2歳虐待死、父に懲役11年判決「監禁法、極めて悪質」(朝日新聞)
東京都練馬区で2008年12月、長男(当時2)をゴミ箱に閉じ込めて窒息死させたとして、監禁致死などの罪に問われた父親の建築作業員菅野美広(かんの・よしひろ)被告(35)の裁判員裁判で、東京地裁(井口修裁判長)は18日、懲役11年(求刑懲役12年)の判決を言い渡した。被告の妻も共犯の罪に問われており、裁判員の1人は判決後の取材に「被害者の気持ちを代弁する人がいないのがつらい」と語った。
菅野被告は15日の初公判で起訴内容を認め、刑の重さが争点となった。判決は、菅野被告と共犯の罪に問われた妻理香被告(35)=公判分離=による長男優衣(ゆい)ちゃんへの虐待がエスカレートし、今回の犯行につながったと認定。「監禁の方法は危険性が高く極めて悪質で、死に至るまでの恐怖と苦しみは察するに余りある」と指摘した。
菅野被告は公判で、優衣ちゃんをオーブンや洗濯機に入れていたことも認めた。
検察側は「常軌を逸した虐待」として懲役12年を求刑していた。これについて、判決後に取材に応じた裁判員は、「人が亡くなっており、私の中では軽いと思った」(30代女性)、「求刑を出発点にするのが嫌だったので素人なりに計算したが、求刑は自分の想定より短かった」(40代男性)、「素人的に言えば15年とか18年ぐらいと思った」(男性)などと、求刑は軽いとみる意見が目立った。
裁判員のコメントはいつも変わり映えがありませんね。検察側は「常軌を逸した虐待」に相応しい量刑として懲役12年を要求し、地裁側も悪質性を認めてほぼ求刑通りの刑期が言い渡したわけですが、裁判員は口を揃えて「軽い」「短い」というわけです。この辺の厳罰志向はもう好き嫌いの世界ですからどうしようもないとして(これに政治家が媚びるようになると大変なことになりますが)、それより冒頭の段落に登場した裁判員の台詞はいかがなものでしょうか。曰く「被害者の気持ちを代弁する人がいないのがつらい」と。
未遂ではない殺人事件の場合、必然的に被害者本人は死亡していますから、その気持ちを代弁する人が駆り出される傾向にあります。そしてこの「代弁する人」の「気持ち」に全面的に添うこと(より踏み込んで言うなら代弁者の「気持ち」を押し出して被告の刑を重くすること)こそ是であるとされがちです。だから取材を受けた裁判員氏も、そうした流れを当然のものと考えて発言した部分もあったのでしょう。しかるに被害者感情ばかりを重視した裁判となりますと、身寄りのない人や社会的に孤立した人を殺した場合と「代弁する人」に恵まれた人を殺した場合で量刑に大きな差が出ることになってしまうわけです。そして今回は「被害者の気持ちを代弁する人がいない」結果として懲役11年に落ち着いたのでしょうか。「代弁する人」さえいればもっと量刑は重かったはず――つまりは裁判員の感覚に近い罰が下されていたのに――そういう思いがあるのかも知れません。
しかし殺人事件において「被害者の気持ちを代弁する人」とは一般に誰を指すのでしょうか。大半のケースでは、被害者の遺族です。そこで私には思われるのですが、この取材を受けた裁判員氏は代弁者たる被害者の遺族と向き合っていたばかりのはずです。つまりは被害者の父親である、被告と。被告は加害者であると同時に紛れもない被害者の遺族であり、「被害者の気持ちを代弁する人」の立場でもあります。全ての肉親が代弁者に相応しいとは限りませんが、何かと持ち出される遺族感情云々を重んじるなら、今回の事件でも被害者遺族の声はそれなりに尊重されなければならないはずです。その被害者遺族と法廷で対面した直後に「被害者の気持ちを代弁する人がいない」と語るのは、ある意味で被害者遺族を蔑ろにした発言でもあるでしょう。厳刑(復讐)を望むばかりが被害者遺族ではありませんし、何の罪もない無垢な被害者遺族ばかりでもない――裁判員や世論の期待する被害者(遺族)と実際のそれとはしばしば食い違うものです。
遺族遺族っていうけど、そもそも日本の殺人は、家族内でのものが約半分で、ましてや今回の記事のように子供が犠牲者の場合はほとんどといっていいくらい家族が犯人なんですから、「遺族感情」なんてものを引っ張り出したって仕方ないんですけどね。こんな程度のこともあんまり世間では認識されていないのかも。
>厳刑(復讐)を望むばかりが被害者遺族ではありませんし、何の罪もない無垢な被害者遺族ばかりでもない
あるべき遺族の姿を、勝手に他人が規定しちゃっていますよね。
虎の威を借るキツネにとって、虎はあくまでも無敵モードである必要がありますからね。
いかなる犯罪においても「被害者の気持ちを代弁」は不可能なのはあたりまえだと思うんですが、......精々他者にできるのは想像と推測だけなんですけどね。いい年をした大人がなんの疑問も持たずさらっとこういう子供じみたことを言うんだから怖いですな。
原田正治さんの例を見るに、身内を殺されただけでは“被害者遺族”とは認めてもらえないのでしょうね。
加害者に対して死刑を要求しないことには。
原田さんは“死刑廃止を訴えている”という理由で“被害者遺族であるにもかかわらず”バッシングや嫌がらせを受けていると聞きます。
今の日本人の世論では、被害者遺族になるのには、被害者の遺族である前にまず“加害者に対して死刑を声高に要求する人”であるか否かが重要なんじゃないでしょうか?
結局、遺族感情云々が頻繁に持ち出される一方で、そこに登場する「遺族」とは現実の遺族と言うよりも想像上の遺族、厳罰論者にとって都合の良い「被害者遺族」でしかないのでしょうね。本当に遺族感情を大切にしたいなら、まず実際の被害者遺族の存在をありのままに認めることから始めないといけないと思います。
>Kさん
制度上の問題以前に、今一つ国民が信頼でいないところもありますね。私なんか哲学以前に、そもそも現実と向き合う姿勢が足りないんじゃないかと思うことが多いです。
>ポールさん
自身にとって都合の良い、厳罰を求める上で都合の良い「被害者遺族」を勝手に期待しちゃってるフシが多いですよね。期待を押しつけられる対象のことなど考えていないようですし。
>sirokanippeさん
しかも家庭内犯罪は「外」の犯罪と比べると減少ペースが緩やかで、凶悪犯罪全体に占める割合は上昇傾向ですから。被害者遺族=加害者(及び加害者の家族)であるケースは多い、お約束のように被害者感情が持ち出される時代ですけれど、被害者遺族と加害者が重なり合うケースも多い中では、そう単純には考えられないように思いますね。
>バサラさん
周りの「期待」に応えられない被害者(遺族)は被害者遺族として認められない、そうした構図が浮き彫りにされているのかも知れません。ある意味、国籍を有しているだけでは日本人とは認められないのと同じようなものでしょうか。被害者の縁者であるというだけでなく、周りの想定する被害者像に重なることで、初めて被害者遺族として認められる……
85%が存続に賛成していることだし,死刑制度はまさに「国民統合の象徴」ですね(消費税でも自衛隊でも天皇制でも,ここまで支持されている制度は他にないのではないか?)。
調査捕鯨とか北方領土とか、ほとんど異論の出てこない世界もありますけれど、中でも死刑制度への支持が№1なのかも知れませんね。これだけ死刑制度に支持が集まるのは、やはり死刑が魔女狩り的な、ある種の全員参加的な娯楽になっているから――その辺は否定できなくなりつつあるようです。
してみると、被害者側にも弁護士がつく場合、その弁護士は「被害者の気持ちを代弁する人」になると思われますが、この事件では被害者側の弁護士はついていないのでは。
>この取材を受けた裁判員氏は代弁者たる
>被害者の遺族と向き合っていたばかりの
>はずです。
この事件の場合「代弁者たる」というのは、ちょっと飛躍でしょう。
加害者の家族は加害者の気持ちを代弁するとは限らないですよね。
被害者の遺族も被害者の気持ちを代弁するとは限らないのでは。
この事件では夫婦(共犯と仮定)は、「被害者の遺族でもある」ことは確かですが、「被害者の気持ちを代弁する人たりえない」のでは。夫婦が表明するのはもっぱら「自分たち加害者の気持ち」でしょうから。
「被害者側の弁護士がついていない」「被害者の遺族が被害者の気持ちを代弁するものでない」のならば、「被害者の気持ちを代弁する人がいない」というのは当たっているかと思います。そのように認識しても、例の夫婦に対する蔑ろには当たらないかと。
>何かと持ち出される遺族感情云々
そもそも感情の考慮というのは、ケースバイケースでありうるもの。
「厳罰を求める遺族感情」だけが考慮されるのではなく、「情状酌量の余地があるか」も論じられるようになっているはずです。
被害者遺族には弁護士が付いているでしょう? それをいないかのように語るのは、やはり「復讐を叫ぶ被害者遺族」以外を代弁者としては認めない、被害者遺族を蔑ろにする神経と変わりない。自分の気に入らない相手であれば、被害者の肉親でも被害者の遺族とは認めない、実に狭量な態度です。ただあなたの好き嫌いを語っているだけのご都合主義でしかありませんね。