lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

はぁ?バカじゃないの?

2005-02-27 07:06:54 | インポート
ざけんな( ゜Д゜)ゴルァ!思いこみや推測で人の話をすんな!!(#゜Д゜)ノシ ====卍 シュッ! 文句があるなら直接イエ!外堀から引きこんでいこうなんて卑怯でキモイバカアホ!ヽ(>_<)ノアッチイケ

こんな私も、誰にも気付かれずにこないだヒッソリ24歳を迎えました。合掌。思えば正直この年まで生きるなんて思わなかった。 というよりも死ぬつもりでいましたし、その縁を垣間見たこともあります。自殺者を非難する人は正しいと思います。 ただし死んだ本人に言わせれば一言「知るか」です。 ただ、あれが見たい、あれが聴きたい、あそこに行きたい、 あの人に会いたい、記憶喪失になりたい(笑)。。。なんて惰性で生きてる内に時間は経ってしまうものですね。 途中で将来に儚い希望を抱いたり、重要な仕事を任されたり、それなりに必要とされることがあったり。 しかし、何より関わった人への恩義を裏切ってはならない、誠実に生きなくてはならない、そういう常識的なことが ある意味縛りというか呪いなのです。私は人との繋がりを保つのが基本的に苦痛だし、 そういう内面の非社会性と、社会性を演じている自身との間に軋轢があることも知っています。 恩義に応えられない無力感は罪の意識に、罪の意識は無言の敵意にも似た感情に、先の見えない不安は怖れに、 怖れは自身を脅かすものに憎しみを抱かせて、欺瞞的な強さで喪失感を誤魔化そうとする。 そういう脆弱な思考を律することが強さなのだと思います。求められるのは潔さ、約束を守る力。 こんなことを日常で考えたりはしないし、ましてそこに何か意味があると思ってはいないですけど。 捨てようにも、この世には綺麗なものが多過ぎるから。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿