lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

モナドとしての性

2006-02-13 00:26:25 | music2

──意識のやうに移って行くちぎれた蛋白彩の雲    
月の突端をかすめて過ぎれば           
そのまん中の厚いところは黒いのです       
(風と嘆息との中にあらゆる世界の因子がある)

                        -宮沢賢治『風の偏倚』


ライプニッツの提唱したモナド(単子)の概念は、
二つの時計を例に挙げて説明するとわかりやすい。
二つの振り子時計は、別々の場所にあって、
お互いに全く相互に影響を及ぼさず、
お互いを認識することもなく、
各々の時を刻んでいるが、
「同時に鐘が鳴るように」予め「設定されている」
これが予定調和といわれるもので、
この時は時計が「モナド」である。

こうしたモナドは、それ自身である単子の中に、
自身を転写する「外側(=それ以外)」の全体を内包している。
これは、外側を取り巻く任意の単子以外を構成する
モナドの無限的な集合が、全てお互いに「無関係」な状態で、
お互いの置かれる状態を作り出していることの
逆説的な帰結である。

この概念の普遍性は、人間思考の日常性にも
見て取れるだろう。特に性活動の場合には顕著である。
性的な交配における両者の関係は、自身が行為者である
点において、主体と対象が「コミュニケーション」以上のもの、
自身に与えられた感覚、快楽原則を以って
原初的、本能的な「支配関係」を築いているように
思える。その表層的な主従関係とは全く別の次元において、
互いの行為が結果として、互いの表象を縛り付け、写像する。
ただし、一方の単子である「行為者」にとって
「相手」とは、実在故に超えられない隔絶の向こう、
自らとは全く別の時を刻んでいる「振り子時計」なのだ。

※…モナド論は「微粒子が宇宙全体を含んでいる」という
大乗仏教系の「華厳経」と思想領域を大きく共有している

古くは古代インドのウパニシャッド哲学にその祖型が見られる他、
かのウィリアム・ブレイクが「無垢の予兆」において
『一粒の砂に世界を 一輪の野の花に天国を 掴みなさい
 あなたの手のひらに無限を 一刻の中に永遠を』と詠んでいる。



□ Tunes of the Day

□ V.A. / "Requiem for a Dream -Remixed"(Original Score by Clint Mansell,Performed by Kronos Quartet)

Clint Mansell / "Deluxed (Delerium Remix)"

(ジャケットにはDeliriumとあるが、これはDeleriumの誤表記。 Bill Leeb、Rhys Fulberによるリミックス)


□ Front Line Assembly / "Civilization"

Dissident


_*