ウオーキング、体操…運動しても「不足感じる」7割超(朝日新聞)
運動をする人は増えているが、7割を超える人が自らを運動不足と感じている――。内閣府が21日公表した「体力・スポーツに関する世論調査」で、そんな結果が出た。
この1年間、何らかの運動を行ったと回答した人は、前回06年調査から3.2ポイント増の77.7%で過去最高。一方、運動不足を「大いに感じている」「ある程度感じている」と答えた人は計73.9%で、前回から6.3ポイント増えた。運動の内容(複数回答)では、トップは散歩などの「ウオーキング」(48.2%)。ラジオ体操やエアロビクスなどの「体操」(26.2%)、ボウリング(15.7%)が続く。
今回の結果について、文部科学省スポーツ・青少年局の担当者は「健康情報が多くなり、国民の運動への意識が高くなっている」と指摘する。
調査は79年以降、ほぼ3年ごとに行われ、今回は9~10月に全国の成人3千人を対象に実施。回収率は64.2%だった。
運動をしていると回答した人は3.2%増加して過去最高を記録したのに、運動不足と感じている人は6.3%増なのだそうです。運動している人が増えたのなら運動不足を感じている人が減っても良さそうなものですが、逆の結果になっていますね。凶悪犯罪が減れば減るほど「治安が悪化している」と考える人が増えるのと同じようなものでしょうか。自分の状態を正しく把握できないのはいつものこと?
まぁ「運動不足を感じる人が増えた」から、「運動する人が増えた」とも言えるわけですが、何故そこまで運動不足を感じるのでしょうか。「運動しなきゃいけない」みたいな強迫観念に駆られている部分もあるような気がします。そもそも運動したかどうか、運動が不足しているかどうかに関わらず健康であれば問題なさそうなものですけれど、それでもとにかく運動しなきゃ、と言う思いが強いようです。
学力調査の結果なんかですと、しばしば諸外国との比較が引き合いに出されるのですが、体力テストの結果が他国と比較されたケースは寡聞にして見たことがありません。探せば見つからないことはないのかも知れませんが、それがレアケースであることに異論はないと思います。そこで学力は外国と比較したがるのに、体力に関しては日本国内で話が完結しがちなのは何故なのでしょうか?
参考、体育会系社会だし
上記リンク先のエントリで、いくつか仮説を立てたことがあります。「日本以外では全国レベルの体力測定なんてやらない=比較できるデータがないから」「(体力低下という)危機を煽るには都合の悪い結論(=日本人は体力がある)が導き出されてしまうから」などと推測してみたのですが、いかがなものでしょう、日本だけが突出して「運動しなきゃ」という強迫観念に駆られているとしたら、日本だけが体力テストに熱心という可能性も高そうですよね。
こちらでは2007年時点での意識調査を取り上げました。何でも中国や韓国と比較して日本の子供は勉強に対する意識が低いそうです。その代わり以下のような回答が日本の子供には目立ちました、すなわち……
あなたはどんな友達が好きですか?
―――スポーツがよくできる人
あなたは学校の授業が終ると、だいたい何をすることが多いですか?
―――学校で友達とスポーツをしたり、遊んだりする
あなたは休日にはたいていどんなことをしますか?
―――スポーツをする
この夏休み、あなたは次のことをしましたか?
―――スポーツクラブに参加した
あなたはどのような人間になりたいですか。
―――スポーツのよくできる子になりたい
まぁ子供相手の調査ですけれど、大人になったら逆転するということもないですよね。むしろ日本人は運動不足であるよりも、過度に運動を重んじているだけなのではないでしょうか。「健康情報が多くなり~」ということですが、誤った健康情報に踊らされているだけのような気もしますし。治安悪化神話に基づいて誤った対策を立ててきたように、「運動不足神話」に基づいて怪しげな民間療法に狂奔するような羽目になっていなければいいのですが。
あ~、どう見てもそっちの方が確実に不足してますよね……
ていいますか、これからはどうだか知りませんが、今の時点では日本人は平均寿命が世界でトップかそれに近いのだから、運動不足だとしてもそれは健康と必ずしも直結しないかもしくはすでに十分な段階にあると解釈するほうが妥当なんでしょうけど、たぶん「運動、運動、運動」という脅しはこれからも続くのでしょうね。
わたしも同意します。ただ、介護員さんのご指摘の事柄は法思想や労働法の範疇のことだとみうけますので、貝枝の関心事をつけくわえるなら、合法ではあっても経済活動の効率の向上にやくだたない企業内の慣習をあつかう分野として経営社会学とか労働社会学についてもおおくのひとに知っていただきたいです。
>本文記事について
>「運動不足神話」に基づいて怪しげな民間療法に狂奔するような羽目になっていなければいいのですが。
まったくもって同意します。『たたかいの社会学』(三元社)がオススメです(とっくにおよみかもしれませんが)。
ただ、どうしても運動不足が気になるひとのためには『漢方と暮らす。』(幻冬舎)の144ページ以降にある様な軽微な体操あるいは『暮らしと健康』(2009年12月号)の54~7にある様な範囲での運動なら害はないとおもうので、そのくらいの運動にとどめる様おすすめします。
…という風に、どうしても運動不足が気になるひとに対しても運動をしすぎない様に忠告せざるをえない状況が、すでに末期的である気がしますが……
何らかの事情でほんの少しでも運動が出来なかったり健康管理さえもままならない人々までも自己責任の彼方に追いやられるのかという気持ちにさえなります。
運動も健康管理も強制されず、かつ自分が思ったことをやっていこうと個人的には思っています。
「失敗は許さん!自己責任!」みたいなw
こんばんは。
僕は毎日、肉体労働をしています。同僚に自称、趣味スポーツ全般を名乗るスポーツ馬鹿がいるんですが そいつが本当にうっとーしくて「休みの日も運動しろ」と僕に忠告してくるんです。 僕が「仕事でじゅうぶん体を動かしてるよ」 と言い返すと、 スポーツ馬鹿は決まって「それは仕事でだろ。プライベートは別問題」なんてぬかすんです。 なんだかインドア派の人間にとって とっても生きづらい世の中になってますよね。
なんだか、記事にコメントしているというよりも愚痴を聞かせているみたいになってしまい申し訳ございません。そんな私の夢は独り暮らしして、これらをやめることです。(笑)
スポーツは出口のないストレスの捌け口に使えます。
そうなんですよね、過去に他国の学校カリキュラムなどを並べて論じたこともあるわけですが、日本の場合はここまで学校体育が充実していたりと、むしろ日本人の方が運動しているのではないかと推測できる材料の方が多いと思います。それでも運動したがるのは……ある種の病気でしょうか。
>貝枝五郎さん
そもそもスポーツは体に悪いという人もいるくらいですからね。運動で体をこわす可能性も見知って欲しいところです。
>ヒイロさん
「運動すべきである」「運動して健康になるべきである」みたいな価値観の押しつけはありますね。健康なら無理に運動などしなくとも、とはならないようです。
>やすさん
まぁ、「運動不足」という自己責任に落とし込む下地はできていると言えますね。
>体育会系の夢は終わったさん
本当のアスリートは、仕事で体力を消耗すると練習に差し支えるという理由で肉体労働を敬遠する場合が多いとも聞きますね。ご同僚はスポーツマンではなく、ただ単に体を動かす、運動するということに自己満足しているだけなのでしょう。
>GXさん
特別に運動などしなくとも、日常生活の中で色々と体を動かしている人もいると思うんですけれどね。私なんか家から駅までがかなり遠い上に坂道ばっかりのところに住んでますから通勤自体が結構ハードですし。それでも、個別に運動したがる、させたがる人は多いんですよね。
>2823さん
今日のエントリにも書きましたが、日本社会自体は高度な教育を受けた専門性の高い労働者よりも、単純作業向けの低賃金労働者を欲しがっているところがあるんですよね。そうなると、運動好きで健康(余分な体力がある)人こそ最適なんでしょうか。