□ ランボー / 『最後の戦場』
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※ この映画の感想を述べるにあたって、ミャンマーの軍事政権下における種々の民族への迫害、及びサイクロン被害の惨状に際し、言及を躊躇せざるを得ない部分が多くあった。あくまでここではエンターテイメント作品としての出来についてのみ語るものとしたい。例によってネタバレ前提です。
サバイバル・アクション、ドラマとしてはとても良く完成された映画であり、シリーズ一作目、"First Blood"に対する回答を示したとも言える結末はとても感慨深いです。(故郷へ帰るランボーの格好が、一作目の最初のシーンと繋がる他、「家に帰りたい!」という過去の叫びのフラッシュバックが効果的。)
殺人兵器として育成されたランボーが、『そこにいる理由』。戦場に身を置くことのみでしか、自らの価値と必然性を見いだせなかった男が、生命の尊厳を謳う、キリスト教の人道支援団体の一人の女性の信念に触れたことで、改めて自身の存在理由を問い質し、彼らを救う為に、その足で死地に立つ。
例え、その目的がどんなに崇高で理想主義的なものであっても、それを遂行する過程では様々な拮抗や矛盾を孕み、そして時には相反するものと衝突し、暴力を巻き起こすという結果を必然的に招きかねない。スタローン曰く『究極の悲観主義者』ランボーは、いわゆるヒーローでもアンチヒーローの何れでもなく、ただ自身の目的を遂行する為の「究極の執行力」を擬人化したものような存在である気がします。
「強大な暴力」の化身でありながら、常に彼は、一個の人間としての感情から守りたいと誓った人々については、彼らを取り巻く『理不尽な暴力』に抗い、命を賭して立ちはだかるものを駆逐してきました。身を挺して銃弾の盾になろうとするなど、そもそも自らの命に対する執着がないことも浮き彫りにしています。それが今回は、他人の信念でありながら、「生命の尊厳」を掲げる多くの人々の希望と正義へとつながったわけです。
支援団体を派遣し、傭兵を雇ったのがキリスト教団体であるという設定も、単なる皮肉ではありません。(また、第二次大戦中にイギリスが落とした不発弾を伏線にするくだりも象徴的と言えます。)
終盤で高台から戦場を見下ろし、自らの存在が引き寄せた「結果」を俯瞰して、初めて自分を肯定できたであろうランボーが、数十年ぶりに父親の待つ故郷の地を踏む、という流れには心が震えました。。個人的には続編は作って欲しくないかな。。。
戦場の描写はリアリスティック志向に徹していて、吹き飛ぶ手足や首、凄惨な暴力が微細に渡り描写されています。兵器の殺傷能力の異質さも、現代的な人道問題に絡めて示唆的なものがあります。作戦内容のシビアさも小規模でありながら現実的で、これまでのシリーズのような無駄な仰々しさを排した部分は賛否両論かもしれません。(結局、追い込まれたことで敵を全滅させてしまうのだけど)
事実、尺の配分のせいか、戦闘シーンそのものは極めてコンパクトにまとまっており、カタルシスを期待する人たちには、肩透かしに感じる方も多いかもしれません。最後の戦闘なんて、ランボーはほとんど機関銃から動かずに撃ちまくるだけだし。。
ただ、映像技術のベンチマークとされがちな、大作の復活作の中では、ここに来て敢えてリアリズムに還ったのはクレバーな選択だと私は評価したいです。(←それでも十分、非現実的な強さだけど。。)序盤のくたびれ感は、長々と続く雨の描写と相俟って、スタローンがランボーというキャラでしか出せないであろう燻したような渋い味わいと厭世観に満ちていました。
個人的には、傭兵リーダー役を勤めたGraham McTavishがハマリ役でした。アクの強い傭兵たちについては、もうこれ以上のキャストは望めないでしょう。(笑)そんなわけで、上映終了までにもう一回は劇場に足を運びたい作品でした。