非国民通信

ノーモア・コイズミ

人はパンのみに生きるにあらず

2008-09-29 23:02:46 | ニュース

「食料自給率40%」の虚構さえ見抜けぬマスメディアの不勉強【野口悠紀雄コラム】(ダイヤモンド・オンライン)

(1)食料自給率の引上げが必要?

 まず、通常使われる「カロリーベース自給率」という指標に問題がある(「自給率が40%を下回った」というのは、この指標で見た場合である)。たとえば、鶏卵の96%は国内で生産されるが、飼料を輸入しているために自給率は5%とカウントされている(食生活情報サービスセンターのウェブサイトにある「食料自給率とは何ですか」を参照のこと)。生産額ベースでの日本の自給率は、現在70%程度である。

 自給率の引上げだけが目的なら、パン食をやめて米だけを食べ、飼料を国産すればよい。しかし、そうすれば、食生活は貧しくなり、肉や牛乳のコストは著しく上がる。自給率が低いのは、日本人が豊かな食生活を実現している証拠である。

 穀物価格の高騰が続くと、「食べものが手に入らなくなる」と脅す人がいる。しかし、現在の主要な穀物輸出国では、自由主義経済体制の下で農民がコマーシャルベースで生産を行なっている。だから、仮に輸出国の政府が戦略的輸出制限を長期にわたって続ければ、困るのは輸出国の農民である。

 「自給率引上げが必要」というプロパガンダは、米をはじめとする一部の農産物に対する非常識なほど高い関税率を正当化する社会的雰囲気を作るためのものなのに、日本の消費者はまんまとだまされている。

 野口悠紀雄にはあまり良いイメージがありませんでしたが、今回のコラムはなかなか面白いですね。その中からピックアップしたいのは、表題にも掲げられた食糧自給率の話です。まず指標に問題があると指摘しています。なんでもカロリーベースだと40%を切るようですが、生産額ベースでは70%程度だとか。世に膾炙しているのはカロリーベースの数値ですね、低い方が「採用」されているわけです。悲観的な数値で危機を煽った方が、日本では何かとウケがいいからでしょうか。

 ダイエットと言えば単純に減量を意味し、ヘルシーと言えば低カロリーを指す、むしろカロリーを「悪」と捉えるような社会である日本で、カロリーを基準とするのも考えてみれば不思議な話です。栄養がある=高カロリーの餓えた国家ならいざ知らず、できるだけカロリーを押えようとしている社会なのに。まぁ、それでもカロリーベースが採用されるのは、できるだけ低く数値を算出したい思惑があってのことなのかも知れません。生産額をベースにして「日本の食糧自給率は70%」と語るよりも、カロリーをベースに「自給率が40%を切った」と訴えかけたい、安心よりも不安にこそ需要がある社会ですから(殺人事件が戦後最低を記録したと発表するよりも、刑務所が一杯だと語ることが好まれるように!)。

 まぁ文明から見放された閉ざされた国家、あるいは頑なに殻に籠もった独裁国家ならいざしらず、現代において自国だけで何もかも賄おうなどと考えるのは非現実的です。いかなる商品も、必ずどこかで外国が関わってくる、提携もあれば依存や搾取もあり、いずれにせよ他国との関係を抜きにして存在しうるものではありません。食料だけがその例外であろうはずもないわけですが、不思議と食に関しては時代錯誤の一国主義的な発想、排他的なナショナリズムが横行しやすいところでもありますね。(参考

 自民党議員(及びその支持層)が「国際社会への貢献」と言ったとき、その「国際社会」とは日米関係を指すわけですが、普段はこうした言動に否定的な人でも、食糧問題を語り出すと「国際社会」=「日米関係」になってしまう人もいますし、そこから「隣国に脅かされる日本」像を創り出してしまう人もいます。そうでなくとも、「日本人は(他の国民より)優れている」なんて言説には眉をひそめる人が、「日本食は(他の文化圏の食事より)優れている」などのヨタ話には驚くほど鈍感であるばかりか鵜呑みにしているケースも少なからずあるわけです。(参考

 私のようなグルメ……とは言わないまでも、コスモポリタン的な好みの持ち主からすれば、その国の食材、その地域の食材しか食べられなくなること、地産地消など悪夢でしかないのですが、「日本食さえあればいい」「日本食を食べればいい」的な価値観の押しつけも少なからずあるような気がします。

 あるいは、日本社会の自立志向の強さもあるでしょうか。「自立しているかどうか」で人間を選別する社会ですから、そうした人間観がそのまま拡大して国家観になると、「自国だけで賄うのが理想」とする一国主義的な発想に辿り着くのかも知れません。お互いに弱いところを補って、支え合う、頼り遭う関係で良いじゃないかと、そういう考え方が私の場合は根底にあるのですが(個人に対しても国家に対しても)、「何でも自分で出来なければいけない」という発想が圧倒的ですね。それが高じて徒に門戸を閉じよと主張するばかりの食糧政策になる、それが現実的とはとても思えないのですが、仮にそれが有効であったとしても、食料だけ自立してどうするのでしょう。その他は全て外国との関係があって成り立っているのに、唯一の例外として食料だけを自給にしたとして、それは自己満足以上の何なのか?

 

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15 コメント

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何をいまさらですが (Bill McCreary)
2008-09-29 23:14:28
農業生産の自給率うんぬんて言ったって、要はすべて石油しだい(苗も肥料も家畜そのものも生産品も)なんですよね。これがなけりゃ何もできないんだから。というわけで、要は自給率なんて話は、石油というお釈迦様の手のひらのなかでの話でしかありません。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-29 23:23:54
>Bill McCrearyさん

 200年前に遡ろうというならいざ知らず、石油を筆頭に日本では賄えないものが数限りなく存在して、それで成り立っているのが現代ですからね。食料だけ格好をつけようとするより、売る側と買う側、両者のフェアな関係を構築していくことを目標として欲しいところです。
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自給率よりも環境負荷 (案の運)
2008-09-30 15:10:25
輸入食物は、ミニマムアクセスなどの縛りや、高付加価値な一部のを除けば、
基本的に安いから行われています。
それは、生産者に対する搾取構造か、大規模粗放的農法による、
エネルギー消費と地力の消耗に依存しています。

今後も人類が生存していくことを考えれば、
農業も含めた、いわゆる第一次産業は、経済的側面だけではなく、
資源や環境の視点を持って考える必要があります。
(この点については、米国も中国も国家戦略として反対しています)

仮想水まで持ち出す必要はないでしょうが、マイレージという観点で言えば
(選択の余地がある限りは)地産地消が望ましいと言えます。

中国でも米国でも、日本での自給率を気にする人も、
戦略物資や金融商品としての食料を、国益という観点から
どう囲い込むかという視点が強いようですが…。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-09-30 23:06:43
>案の運さん

 しかし同じことは、食料以外の商品ではどうなのでしょう。日本国内で無理に賄おうとするコストと、適した地域で大量生産するコストに移動のコストを加えたもの、後者の方が総合的な負荷は小さいかも知れませんよ。
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自立ファシズム? (ニュースコープ)
2008-10-01 00:23:27
>あるいは、日本社会の自立志向の強さもあるでしょうか。「自立しているかどうか」で人間を選別する社会ですから…

よく、「昔の日本人は思いやりある寛容な民族だったが、新自由主義がそれを破壊した」との意見を見かけますが、私はそうは思えません。
理由は正にこの「自立志向」という奴で、多くの日本人は新自由主義が登場する以前から「何でも自分で努力しろ。人に頼るな、甘えるな」「人間は厳しく管理してしごいて詰め込み、勉強も労働も常に尻を引っぱたいてさせなければダメだ。ゆとりなど与えると怠けて甘えるだけだ」の思考でやってきたと思うからです(私の家族もそうですが、年配の方ほどこういう人が多いのは管理人さんもご承知のことと思います)。
事ほど左様に、かなり昔から日本人の中には、新自由主義を受け入れやすい土壌があったのではないか?というのが私の仮説です(いつの頃からかは分かりませんが・・・)。
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Unknown (案の運)
2008-10-01 10:48:13
純粋に、今すぐ必要なコストという点ではその通りです。
しかし、将来にわたって継続して生産できることと、
そのときに必要なコストという点ではどうでしょうか?

米国の場合は、エネルギー・農薬を大量に使うことで、
地力を収奪し、生態系や環境にダメージを与えながら生産しています。
(環境に合っていない部分をエネルギーや技術で補っているわけです。
 それを言いだしたら、農業は本質的には環境とは相容れないものなのかもしれません)
当然、地力や環境の回復にもコストはかかります。
あとは、その度合いとコストの均衡をどの辺におくかの問題です。

基本的に、エネルギー消費や環境負荷の大きい農法は、将来に負債を残しながら行われます。
それを勘定に入れたとき、果たして十分に均衡がとれたものと言えるかどうか。

もちろん同様のことは日本の農業でも言えることです。
稲作の歴史は5000年ほど前まで遡りますから、それ自体が生態系言えるまでになりました。
それでも、農薬などの使用によって、メダカやカエル・トンボなどは姿を消しつつあります。

むこう10年以内の経済性だけを問題にするなら、旧来の方法が有効ですが、
環境負荷という視点を加えると、特に農業のような、大地と環境に依存する産業は、
ある程度の不便さと高コスト構造を容認するべき時代になっているでしょう。

無論、優先順位をどこにおくかは、置かれた状況で変わります。
しかし、日本はコストよりも環境負荷の低減をこそ、重視すべきではないでしょうか。


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定常状態だけ考えれば良いのか (taka)
2008-10-01 21:04:45
考察の前提が、平和な世の中が続くことに限定されていませんかね?

例えば、近い将来発生すると予想されている新型インフルエンザのパンデミックが本当に起きると過程した場合に、日本食糧事情は生産ベースで70%だから安心と言えるんでしょうかね?

我が家は、3ヶ月分ぐらいの備蓄があるので、大丈夫ですけどね ;-b
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-10-01 23:15:29
>ニュースコープさん

 新自由主義に対する反発が、少なくとも政権与党を追い落とすほどには進まない土壌ですから、元より相性が良かったのかも知れませんね。江戸時代ならいざ知らず、近代日本は「自立」を人間の条件にするようなところもあったわけで、それは国家が国民を切り捨てるには格好の口実だったでしょうし。

>案の運さん

 ふむ、さっそく日米関係に絞ってきましたね。それはさておき、将来的なことを考えるなら尚更、産業として成り立たないものを無理に維持するのは愚策です。例えば養蚕業を補助金で無理に延命させるより、時代に適した生産体制にシフトした方が賢明なように。そして「環境負荷の低減」を重視するのは結構ですが、具体的にはどういうことなのでしょうか? まさか現状の一国主義を続けることではないでしょうね?

>takaさん

 先軍主義者は「戦争が起こる」「脅かされている」というのを絶対に譲れない前提とした上で軍備の必要性を説くことを好みますね。私は「戦争が起こらないようにすること」を優先しますが。

 百歩譲って非常事態が起こることを防ぐよりも非常事態に備えることを優先するとしても、リスクヘッジの面では現状の閉鎖的な一国主義より、広汎なネットワークを構築しておいた方が遥かに安全でしょうし。
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環境依存度の高い農業なればこそ (案の運)
2008-10-02 13:32:56
産業の将来性を、経済性という視点でのみ見ることは、
環境負荷の増大による負債の先送りを生み出します。

環境負荷が低い選択肢があるならば、それを選択することが望ましい。
そのためには消費する側が、ある程度の不便さや高コスト構造を容認する、
あるいは環境負荷の低い選択を模索するという発想が必要かと。

経済性を優先するあまり雇用やセフティネットを破壊するような愚を、
環境で行ってはならないということです。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2008-10-02 23:25:27
>ざらすとろさん(非公開)

 文章が長すぎます。自説の披露はご自身のブログでどうぞ。トラックバックなら受け付けます。

 ざらすとろさんにとってコストではなくイデオロギーの問題であることは理解できましたが、私はリアリストですので、お付き合いできません。

>案の運さん

 雄弁に語っているようで実は何も語っていない文章ですね。本文に関係があるかすら怪しい。まぁ環境負荷が低い選択肢なら結構ですよ、それは先のコメントにも書いたとおりです。そして先のコメントに書いたとおり、「環境負荷が低い選択肢」とは何ですかね? 食料だけは国内で賄おうと非効率性に目をつぶること? 少なくとも意固地な閉鎖主義は環境コストの面でも褒められたものではありませんが、それはスルーですね?
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