「スペイン語放送見るな」 中南米系メディア シュワ知事発言に反発(産経新聞)
「英語を習得したいなら、スペイン語のテレビを消すべきだ」。カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事が中南米系のメディアの前でこんな発言をしたことから、その是非が論議を呼んでいる。
AP通信によると、知事は13日、サンノゼで開かれたスペイン語メディアの団体による全国大会で、英語の習得について聞かれた際、「スペイン語のテレビを消すべきだ。あなた方は英語を学ばなければならない」と述べた。
さらに、「こうした発言が問題を招きかねないことは承知している。しかし、私がこの国にやってきたとき、(母語である)ドイツ語をしゃべる機会はほとんどなかった」とオーストリアから移住した自身の体験を踏まえ、英語習得の重要性を力説した。
これに対し、会場にいあわせた全米中南米系メディア同盟のノガレス会長は「非常識な発言」と反発。シュワルツェネッガー知事は、移民として苦労した過去を忘れてしまっていると非難した。一方、他のジャーナリスト団体からは「われわれの大多数は、知事に賛成するだろう」との声も上がった。
今となっては大スターであるシュワルツェネッガー氏ですが、一応は移民なんですね。外国出身者として一応はマイノリティに属するわけです。来年のアメリカ大統領選挙に向けて、民主党では黒人であるオバマ氏と女性であるヒラリー・クリントン氏が有力な候補となっており、アメリカ建国以来続いてきた白人男性の系譜に楔が打ち込まれることが予測されます。しかしまぁ、成功した移民、白人社会で成功した黒人、男性社会で成功した女性と聞くと、私はちょっと身構えてしまうところもあります。
往々にして成功したマイノリティというのは、普通の人々以上にマジョリティの価値観に忠実だったりもするわけでして、例えば戦前の解放運動や女性解放運動の中には積極的に戦争に荷担してきたグループもありました。不利な立場にあるマイノリティが支配者であるマジョリティの世界で成功するために、方法は大きく分けて二つあります。一つはマイノリティの価値観をマジョリティに受け容れさせること、そしてもう一つはマイノリティの価値観を捨ててマジョリティに同化することです。たいていの場合はこの両者の間を状況に応じて揺れ動くわけですが、中には後者の方に大きく傾斜する人もいるのです。
シュワルツェネッガー氏が言及したのは単に言語の問題だけでしたが、氏が意図したのはそれだけだったのでしょうか。生活習慣や価値観の面でも同様に、「アメリカ人として生きたいなら、中南米の価値観を消すべきだ」、それぐらいの主張はあったかもしれません。マイノリティの価値観をマジョリティに認めさせようとするよりも、マイノリティの価値観を捨ててマジョリティに擦り寄る方が、マジョリティに受け容れられやすいのは言うまでもありません。そしてシュワルツェネッガー氏は後者なのでしょう。
他のジャーナリスト団体からは「われわれの大多数は、知事に賛成するだろう」との声も上がった、と引用記事にはありますが、この「ジャーナリスト団体」には産経新聞も含まれていそうですね。彼らはあくまでもマジョリティの側からのみ世界を見ます。そしてマジョリティにとっては、マイノリティの価値観を捨ててマジョリティに擦り寄ってくるマイノリティの方が好ましい訳です。ですが、何でもマジョリティの価値観が絶対のモノとして幅を利かす社会はかなりリスクを伴うものでして、一度マイノリティに転落したときに社会的に抹殺されかねないものでもあります。
日本人が移民になったり、男性が女性になったり、そう言うことはないわけですが、正社員が無職になったり、健常者が障害者になったり、富裕層が貧困層になったり、ふとした拍子に重大な事故の加害者になったり、そんな形でマジョリティからマイノリティへと転落する可能性は誰にでもあります。そんなときに、マイノリティはその価値観を捨ててマジョリティに同化する努力をしなければならないと迫られるとしたらどうでしょうか? マイノリティがその価値観をマジョリティに認めさせようとしたときに、それは甘えだの何だのと全否定されるとしたらどうでしょうか?
>マジョリティからマイノリティへと転落する可能性は誰にでもあります。そんなときに、マイノリティはその価値観を捨ててマジョリティに同化する努力をしなければならないと迫られるとしたらどうでしょうか? マイノリティがその価値観をマジョリティに認めさせようとしたときに、それは甘えだの何だのと全否定されるとしたらどうでしょうか?
なるほどと思いました。そういう見方は必要ですね。私はまず何のために移民するのか、その目的を自らに問うたとき、「郷に従う」という姿勢が必要だとは思いましたが、自分が少数派になったとき、という視点は恥ずかしながら持っていませんでした。
こちらこそ、コメントありがとうございます。
もちろん、自分の側から周囲に合わせる努力も必要になるわけですが、郷に従おうと努力してもそれが必ずしも上手くいくとも限らないですし、夢を追って自ら移民してきた場合でも、時に夢が破れて後戻りできなくなることもあったり、何ともままならないものです。移民でも失業者でも、諸々の理由で主流から外れたときに、それでも受け容れられる場所がある、そんな社会であって欲しいと願う次第です。