菅家さんの記述を削除=HP上の警察白書から-警察庁(時事通信)
栃木県足利市で1990年に4歳女児が殺害された事件で、警察庁は12日、この事件で逮捕された菅家利和さん(62)について過去の警察白書で記述した部分を、「不適切だ」としてホームページ(HP)から削除した。同庁によると、過去の白書を大幅に見直すのは初めてという。
菅家さんは無期懲役が確定して服役中の6月、無罪の可能性が高まったとして釈放された。
同庁によると、削除したのは92年版の白書で特集した「ボーダレス時代における犯罪の変容」と題した章の一部。地域社会の人間関係の希薄化に関する記述の中で「足利事件」を例に挙げ、菅家さんの生活ぶりなどを匿名で紹介。「本人の自供によれば過去にも2人の幼女を同様に殺害している」とも記していた。
警察白書なるものが公開されているのですが、その92年版(平成4年版)では事例として足利事件が取り上げられていたようです。DNA鑑定の結果、冤罪である可能性が極めて高いことがわかり、およそ17年ぶりに被疑者が釈放された事件ですね。警察権力との関係を考える上ではきわめて重要な事件となったわけですが、なんと白書の記述を一部とは言え削除してしまったそうです。無罪である可能性が限りなく高いだけに、その被疑者に関する記述は「不適切だ」と言うことのようですが、う~ん、その対応こそ不適切ではないでしょうか。
たしかにまぁ、匿名とは言えほぼ間違いなく無実であろう人を犯罪の事例として取り上げ、取り調べ側が強要して言わせた疑いの濃厚な「本人の自供」を掲載し続けるのは、問題のある行為なのかもしれません。しかし、掲載後すぐに訂正するのならいざ知らず、17年前に書かれた資料を今になって書き換えるのは、ある種の修正主義に近いような印象を受けます。不名誉な過去は「なかったこと」にしてしまうような発想ですね。
たぶん、警察庁が17年にわたって流し続けてきたことは記録として残しておくべきで、後に不適切であったと判明したものに関しては、注釈をつけるなどした方が望ましいのではないでしょうか。個人ならいざ知らず、これは公的機関のことなのですから、たとえweb上のこととはいえ、警察機関の誤りを抹消してしまうのは好ましいことではありません。警察側が操作を誤ったことも含めて、記録に残しておくべきです。「事件当時はこのように書いてしまいましたが、事実は○○でした~」とでも訂正したことを明示しておけば済む話でしょう。それなのに、こっそりと記述を削除してしまう、被疑者に配慮するフリをして自分の失敗を隠蔽しようとしているのなら、それは非難を免れないことであり、冤罪を発生させたことへの反省をも疑わせる行為です。
間違いがあってはならないけれど、間違いを0にすることはできない、ならばせめて、間違いをなくそうとする姿勢が問われますよね(医療過誤なんかでも同様でしょうか)。そうであるだけに、今回の誤りを「抹消する」という姿勢、大いに疑問を感じさせるものです……
国民の身体や自由を拘束できる権限を持っている警察には、決して間違いはあってはいけない。しかし、神ならぬ人間の組織であるから、いくら警察でも間違うことはあるはず。
誤りは誤りとして認めて、今後同様の誤りが起こらないように改善を行うことこそ肝心であって、過去の記録を抹消して沙汰止みにすることは問題であると思います。
いくら記録から抹消したところで、過去に行われたことがなかったことになるわけではないですからね。過去に問題があったとしても、そこは認めて今後への対応方針でも明らかにしておく方が誠実な対応だと思うのですが、どうもそうしたくない人がいるようです。
まさにそのとおりですね。今回は、警察も検察も、完全に全面降伏のようなかたちで引っ込みましたが、冤罪のタネは今後も尽きることがないのですから、ここは注釈をつけて閲覧できるようにするのが筋でしょう。
先日私がコメントした自民党の北朝鮮への対応もそうですけど、不名誉なことは黙っておくという姿勢は、やっぱり良くないですよね。