非国民通信

ノーモア・コイズミ

年は取りたくないもの

2013-11-18 23:21:03 | 編集雑記・小ネタ

 職場に、これまた凄いぶりっ子ちゃんがいるわけです。アラフォーの。40歳と言ったらアレですよ、早婚多産なヤンキー家系なら孫が産まれている人がチラホラ出始める、そんな年齢です。そんなおばちゃんがかわいこぶった中学生みたいな口調でしゃべるのですから、なかなかキツイものがあります。まぁ、他人がとやかく言うものではないのかも知れません。その面影はとうの昔に消え去ったとはいえ彼女にも若い頃はあったのでしょうし、望んで年老いたわけでもないでしょうから。

 彼女が今より25歳くらい若ければ、そういう振る舞いが可愛らしく見えることもあるのかも知れないなとか、最近は年増のおばさま方を○○女子などメディアが煽っているので同性間ではアリなのかなとか思いつつ、やっぱりアラフォーのぶりっ子はキツイなぁと、そう感じるのを禁じ得ないところでもあります。まぁ、傍目に見れば自分も大差ないのかも知れません。アラフォーのゲーマーってのも、世間的にはアラフォーのぶりっ子と同じくらい、特に異性から見ればキツイのではないかと。やはり他人にとやかく言われたくはないものです。

 アラフォーちゃんにも、あのキャラが似つかわしい年頃があったことでしょう。かつて私にもゲーマーであることが何らマイナスにならない年代があったように、アラフォーちゃんのぶりっ子キャラも年相応と周囲に好意的に迎えられていた時期があったはずです。過ぎ去った若さを懐かしんでどうにかなるものではありませんけれど、まぁ寂しいものです。アラフォーちゃんは、子供の頃からずっとあんな感じだったのでしょうか。あのキャラのまま大人になって、ヤンキー家系なら孫がいてもおかしくない齢にさしかかっても子供時代のキャラのまま、時の流れは残酷です。

 自分は保守的な人間だと――昨今では「保守」という意味がレイシズムや歴史修正主義を指すようになっているのでアレですが――思います。異動、転勤、席替え、ジョブローテーション……みんな大嫌いです。あまり生き方を変えることが好きではなくて、若い頃から趣味志向を変えていないまま年を重ねてきた、文学少年は文学青年を経て文学中年になり、いずれは文学老年になることでしょう。子供の頃からずっとゲーマーで、食べ物の好みも昔からあまり変わっていません。それが傍目には、アラフォーのぶりっ子と同じようなものなのかも知れないな、と。

 「年齢相応」の「生き方」や「趣味志向」は暗黙裏に要求されるものではないでしょうか。アラフォーのオバハンが10代前半の娘がかわいこぶったような口調で話していれば、「これはキツイ」と感じる人は、なんだかんだ言って多いと思います。婆臭いしゃべり方が求められるわけではなくとも「その年齢でこのしゃべり方は流石にないだろう」と。これと同様、休日(余暇)の過ごし方にしてもアラフォーのオッサンが「ゲームに費やしてます」というのは世間体が悪いことは認めざるを得ません。

 その昔、自民党総裁候補の「好物」がタブロイド紙に取り上げられていたことがありました。そこで安倍と麻生は所謂「お子様メニュー」を挙げていたもので、やはり生まれながらの特権階級は違うなぁと痛感したわけです。しかるに何の後ろ盾もない小市民が「人並みに」生きようとすれば加齢に応じて「年相応の」趣味志向へと自分を書き換えていかなければなりません。子供の頃からずっとゲームが趣味なんてのはアラフォーになってもぶりっ子キャラと同じようなものです。もうちょっと周りから評価されるように生きるためには、色々と「変わる」ことが必要になるのでしょう。でも自分は、この「変わる」こと、生き方を変えることに嫌気を感じてならないもので、まぁ年は取りたくないなと思います。

 

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