非国民通信

ノーモア・コイズミ

専門家の感覚も尊重されるべきだと思う

2010-05-22 23:05:51 | ニュース

裁判員制度施行から1年 死刑、無罪はゼロ(産経新聞)

 裁判員制度施行から1年を迎える21日を前に、最高検は20日、裁判員裁判の実施状況を公表した。20日までに対象事件で起訴されたのは1664人で、うち530人に判決が言い渡された。会見した最高検の藤田昇三・裁判員公判部長は、「おおむね順調」と評価。導入前よりも裁判員の判決が重くなる可能性が指摘されていたことについては評価を避けつつ、検察側の求刑について「(判決に表れる)国民の感覚を踏まえた求刑に変化していくだろう」と話した。

 判決を言い渡された530人のうち、無期懲役は8人で、有期懲役は522人、うち執行猶予が付いたのは93人だった。死刑、無罪は、いずれもゼロだった。

 執行猶予のうち保護観察付きとされたのは53人で、約57%。平成20年4月~22年3月の裁判官のみによる裁判で執行猶予に保護観察が付けられたのは約37%(最高裁調べ)だった。藤田部長は「裁判員が被告の更生と再犯防止に大きな興味を持った結果、保護観察の割合が多くなったのではないか」と分析している。

 検察側の求刑よりも重い判決が1人だったのに対し、強盗致傷罪での起訴が判決では窃盗と傷害とされるなど、判決で起訴罪名よりも軽い罪名が認定されたのは3人。「国民の結論を尊重した」(藤田部長)結果、検察側の控訴はない。

性犯罪、殺人で量刑重め=死刑と無罪ゼロ、無期8人―判決530人・裁判員制度1年(時事通信)

 裁判員制度がスタートしてから21日で1年。裁判員裁判は昨年8月から530人の被告に判決が言い渡され、このうち強姦(ごうかん)致傷罪などの性犯罪や殺人罪の量刑で重めの傾向があることが20日、時事通信のまとめで分かった。死刑と無罪はゼロ。無期懲役は強盗殺人や集団強姦致傷罪などで8人だった。

 同日までの集計結果によると、検察側求刑に対する判決の量刑割合は全体の平均で77%。罪名別では強姦致傷罪(集団罪も含む)が85%、強盗強姦罪83%、殺人罪も80%とやや高めだった。 

 比較対象となるべき裁判員制度施行前のデータが部分的にしか提示されていないので片手落ちの感も否めないのですが、ともあれ上記で伝えられているような結果が出ています。執行猶予に保護観察がつけられるケースが大幅に増加、量刑に関しても従来は求刑の7割程度が相場と言われていたところから8割弱にまで増加しているようです。そして強姦や殺人などセンセーショナルなものほど裁判員制によって罪が重くなる傾向も強いのか、こちらは80%台に乗っています。

 さて保護観察がつけられるケースは37%から57%へと急増したわけです。その母数となる執行猶予判決が増えているのか減っているかにも左右されますが、ともあれ保護観察が付けば、当然のことながら保護観察官なり保護司なりの仕事が増えます。現与党も前与党も次の選挙で躍進しそうな党も挙って公務員削減を掲げ、その方向性に関しては世論の広範な支持があるわけですけれど、保護観察の担い手である保護観察官という公務員の処遇はどうなるのでしょう。治安系は前政権から一貫して削減の対象外であり、現政権もその路線を踏襲する方針が伝えられていますが、保護観察官の扱いがどうなっているかご存じの方がいたら教えてください。

 まぁ保護観察官の数は随分と少ないですので(約1000人で、うち実働部隊は600人と聞きます)、実質的に保護観察の役割を負っているのはボランティアの保護司でしょうか。この保護司は「地域の有力者」が引き受けることが多いようですが、高齢化が著しく、人材難と後継者不足にあえいでいるとか。ともあれ鳩山が「新しい公共」などと言い出すずっと前から、「公」の不足を「地域の有力者」のボランティアによって補ってきた部分は少なくなかったわけです。そして保護観察付きの判決が増えて保護司の負担も重くなる一方で、保護司は減っていくものと予想されます。ならば今までボランティア任せにしていた部分を、「公」がしっかり責任を持つように体制を再構築する、つまりは公務員を増員する必要が出てくるのではないでしょうか。公務員削減を求めながら、公務員が担うべき仕事を増やしている、そうした矛盾にもっと自覚的になる必要があります。

 ちなみに藤田裁判員公判部長は検察側の求刑について「(判決に表れる)国民の感覚を踏まえた求刑に変化していくだろう」と話したそうです。これはどうなのでしょう、確かに検察側の量刑が全面的に正しいわけではない、国民の目にさらされることで改められる部分もあることは否定しませんが、しかし「国民の感覚」が絶対的に正しいのかと言えば、決してそんなことはないはずです。むしろ量刑に関わっていくことで、専門家の感覚を踏まえて国民の側が考えを改めていく必要もまたあるのではないでしょうか。検察側が一方的に国民感情に合わせて求刑を重くしていくことが健全とは言えませんし、それは怠惰ですらあります。検察のすべきことは「国民の感覚」に合わせて求刑を変更することではなく、従来の求刑が専門的見地から妥当なものであるということを、国民に理解してもらえるよう努めることにあるのではないかと思います。一方的に「国民の感覚」が司法に修正を迫るのではなく、司法もまた「国民の感覚」を修正していく、一方通行の関係ではなく、双方向的な関係=対等な関係であるべきではないでしょうかね。

 

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4 コメント

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残念ながら (Bill McCreary)
2010-05-23 00:49:41
法律のような問題は、「市民感覚」と称する素人意見では手に負えないことが多すぎますね。

>一方的に「国民の感覚」が司法に修正を迫るのではなく、司法もまた「国民の感覚」を修正していく、一方通行の関係ではなく、双方向的な関係=対等な関係であるべきではないでしょうかね。

司法の問題は、やはりフィードバック、フィードバックで行くべきなのでしょうね。「裁判員制度」については、あるいは市民の法律感覚へ「法律とか司法っていうのはこういうもんなんだよ」ということを認識してもらうことも目標とすべきでしょうね。
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専門家も騙されることもあるかも (ピンク映画好き)
2010-05-23 11:40:45
「市民感覚」とか「国民の感覚」とかは、基本的に正しくて信用するべきだと思いますが、恐ろしいのは、知性が高くて悪意のある少数の何者かが、偽情報やマインドコントロールで一般大衆を扇動することだと思う。
無実の人間を死刑台に送り込むのを大衆が後押ししたとしても、それが誰かの偽情報に扇動されたものだった場合、市民感覚を信用できないものと言うのは、ちと厳しいかも。
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Unknown (HANAKO)
2010-05-23 13:08:15
加害者や加害者まで行かずともミソジニストはとにかく許せない、でそれ以上考えず、だから男は、みたいな感じである意味思考停止しているのは、凄く危ういと思います。私個人は男性が苦手な所もありますが、社会の問題とは別ということで。橋下が人気なのも、光市の事件での主張が、何となくある種の俗流フェミっぽい物と結託したのもあるかもしれません。
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Unknown (非国民通信管理人)
2010-05-23 14:09:05
>Bill McCrearyさん

 双方のフィードバックで良いものを作って行ければいいのですけれど、どうも「国民の感覚」が絶対的に正しいみたいなところがあって、一方的な関係になりそうな気がするんですよね。国民の側も学んで行ければいいのですが。

>ピンク映画好きさん

 国会議員みたいな責任と権力ある立場の人間でも、ネット上のデマに踊らされる、あるいはデマにつきあってみせるケースがしばしばありますからね。単に国民の感覚だけに止まらない別の基準もまた必要なのだろうと思います。

>HANAKOさん

 「男」とか「女」みたいな区切りですと、あまりに大雑把であり乱暴な議論にしかならないところもあると思いますね。そういう大きすぎる枠組みで安易に結論を出すのではなく、個人の事情を斟酌する必要もあるでしょうから。
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