行機の時間を気にしながら空港に駆けつける必要もなければ、狭いシートで窮屈な思いをしなくても良い。ノンビリとくつろいだ気分だ。寄港地で観光や買い物が済んで船に戻ると我が家に帰った思いがする。

船旅は自分が目的地に行くのではなく、目的地が自分の方にやってきたような錯覚がある。

飛行機だといきなり異国に到着するが、船はゆったりと異国が近づいて来る。

旅の非日常性と緊張感が好きだった。だが船旅は日常性の延長で、違和感も気負いもない。日本と異国が陸続きになったようだ。船から岸壁に一歩足を踏み出すとそこは外国だが、一歩戻るとまた日本という奇妙な世界だ。日本を出て海外にいるはずなのに、航海中は相変わらず日本にいて、寄港地で少しの間異国に足を踏み入れては、また日本に戻るといった生活だ。

年配の乗客はツアーからオリビア号に戻ると「ああ、やっと我が家に戻った」と言う。既に船や自分のキャビンや同乗者や乗務員に強い愛着を抱いているのだ。12月23日に船を下りる時の感傷はいっそうであろう。飛行機ではこうはいくまい。空港で「私の747よ、さようなら」と涙を流す人はいない。

僕にとってもオリビア号は住まいでもあり、職場でもある。2人の看護婦やスタッフは仕事仲間である。協力して船旅を運行しているとの意識がある。部屋の掃除をしてくれるウクライナ人のスチュワデスやレストランのウエートレストにも仲間意識をもっている。乗客は友達でもあり、患者でもある。しかし僕にはやはり少し醒めた部分がある。20年以上慣れ親しんだ家やクリニックを何の未練もなく捨てることのできる僕である。僕の心には昔から家庭や祖国のよどみはない。ナショナリズムのかけらもない。



読書:「ヨーロッパ退屈日記」 伊丹十三

コメント
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