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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

Back to the Future [DVD Collector's Box]

2008-08-10 10:31:48 | 映画
Bttf


>> http://www.bttfmovie.com/


□ Back to the Future [DVD Collector's BOX]

It's been real educational
Overture
Doc Returns (Part III)

Release Date; 07/ 08/2008
Format: 4xDVDs


Michael J. Fox
Christopher Lloyd

Director: Robert Zemeckis
Writers: Robert Zemeckis (written by) &
    Bob Gale (written by)
Scored by: Alan Silvestri



「ヘイドク!ここじゃ時速88マイルに加速するには道が足りないよ」
「道?道など必要ない。」

「未来とはまだ書き込まれていない白紙のようなもの、自分で切り開いていくものなんだ」



"Back to the Future"、私の幼心に衝撃を与え、情緒形成に大きな影響を及ぼした神話のような存在。子供時代に三部作をほぼ同時に観たせいか、I、II、IIIはどれも不可分な一体の作品としての印象が強くて、一般的な評価とは違って、アメリカ開拓時代に舞台を転じた完結編、"Part 3"への思い入れが特に強いです。

小学校低学年時ながら、ほぼその全容を理解出来た普遍的なストーリーテリングの面白さ。当時から現代に至るまで「タイム・パラドックス」という素材を使って考えられる映像・脚本上の試みは、既にこの作品において出し切られています。

Back_to_the_future



しかし意外というか、子供の頃はテレビ録画したビデオテープを擦り切れるほど観ていたのに、中高生になってからは、まるで想い出を心の奥底に仕舞うかのように、全く反芻することが無くなりました。今後リリースされる予定のBlu-ray版に先駆けたこのコレクターズBOX、私が本編を目にしたのは実に14年振りでしたが、ストーリーの末端から映像の細かい描写まで、完璧に記憶通りで驚きました。


Backtothefuture



さすがに今見直すと、幼い頃には読み取れなかった様々な暗喩や寓意が目につくわけだけど、重要なテーマはただ一つ。このドラマの本筋である部分。「青春」とは、自らの存在をかけて過ごすものだということ。生涯における「その時期」を通り過ぎてしまった今思い返すことは、様々な困難を乗り越えて未来へ帰ろうとするマーティのように、私は人生を賭して自身の未来を築こうとしただろうか。。

「もしタイムマシーンがあったら・・・」という安直な夢想を、この映画は軽やかに皮肉ってみせる。たとえ自在に時を超え因果を変えようとしても、未来は等しく自身が対峙すべき局面であり、困難が付きまとう。本当に、人生とは常に「切り拓いていくもの」なんですよね。でも次元転移装置(Flux capacitor)が実在すれば、きっと胸のすくような冒険が出来ることには違いありませんね。


Btf

「バック・トゥ~」といえば、まず何よりも音楽!(笑)
私が人生初めて買ったCDが、"Back to the Future - Part.2"のSoundtrackでした。当時は個人経営でのCDショップが沢山あったのですが、サントラの待遇は頗る悪く、"Part.3"のスコアは上京してやっと入手したぐらい。

アラン・シルヴェストリによるメインタイトルは、一作目と同年に公開されたチャック・ノリス主演"Delta Force"との姉妹作にあたり、モチーフが酷似しています。SFコメディという枠付けにありながら、仰々しく荘厳なスネアのマーチが付けられたのも、その功用と言えるでしょう。また、「クララのテーマ」なんかは今聴いても(´;ω;`)ブワッと涙腺が緩んでしまいます。


※ 今回リリースされたDVD Boxは、2005年に発売された"20th Anniversary Box"と同内容による廉価版。ただ、この由緒正しい(?)絵柄でのパッケージは初なので、それだけでコレクター価値は高いのかもしれません。


クライマーズ・ハイ

2008-07-06 02:50:14 | 映画
Climbershigh


>> http://climbershigh.gyao.jp/


1985年の日航機墜落に翻弄された、架空の地元新聞社の一週間を描く風刺的人間劇。

日航機墜落当時、私はまだ物心がつくずっと前で、知識として知っているだけなのだけど、今の30代以降の年齢の人々にとって、この題材は現代においてもセンセーショナルなのでしょう。親に話を聞くと、寧ろ回顧というよりも未だ生々しい追想として蘇ると言った方が良いのだそうです。その日は空が真っ赤に染まっていたのだとか。


この映画、あまり「映画然」としていないのが印象的でした。原作は未読なのですが、「映像化」とはこういうことを言うのかもしれませんね。ただ、それは原作読者からすれば逆の評価にも成り得るのかもしれませんが。。


物語の体裁を為す上で、主人公がぶつかる「障害」というのが、ある意味、普遍化された社会的、人間的な性質の「負の側面」だけではなく、意地やプライド、本来「良きもの」とされる様々な行動原理、あるいはもっと利己的な欲求まで、多様な人間の織りなす大きなうねりの中で、摩擦し、歪みを広げていく。疑惑と真相を天秤にかけた時、それまで『クライマーズ・ハイ』状態に陥っていた彼の取った選択は・・・。


「真実」と「情報」の差異。「読者」と「事実」の間。新聞という媒体を形成するプロセスにおいて、それらと全く関係のないドグマや確執が絡み合う。それは「新聞であること」の構造的な宿命でした。ただ、遺族も報道も、そして他ならぬ誰よりも、被害者自身が知りたいと思うもの、同じ「真実」という目的を共有しているということ。

520名の生命の尊厳と、記者らの情熱の歯車は、何処か違う次元で回っていて、全く噛み合っていないように映る。しかし、誰もが「自分達が(事実を伝えるという点で)頂に到達しなければ」という志向性を失った時点で、きっと真実は生臭い汚水と成り果てて、私たちの見聞きする目を、耳を、冒してしまうに違いないのです。


劇中では、1985年と2008年の時系列が同期するかのように交互に織り交ぜられていますが、幾つかの出来事を「登山」の経過と対比させていて、事件渦中の折々において、主人公が置かれていた状況を象徴的に示しています。そして最終的には、現代における彼の未来への足がかりを示すのですが。。。


執拗なカット割や、ランダム・パン、アウトフォーカスの使用も、まさに「クライマーズ・ハイ」にある登場人物の高揚感を表現しているようで必然性がありますね。キャスティングもとても良かったです。特に事実上、主人公の踏破すべき壁となる「大久保連赤」の三人は、それぞれお互いに対立しながらキャラクターを引き立て合っています。「敵の敵は味方」と、一筋縄ではいかない所も痛快。

何と言っても映画としての最大の見所は、叱咤し、怒号する役者たちの迫真のぶつかりあい。それが本編中、幾度となく津波のように畳み掛けてくるので、映画としての「ピーク」は、本当にとてつもない険しい波形を為していると言っていいでしょう。あまりに過激なので、観ていてここが映画の「中盤」なのか「クライマックス」なのかを嗅ぎ取る感覚が麻痺してしまいました。


でも、そういう状況の中でこそ、現場を訪れた記者の雑感や、墜落する日航機の中で書かれた遺書を読み上げるシーンにおいて、彼らがふと失われた生命の実在、他でもない魂の叫びに振り返った時、私たちには「彼らも同じなんだ」という共感とともに、激しく心を揺さぶられる瞬間があるのかもしれません。


事故や災害に見舞われた人々を扱う創作には、否定的な意見も当然寄せられるでしょう。しかし、この作品はメディアの振る舞いを描きながら、そういった「人の浅ましさ」を自己言及的に包含しているように見受けられます。


人が情念を持って伝えるメッセージは、死よりも悲劇よりも尚強く忘却に抗う。このテーマにおいて「新聞社の人々」を描くに至った原作者の隻眼に、まずは感服です。


Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull.

2008-06-15 07:47:45 | 映画
Indiana_jones_and_the_kingdom_of__2


□ 『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』

>> http://www.indianajones.jp/

昨夜、先行ロードショーで観てきました!!
感想は。。。↓

( ゜д゜)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゜д゜)

(つд⊂)ゴシゴシ

   。 。
  / / ポーン!
( Д )


涙が出るほど楽しかった!!


大海を割るモーゼの『十戒』を超えた、神々しいまでに圧巻のラストシーン。誇張ではなく、あなたは人類が未だかつて観たことのない『映像の神話』を目撃するでしょう。


レイトショーだったのですが、見終わってすぐに劇場でサントラを買い、車で聴きながら帰ってきた後も興奮冷めやらぬで、全く寝付けませんでした。。

なんだろう、これは紛れもなくインディ映画なのだけど、自分の知っているインディ映画とは何もかもが違っていた。凄まじくハチャメチャで、極めて当世的とも言えるほど「やり過ぎ」で、往年の雰囲気などへったくれもないほど蹂躙されているのに。。

Indisparco


伏線や謎解きはお世辞にも丁寧とは言えず、突飛なパルプテイストに溢れているのだけど、(その点、「レイダース」はあまりにも功く出来すぎていた。)冒頭の原爆実験場で人形が立ち並ぶ場面展開は、実にシュールで画期的な新境地だし、ヤヌス・カミンスキーの撮影法も、50年代後半のアメリカを描く点で非常に相性が良いです。"Atomic Cafe"など、場面の端々に散りばめられた時代風刺的な描写も味があります。

また、インディが第二次世界大戦中に諜報部員として活躍したという新たなバックグラウンドが、キャラクターに更なる説得力と深みを与えています。昔は苦手そうだった教授職もすっかり板についたご様子。あと、レイダースの「倉庫」が舞台になったり、ヘンリー・ジョーンズとマーカス・ブロディのちょっと切ない(笑える?)登場も(ノ_;


胸を躍らすオカルト現象やマクガフィンの数々、インディ・シリーズの特徴的なところは、彼らが追い求める「神秘」が、いつも人間の思惑を大きく外れ振る舞い、人智に負えない結果と教訓を招くということですね。今回も最初の原爆実験、冷戦における大国同士の対立に絡めて、ラストに登場する人智の及ばぬ「未知との遭遇」が何か啓示めいたものを感じさせます。

Indibike


ロズウェル、エリア51、失われたアーク、サイコキネシス、悪の軍隊、暗号とナスカの地上絵、当たらない銃弾、ロケットバーン!原爆ドカーン!吹き矢がヒュンヒュン、バイクでブーブー、断崖チェイス!チャンバラ!ロケットランチャー!「リトル・グレイ」!滝下り!!地下遺跡がゴゴゴ・・・そして鞭がパシーン☆帽子がビューン!

Crystal_skull_rpg


「家族の絆」を描いたのは、おそらく「父と子」をキリスト教的テーマと軸にした「最後の聖戦」に続き二度目なのだけど、前作ほど切実にならず、コントや漫才とも言えるほど軽妙なやりとりを活劇に盛り込んだのは新鮮。劇場内も終始「笑い」が絶えませんでした(あれ?)あんなに観客が一体になれる作品も近年無かったのではないでしょうか。

その昔、「魔宮の伝説」のフィナーレで拍手が巻き起こったという伝説を、指をくわえながら聞かされていた世代としては、今度はその現場にいられることを何よりも嬉しく感じます。



あぁ、童心から帰ってこれない私を許してください。ある種の失望も決して小さくはなかったけど、この作品が良く出来たかどうかなんて関係ないほどに、これを4部作として迎えることに全く躊躇できないほどに、私はきっと「インディ・ジョーンズ」を愛してやまないのです・゜・(つД`)・゜・ 映画が終わって直ちに去来する思いは一つ、

「今すぐフィルムを巻き戻して!!」


いつだって冒険の中に帰る準場は出来ています。こんなに世界が潤って見えるのは、本当に空想に生きていた子供の頃以来だから。




□ John Williams /
  "Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull"

Finale
The Spell of the Skull
The Jungle Chase

ジョン・ウィリアムズによる今作のスコアは、もはや劇伴音楽というよりも、コンサート楽曲としてそれ自身で完成されている風でした。過去三部作の変奏曲を随所に散りばめながらも、メインテーマ以外で最も印象に残るのは、「レイダース」のヒロイン、「マリオンのテーマ」。

「スターウォーズ/帝国の逆襲」の「ハンソロとレイア」の姉妹曲というべき存在ですが、こんなにエキゾチックで美しいテーマはシリーズ中唯一無二のものでした。再会シーン自体は滑稽なほどあっけないですが、これが前面に出される「最後のアノ場面」では感涙のあまりスクリーンが良く見えませんでした。

今回のマグフィン、「クリスタル・スカル」の神秘的で不穏なモチーフは、「失われたアーク」のモチーフのブリッジ部分を拡大展開したもののようです。イリナ・スパルコのテーマは、父・ヘンリーのテーマに酷似していますね。"The Spell of the Skull"には、"E.T."のあるフレーズが隠されています。気づきましたか?

"Finale"での終曲部では、「マットのモチーフ」がレイダース・マーチを追随するように大胆なアレンジを施していて、次世代への橋渡しを予感させます。インディは「まだまだ現役!」と主張しているようですが(笑)



「インディ・ジョーンズ / クリスタル・スカルの王国」は来週6/21から公開。私は毎週末足を運ぶことでしょう。もしかしたら、落ち着いた頃に改めて感想を書くかもしれません。


RAMBO -最後の戦場

2008-06-09 21:08:18 | 映画
Rambowallpaperkr8_2


□ ランボー / 『最後の戦場』

>> http://rambo.gyao.jp/


※ この映画の感想を述べるにあたって、ミャンマーの軍事政権下における種々の民族への迫害、及びサイクロン被害の惨状に際し、言及を躊躇せざるを得ない部分が多くあった。あくまでここではエンターテイメント作品としての出来についてのみ語るものとしたい。例によってネタバレ前提です。


サバイバル・アクション、ドラマとしてはとても良く完成された映画であり、シリーズ一作目、"First Blood"に対する回答を示したとも言える結末はとても感慨深いです。(故郷へ帰るランボーの格好が、一作目の最初のシーンと繋がる他、「家に帰りたい!」という過去の叫びのフラッシュバックが効果的。)

殺人兵器として育成されたランボーが、『そこにいる理由』。戦場に身を置くことのみでしか、自らの価値と必然性を見いだせなかった男が、生命の尊厳を謳う、キリスト教の人道支援団体の一人の女性の信念に触れたことで、改めて自身の存在理由を問い質し、彼らを救う為に、その足で死地に立つ。


例え、その目的がどんなに崇高で理想主義的なものであっても、それを遂行する過程では様々な拮抗や矛盾を孕み、そして時には相反するものと衝突し、暴力を巻き起こすという結果を必然的に招きかねない。スタローン曰く『究極の悲観主義者』ランボーは、いわゆるヒーローでもアンチヒーローの何れでもなく、ただ自身の目的を遂行する為の「究極の執行力」を擬人化したものような存在である気がします。

「強大な暴力」の化身でありながら、常に彼は、一個の人間としての感情から守りたいと誓った人々については、彼らを取り巻く『理不尽な暴力』に抗い、命を賭して立ちはだかるものを駆逐してきました。身を挺して銃弾の盾になろうとするなど、そもそも自らの命に対する執着がないことも浮き彫りにしています。それが今回は、他人の信念でありながら、「生命の尊厳」を掲げる多くの人々の希望と正義へとつながったわけです。

支援団体を派遣し、傭兵を雇ったのがキリスト教団体であるという設定も、単なる皮肉ではありません。(また、第二次大戦中にイギリスが落とした不発弾を伏線にするくだりも象徴的と言えます。)


終盤で高台から戦場を見下ろし、自らの存在が引き寄せた「結果」を俯瞰して、初めて自分を肯定できたであろうランボーが、数十年ぶりに父親の待つ故郷の地を踏む、という流れには心が震えました。。個人的には続編は作って欲しくないかな。。。


戦場の描写はリアリスティック志向に徹していて、吹き飛ぶ手足や首、凄惨な暴力が微細に渡り描写されています。兵器の殺傷能力の異質さも、現代的な人道問題に絡めて示唆的なものがあります。作戦内容のシビアさも小規模でありながら現実的で、これまでのシリーズのような無駄な仰々しさを排した部分は賛否両論かもしれません。(結局、追い込まれたことで敵を全滅させてしまうのだけど)

事実、尺の配分のせいか、戦闘シーンそのものは極めてコンパクトにまとまっており、カタルシスを期待する人たちには、肩透かしに感じる方も多いかもしれません。最後の戦闘なんて、ランボーはほとんど機関銃から動かずに撃ちまくるだけだし。。

ただ、映像技術のベンチマークとされがちな、大作の復活作の中では、ここに来て敢えてリアリズムに還ったのはクレバーな選択だと私は評価したいです。(←それでも十分、非現実的な強さだけど。。)序盤のくたびれ感は、長々と続く雨の描写と相俟って、スタローンがランボーというキャラでしか出せないであろう燻したような渋い味わいと厭世観に満ちていました。


個人的には、傭兵リーダー役を勤めたGraham McTavishがハマリ役でした。アクの強い傭兵たちについては、もうこれ以上のキャストは望めないでしょう。(笑)そんなわけで、上映終了までにもう一回は劇場に足を運びたい作品でした。


The Chronicles Of Narnia: "Prince Caspian"

2008-05-26 07:59:47 | 映画
Narunya


□ ナルニア国物語 第二章『カスピアン王子の角笛』

>> http://www.disney.co.jp/narnia/


ナルニャー...ナル....ニァ.....ナル、ニヤ、ナルニア国物語、観てきました!
(↑2年前と同じネタですw)

「アスランのために」(膝まつく)

今作、アスラン一筋の私の心を奪ったのは、上の写真にもある今作のアイドル、「ねずみ剣士」のリーピチープくん。

<=`Å´=> チュ~

初登場から鼻血を押さえるのに必死でした。。なんなんですか。。萌え殺す気ですか。。。キーホルダーは劇場内で売ってます。でもアスランのがないのはオカシイだろ。。。


(↓※以降、ネタバレ含みます)

さて、1973年にアメリカで制作された『暴走列車 (原題:"RUNAWAY!")』というB級TV映画があります。 スキー客を乗せた列車がブレーキ故障に気づかずスピードアップ、終点での衝突必至となった列車内の、絶望的な極限状況における人間模様を描くのですが、ラストでは列車を救うため、後ろから機関車を連結して止めようという手段が試みられます。当時は携帯などない時代(あれ?無線は??)乗客は当然、周囲がどんな策を講じてくれているのか知る由がありません。

あきらめ、打ちひしがれた乗客たち。しかし車掌が何気なく窓から後方を見遣ると、機関車がけたたましく汽笛を鳴らしながら猛然と列車を追いかけてくるじゃありませんか!ここがもう最高に....

燃える!!

Runaway
後ろに迫る機関車、ここから連結~間一髪の停車までの流れは手に汗握る展開。


Runaway2
車掌さんが嬉しさのあまりに口をパクパク。


Runaway3
詰め寄った乗客に押されて落ちそうになってます!危ない!!


この映画は母親の趣味で、小さい頃から数えきれないくらい見せられてましたが、機関車が追ってくるシーンでは何度観ても決まって頬を綻ばせてニヤニヤしてしまいました。

・ 一連のシーン

>> http://au.youtube.com/watch?v=iXsqcjrTOZA


・・・そう、ナルニアだったね(笑)

今回アスランは、あの機関車的な役回りなのです。
CMではラスト10分のシーンをバンバン打ってますが、実は今作、ほとんど「魔法」が登場しません。敵は同じ人間。むしろ典型的な騎士道ファンタジー(?)のテンプレートに沿っていて、最後の最後までストイックなまでに「現実の厳しさ」とも言える状況に、主役たちは追いつめられて行きます。

Narnia_caspian



王位継承や臣下の背信、渦巻く陰謀。動かない木々に喋らない獰猛な動物。そして空想上のモンスターたちでさえ、悪しき人間たちに虐げられている。このあまりにも心細い展開の中では、あの「白い魔女」の復活シーンにさえ、救いを感じてしまう程(実際、その力を借りようと迷う描写があります)

Reep



とりあえず今回、心の琴線に響く「グッ」とくるシーンが3つぐらいありました。それはここ数年、映画では全く感じられなかった懐かしい感情で、むしろ私が本当に幼い頃、「暴走列車」に感じたものと限りなく近い何かでした。森を追われているルーシーに並走するあの「金色の体躯」がチラッと見える瞬間、きっと私は前のめりになって嗚咽していたに違いありません。。ア゛ズラ゛~ン゛(TAT)

Narnia_trailer



例によって、話の運び方に合理性を求めてはいけません(笑)
ただ、私は原作についての知識は無いのですが、今回、アスランや「御伽の国」ナルニア世界を巡る不条理な法則には、同時にナルニアが何たるかについてのヒントめいたものが呈示されている節が見受けられました。(成長すると戻ってこれない、現実には時間がほとんど経っていないことなど。。)

「信ずれば手を差し出す」アスランが最後まで登場しない理由(※1)。人と自然との関わり。この映画は実に多くの寓意を含んで、子供や大人の原体験に訴えかけます。エンディングの挿入歌が流れる中、元いた時と変わらない現実の生活に戻って行く子供たちの姿に切なさを覚えるのと同時に、私たちは再び帰りたいと願う。いつか夢見た、あの物語を紐解く日を待ち望んで....

原作ネタバレ(白文字反転)↓
主人公たち兄弟は、「さいごの戦い」で現実世界における鉄道事故で死んでしまうそうですね。。だから余計、今回の地下鉄の描写が暗示めいて感慨深いというのもあるかもしれません。



□ Switchfoot

This Is Home

映画のエンドロールで最後に流れる曲。
サンディエゴ出身のロックバンドSwitchfootの新曲。
切ないピアノリフと流麗なストリングスが映画にピッタリ。
これが流れた瞬間、後ろの観客がグスグス。。


<= ̄ω ̄=> ←アスラン

※1.アスランがナルニアに手を差し伸べない理由は、「滅ぶならそれもナルニアの運命」として傍観してるから?創造主ではあるが、基本的に干渉せずに行く末を見守っている。

なぜルーシーの呼びかけに答えたのかというと、ルーシーもまた外世界の者だから。彼らが命を賭して、自分の作った世界を愛し、守ろうとしているという「信念」が伝われば、助ける理由に足るのかもしれません。


Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull Trailer.

2008-02-15 04:15:38 | 映画
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□ 『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』

>> http://www.indianajones.com/

Director: Steven Spielberg
Executive Producer: George Lucas
Release Date; MAY 22. (Japan; June 21)


ヌッパヌッパー♪ヌッパパー♪

キタ━━━(ノ゜∀゜)ノ ┫:。・:*:・゜'★,。・:*:♪・゜'☆━━━!!!! (ガラガラガシャーン!
ついさきほど、長らく謎に包まれていた、
インディジョーンズ4作目、「クリスタル・スカルの王国」の
予告編が全米で公式に公開されました。
公式サイト他で高画質版がご覧頂けます。

日本でも追って、これから明朝にかけて
ニュース番組などで放送される予定とのことです。

Indy


冒険の舞台は1957年の南米マヤ遺跡。詳細は未だ不明ですが、オーパーツとして有名なクリスタル・スカルを巡る争奪戦が繰り広げられるそう。チラッと映るイグアスの滝が迫力あります。ハリソン・フォードのムチは健在でパシーンパシーン!(T▽Tイイハナシダナー、ジョン・ハートやジム・ブロードベント、ケイト・ブランシェットなど、個人的にも大好きな俳優が脇を固めていて嬉しいです。

Sparco


今回の敵役はブランシェット演じるソ連のエージェント、スパルコ。でもインディが戦ってるのは、これまでのナチスに代わって、同郷のアメリカ陸軍のようですね。

そして・・・!

記念すべき1作目、「レイダース」のヒロイン、マリオン・レイヴンウッド役のカレン・アレンが同名のキャラクターで登場。すごい綺麗!!28年前から時が止まったかのように若く美しさに磨きをかけています。


最も気になるシーン、

Roswell


"ROSWELL, NEW MEXICO 1947"

これはかの有名な1947年の「ロズウェルのUFO墜落事件」と関連を匂わせます。実は以前から「宇宙人が登場する」とのウワサがまことしやかに流れており、今回の予告編で更に疑惑が確信に向かった模様。もしくは宇宙人だとされた「何か?」かもしれませんが、原案はいたずら好きのジョージ・ルーカスだからもしや・・・。

※スターウォーズのスピンオフ小説などを執筆するSF作家で天体物理学博士、Kevin J. Andersonが書いた"The X-Files"の小説版『遺跡』において、マヤ遺跡の地下にUFOが眠っているという題材が扱われています。また、『STAR WARS  EPISODE:IV A NEW HOPE』に登場するヤヴィン第4衛星の反乱軍基地となった神殿は、マヤの遺跡群をモチーフにしたもの。


クリスタル・スカルは実在するオーパーツで、レーザーを通すと水晶で出来た頭蓋の中心に光が集まって発光するという神秘的な構造から、超古代文明、あるいは異星人の遺したテクノロジーだと様々な説が唱えられています。ディズニーランドでは1995年に、このモチーフを元に「インディジョーンズ・アドベンチャー クリスタル・スカルの魔宮」というアトラクションを開発。そして今回の新作の原案として採用されました。しかし内容は別モノになると思われます。

Maya


幼少時代から数え切れないほど鑑賞してきたインディージョーンズシリーズ。私にとっては、神話に対する憧憬とロマンチシズムの源泉とも言えるべき存在であり、その神秘性とは対比的に生々しくも大胆なアクションを繰り広げるジョーンズ博士のヒロイズムは、正に現代にとっての一つの神話とも言えるのではないでしょうか。

今作は「魔宮の伝説」路線のようですが、旧約聖書における「聖櫃」や、最後の晩餐の「聖杯」と十字軍にまつわる冒険の過程で描かれたキリスト教の聖書的世界観こそが、私がこのシリーズに抱く最も強いノスタルジーなので、(そしてそれを彩るジョン・ウィリアムズの宗教的楽曲も素晴らしかった!)今回の純粋な活劇風味には、とにかくそんな情緒を吹っ飛ばすくらいダイナミックなものを期待したいところなのです。

Maya2


スピルバーグのアクションセンスは、彼自身の年齢や時代において全く見劣りすることも枯渇することもない、まさに天啓めいたものを感じるので、あとは現在のVFX技術が、このインディージョーンズという主題において、どれだけ彼のイマジネーションを引き出せるかに掛かっているでしょう。ただ、ストーリーを総括するデビッド・コープの脚本は、大胆なアレンジでエンターテイメントは作れるのだけど、いつも予定調和的に小さく纏まりがちになる印象があるので、一抹の不安が。。。




□ John Williams / "Raiders of the Lost Ark"

The Miracle of the Ark


□ John Williams / "Indiana Jones and the Last Crusade"

End Credits (Raiders March)


ジョン・ウィリアムズ作曲、インディ・ジョーンズ・シリーズのスコアから2曲。"The Miracle of the Ark"は、旧約聖書にある「十戒」を収めた契約の箱の、人智を超えた力と神々への畏怖を壮大なスケールで奏でる名曲。背筋の凍るようなホラースコアリングの方法論も用いられており、ナチスの軍人や近代兵器を巻き上げ、雲を引き裂く巨大な炎の柱が眼前に浮かぶようです。人体が熱でドロドロ溶けるシーンは今もトラウマです。今の技術でリメイクして欲しいシーン。

3作目『最後の聖戦』では、ジョン・ウィリアムズの円熟期に書かれた最も格調高くヴァラエティに富んだ楽曲が展開され、スピルバーグの絶賛を受けています。特に古楽器などで演奏される「聖杯」のモチーフが琴線に触れ、古代へのロマンを掻き立ててくれます。全体的にもモチーフの切り替わりが計算された、フィルムスコアとしての完成度の高い楽曲が並び、この"End Credits"中盤で聴かれるスケルツォは、ウィリアムズの完成したアクション・スコアの一つの頂点となっています。子供の頃は、CDの銀盤がレーザーで焼け落ちるほど聴きました(笑)


"MANDERLAY"

2007-01-14 06:30:38 | 映画
Manderlay

□ Manderlay      (邦題:マンダレイ)

>> http://www.manderlaythefilm.com/
>> http://www.manderlay.jp/
>> http://www.imdb.com/title/tt0342735/
>> lens,align. >> ドッグ・ヴィル感想 (頁中間)

公開 :2005
監督・脚本 :Lars Von Trier
主演 :Bryce Dallas Howard

ラース・フォン・トリアー監督の『Dogville(2003)』に続く、『アメリカ三部作』二作目。ニコール・キッドマンが演じていたグレース役に、今回はB.D.ハワードが抜擢されています。

前作の舞台「ドッグヴィル」で狂気の住人達に制裁を加えた、ギャングのボスの一人娘グレースが偶然通りかかったのは、未だ奴隷制度の残る大農園『マンダレイ』。ドッグヴィルで奴隷のように扱われた経験を持つ彼女は、持ち前の正義感から、成り行きでマンダレイをあるべき方向へと正そうと試みる。しかし、この農園を支配する「ママの法律」には、グレースの思惑を大きく外れた真実が隠されていた・・・。

こんな粗筋。ドッグヴィルと同じくヴァーチャルな舞台演劇方式で描かれる今作。セットには「壁」が存在せず、あらゆる人物の行動が共時的に捉えられますが、マンダレイではより舞台と焦点が絞り込まれており、「群像」よりも個人個人の行動にパースペクティブが固定されています。

ヴィヴァルディやペルゴレージをアレンジしたBGMも、空間的なカメラワークで寓話的に描かれる映像のアイロニーを強調していますね。クレジットでは、黒人差別の史実にまつわる写真に乗せて、テーマ曲ともいえるデヴィッド・ボウイの『ヤング・アメリカンズ』が流れるのですが、ここで、この映画は前にレビューした「ナイロビの蜂」とは対照的に、寓話的な映像で「リアルを写実した」作品であるということに気付かされます。

さて、以前私は、ドッグヴィルが迎えた結末は、所業に対応する「判例の実現」であることを述べましたが、
「マンダレイ」では、そこが出発点であり、目標となっているのですね。しかし皮肉にもグレースは、ドッグヴィルの悲劇を引き起こした理想高き青年トムと、結果的に同じ轍を踏むことになります。グレースが法と正義と自立を訴える姿(注:彼女はギャング)は気高く猛々しいのですが、一つ一つの問題や反例的な事態への対応や文言が非常に稚拙で恣意的。それが最後には信念を曲げて感情に身を任せてしまうことに説得力を持たせているのですが。。

彼女が目指した「自律したコミュニティ」の形成が失敗した理由は何か。マンダレイは長い間「柵」に囲われ、綿の出荷と貨幣の受け取り以外は、外部とは隔絶した場所でした。グレースは、その閉鎖性を流用した為に、同時に旧来のシステムの外殻を残すことになったのが要因ではないでしょうか。黒人達が「アメリカが自分たちを受け入れる準備が出来てない」と考えているのならば、彼らを対峙させ相互反応させる必要があった。しかし、マンダレイとグレースはお互いに外側の「規範」に背を向けることを選択しました。

そういった状況の中で、最終的には、異分子であるグレース自身が、既に完成されていたシステム中の瑕疵として振る舞っていたことが明らかになります。農園は奴隷制度を共生の手段として利用していましたが、武力を用いて干渉してきたグレースによって、かつて均衡状態にあったマンダレイは、あらゆる「力」の重畳状態の中で、その中軸を失い、揺るがされることになったのです。

重畳的な支配力とは、歴史を経て蓄積された「内・外」の法の衝突と効力であり、農園を制圧したギャングの武力であり、人種差別を生じる価値観であり、人間として生まれつき備わった本能であり、欲望でした。それぞれの構造的な歪みと不協和音が、遂にはマンダレイにおける裁きと「判例」を新たに導き出します。そしてこれは今現在、この「グローバルな」現実世界においても響き続けているのでしょう。狡猾な黒人奴隷の一人、ティモシーの最後の台詞「Who made this?(白人がこうしたんだ)」にグレースが逆上してしまうのは(最初はグレース自身の言葉であったのにも関わらず)、彼が自身の無力さと傲慢の写像であったからに他なりません。

個人的に興味深くて印象に残ったのは、この作品における「狡猾さ」の捉え方の違い。イカサマ賭博を提供する者が自身を「必要悪」だと説き(住人の貯金を阻害することで、健全な自治を可能にする)、その「正直な行い」で結果的にグレースを助けてしまうのと同時に、気高い奴隷であったはずのティモシーの化けの皮を剥いでしまうことで、「イカサマ師」と「気高い奴隷」の両者が、「正直者」と「狡猾な奴隷」というカードに反転してしまいます。この「関係性の反転」は、上述の力関係と支配構造にも見て取れる、「マンダレイ」全編に織り込まれた仕掛けなのでしょう。元奴隷と白人たちは、グレースが提案した「表決」に乗っ取って、彼女が否定したはずの旧システムに転回(システムが食い破られる)、非支配者の行使する力により、「彼女を支配者という立場に束縛」しようとする現象が起こります。前作のラストとは対照的に、グレースにも手痛い「お仕置き」が用意されているのも面白いですね。

しかし惜しむらくは、主演の交代。
『ドッグヴィル』のニコール・キッドマンは美し過ぎました。
確かにブライス・D・ハワードは、「マンダレイ」における
少し身勝手なグレースのイメージにはピッタリではありますが。。


The Constant Gardener / ナイロビの蜂

2007-01-10 02:56:59 | 映画
Tcg

『the Constant Gardener』 (邦題:ナイロビの蜂)

http://www.nairobi.jp/
http://www.imdb.com/title/tt0387131/
lens align.: >> 「ナイロビの蜂」原作を購入(頁下部)

公開:2005
監督:フェルナンド・メイレレス
原作:ジョン・ル・カレ
主演:レイチェル・ワイズ、レイフ・ファインズ
(アカデミー助演女優賞受賞)

(mixi日記より転載、一部改訂。)

やっと見ました。(ジョン・ル・カレ原作はまだ途中。。)
製薬会社と英国政府、スイスの医薬機関、他様々な利権が絡んだアフリカでの人体実験的な治験の実態と、陰謀と戦う聡明な妻テッサ(レイチェル・ワイズ)を惨殺された、レイフ・ファインズ演じる(事件前は日和見的だった)外交官ジャスティンが真相に迫って行く様を、実際の事件を基にデフォルメした寓意性にとんだ作品。

ストーリーの中軸にはロマンスもおかれている他、粒子の荒い画像や偏光フィルタ、カメラブレなど、やや象徴的な映像ギミックを多用する傾向にあり、これらの映画的技法とテーマ性の相容れなさを、どう受容するかで評価が分かれるでしょう。

そう、この作品はあくまで寓話なんですよね。しかしまぎれも無く痛ましい現実とテーゼを突きつけるお話。そういう切り口、一形態として割り切って受容したいのですが、扱うテーマがテーマだけに、批評に踏み切る敷居を必要以上に高くしてしまっている気がします。 この監督は、TVシリーズ『CITY OF GOD』で6-70年代のブラジル貧民街を描いたキャリアもあり、私たちには現実感がないほど残酷でリアルな生活描写は、この作品でも存分に発揮されています。

ただジャスティンが、主を失って暗いままの妻の家を「窓の外から」覗いて、幸せな光景をフラッシュバックしながら泣きくれる場面で「ああ、この作品はロマンスなんだな。」と思いました。

前半では、生前のテッサとジャスティンの馴初めや、子供の死産を契機に、鬼気迫るように陰謀に肉薄していき、そして殺害事件に至るまでの経過が、時系列をシャッフルして交錯的に描かれています。 後半は妻の残した手掛かりを辿り、失うもののなくなったジャスティンの痛々しいまでの追求劇。暴利を貪り、共食いすら始める身勝手な黒幕達との駆け引きと攻防が、終始緊張した展開を迎えます。クライマックスで重要な人物が語る「政府、援助機関、全ては『罪の意識の環』で動いている。」という台詞が、どこまで真実を語る言葉なのか。。(この人物に限らず、現実には多くの人間が、自らの正義を行使するために、罪を重ねていることもあるのだと思うけど。)

夫婦愛と絆が導いた事件の顛末と同時に、対照的に描かれるラストシーンはすごく切ないですが、(涙涙。。
ある意味で、作品の訴える「人間性」について、「世界の抱える真の病巣」と「個人の動機」を一貫した共通項で繋いだ試みではないかなぁーと感じました。 原題「the Constant Gardener」は、せいぜい自分の庭いじりに労する私たち自身の姿か、それともジャスティンが赴いた、人の心に築かれた「永遠に還る場所」を繕う行いか、あるいはテッサのように、貧困と苦しみの蔓延し、不条理な規則が支配する現実世界に向き合い、抗おうとする勇姿を指すものなのか。

「彼らの命が安いから、我々が容易に利益を得られるのです。」

ある人物が終盤で、蜂の一刺しのように口にするこのセリフは、 私たちの扁平な「価値観」が如何に根拠が無くて脆いものかを再認識させてくれるでしょう。

なんか目が滑ってしまうレビューですが、
近いうちにブログでもしてみようと思います。。




ファーストインプレッションを残しておきたかったので、
あえてそのまま投稿しました。


Star Wars Episode III:Revenge of the Sith.

2005-06-27 03:06:37 | 映画
───「これで自由は死んだわ 万雷の拍手の中で」
                 -パドメ・アミダラ
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先日観てきました。
率直な感想を述べると、とても重かったです。
展開はただひたすら終盤に向けてダウナー一直線。
物事がジリジリと最悪の方向へと布石を巡らし、
遂には運命の瞬間が訪れてしまいます。

※ ↓以下、ネタバレ注意↓

ダース・ヴェイダーの誕生と、銀河共和国の帝国制への転身を描くのが大筋。
テーマとしては業に支配にされる善悪の区別と拮抗が扱われています。
万物の流転と調和を重んじるジェダイと、万物を制御し、
生命を死から救う力も備えるというシスの教義。相対する
二つの規律への疑念と板挟みに陥った英雄アナキン・スカイウォーカーは、
最愛の人の命を救いたい一心から、闇の所業を犯してしまいます。

彼を暗黒面へと陥れたのは、「情と執着」でした。
情の強さから数々の命を救い、心優しい一面を見せる一方で、
その性質が翻ることにより、全く逆方向の行為と結果を齎してしまいます。
要は「自分のすべきこと」が導く目的の成就よりも、
それに起因する感情的な動機と衝動に囚われることで、
師や同志を裏切り、子供達を殺した後、自己正当化の為に一転した論理を振るう、
背徳的とも言える業を差別する規範さえ見失うことになるのです。
しかしこの作品の最大の見所でカタルシスを感じられるのが
その一連の出来事であり、灼熱の紅彩の中で青色のライトセーバー同士が
閃光を衝突させる様はショッキングであると同時に、
退廃的な恍惚感さえ覚えてしまいました。
クライマックスはアナキン vs.オビ=ワンと皇帝 vs. ヨーダのセーバー戦が
同時進行で畳みかけるように描かれ、ここぞというシーンで挿入される
エピソード1の音楽「運命の闘い」で興奮は最高潮(笑)
ただその結末はあまりに酷く、おぞましいものでした。

悔やましいのは、彼が至る処で間違いを振りかえり、過ちを押し留め得る瞬間があったこと。しかし状況がそれを赦しませんでした。
「失いたくないが故に、それを失うことになる」
諸悪の根源で黒幕であった皇帝自身のこの言葉が、善悪両者の悲哀を孕んだエピソード3の通奏低音として響いているような印象を持ちました。

ビジュアル面では、新三部作の過去2作より更に大きく深化、飛躍していて、冒頭のコルサント上空の宇宙戦では速度の対比を効果にしていたり、圧倒的な立体感覚と空間処理にリアルに浮遊感を覚えました。(フワッと)これは大画面で是非体感してください!それにこれまでは「ハイ、ここが○○星の△△ですよ~」みたいなのっぺりとしたCGセットの世界がそこにあるような感覚でしたが、今作ではしっかりとその奥行きと多側面を捉えられるようになっています。正直前2作は旧3部作とは世界観が乖離しているように思えてならなかったのですが、今作は戦時中という時代設定もある為か、かなり旧作に近い雰囲気を感じられるのも特徴。旧3部作を観て漠然と空想を広げていた広大で神話的な宇宙が、ここに来てはじめてビジュアルに裏打ちされたと言っても良いかもしれません。

宇宙船の形状も示唆的なので注目。今回は帝国樹立の寸前ということで、旧3部作で描かれる帝国軍と反乱軍、両者の宇宙船の特徴を一つに兼ね備えています。


そんなわけで一回観た印象をつらつら書いて見ましたが、
後最低10回は見に行くつもりなので感想も当然変わるかも(笑)
後半部の展開が神憑り的なので、アカデミー編集賞を取れるかも。。


Anakin's dark deeds

ジェダイ聖堂の殺戮と、オビ=ワンがパドメにアナキンの罪を告げ、
彼女に彼の居所と妊娠について迫るシーンで流れる音楽。
とても悲痛で美しいミニマルな旋律が後半部に浮上します。
スターウォーズでこの種のフレーズが聴けるのは異例。


Lost in Translation.

2005-06-10 22:52:12 | 映画
───“もう二度と東京には来ない。今回が楽し過ぎたから。” -シャーロット

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見たのは先週、やっと感想を書く余裕が出来ました(T-T
純粋で危うい文学感覚に長けた女流監督、ソフィア・コッポラが
お互い異邦人として東京で出会った男女の孤独と心の通い合いを、無闇な感情吐露やシチュエーション造りを避けて、
あくまで自然に淡々と描いています。(やや喜劇的描写もありますが)中心舞台となるパーク・ハイアットは私も大好きなホテルで何度か泊まっていますが、映画の通りとにかく外人さんの信頼が厚い場所。劇中でも主役の二人が唯一安らげる所として、大きな存在感を示しています。

"Lost In Translation"とは、翻訳の過程で本来の意味が失われてしまうこと。
この作品の東京の人々の描写は、外人視点だからこそというわけではなく、
実は私達自身が共感できる部分が大きい。誰もが東京で身に沁みて感じたこと
のある寂謬感が全編に漂っている気がする。人々の間にある障壁は
言葉の問題だけではない。ソフィアは東京での実体験で感じたことを
そのまま表現することで、海外映画としてはこれまでにないほどリアルな、
同時に非現実的な感傷に満ちた雰囲気を醸し出すことに成功している。
二人の東京での遊び方は、正に日本人のそれだし(笑)

家庭に疲れ、俳優としても草臥れた中年のボブ・ハリスを
演じるのはビル・マーレー。大学卒業後若くして結婚しながら、
人生に絶望感を抱いている聡明な女性シャーロットは、
監督の前作"ヴァージン・スーサイズ"から繊細な演技を
光らせているスカーレット・ヨハンソン。
別れ際の最後のセリフは意図的に聴き取れないようにしてあって、
鑑賞者が「自分自身なら・・・」と私意を挟むことが出来るけど、
ここでは寧ろその言葉の意味を追わないことが重要だと思う。
大切なことは二人の間だけで伝われば良くて、外からあーだこーだ
言ったものは、もはやそれ自身の意味からかけ離れてしまうから。
本当にここで大事なのは、交わされた言葉の両端にある二人に訪れた結果。
お互いの振舞いの変化そのもの。言葉は常に過程に過ぎない。
結局、「お互いの関係が何であったのか」ということは
「お互いの為に何が出来たのか」ということ以外に由来する処は無い。


□ Tunes of the Day

ephemeral


□ Synaesthesia / "Ephemeral"

Intelligence Dream

Deleriumのサイド・プロジェクトSynaesthesiaの3rdアルバムから。
KARMAの同年に発表されたこの作品は、エスノ・トライバルサウンドを
前面に押し出した正に『裏KARMA』な内容。

2worlds


□ ATB / "Two Worlds"

Enigmatic Encounter (Feat.Enigma)

Enigma方面から意外と知られていないのが、このATBとの正式なコラボ。
Michael CretuのEnigma名義としては、現在唯一の他アーティストとの合作。
このネタも"MCMXC a.D"からの引用で、ある意味"The Screen Behind -
- The Mirror"のフォロートラックという見方も出来るかもしれません。


□ Andy Hunter

GO (Antillas Remix)


                                  _*


The Village

2005-05-13 00:42:13 | 映画
───言葉を連ねて何になる? -ルシアス・ハント『ヴィレッジ』

※若干ネタバレ含みます。

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M・ナイト・シャマラン監督の"The Village"を観ました。
予告と前説から予想していたオチがズバリだったので、驚きは全くなかったのですが(実際安易に推理出来ます。)この作品の魅力は何と言っても長閑な映像美に散りばめられた寓話性にあります。"Unspeakable"の描写も実に不気味で、子供の頃に想像に描いた恐怖を見事に再体現しています。時々フォーカスをずらしたり、カメラを揺らしたりと"映像で語ること"に重点を置いているのが良く汲み取れる。

森に閉ざされた村、年長者が抱える「秘密」(秘密は隠されることでそれ自身を語っている。)そして「無垢への回帰」。このお話は普遍的に語られる怪談などの民間伝承の本質的なありように着想を得ています。「まやかしの恐怖」の存在理由。盲目のヒロインが伴侶を救うために灰色の森に踏出すシーンからは戦慄とカタルシスが同時に伝わってきます。人は恐れるから勇敢になれるのだと。まやかしによって植付けられた恐怖と対峙しながら、手探りで道を拓く姿には、人間の普遍的な要素を感じずにいられない。目が見えていても見えなくても、森は誰に対しても森であって、誰もが自分の知っているだけの現実と向き合わなければならないのです。そしてその普遍性が、外界から閉ざされた無垢のはずの世界に悲劇を齎してしまう。比喩的に言うと、まやかしが現実を食らい表出する瞬間。それは現実に起こっている問題そのものの写し身であった。しかしヒロインは手探りで辿った道の中で現実に乗り越えた脅威をコントロールして、まやかしから降りてきた"怪物"をその中に捕えてしまいます。

私達も知ることが出来るでしょうか、自分にとって得体の知れないものの由来が、自らの存在と深く関わっていることを、あるいはそれ自身に欺かれているということを。超過の道は真実に通じているかもしれない。だけど彼女が最後には恋人の元に帰還したように、自分にとって最も大切なものの所在こそが、自らの居場所であり、帰るべき場所であるのだろうなと思う。

その村は閉ざされてはいなかった。外界に対して最も強い意思を行使している境界だったのです。何より継ぐ者達の未来が、その外界に対して与える影響こそ、掟を作り上げた年長者にとって最も大きな価値を生むものになるだろう。というお話についてのお話。James Newton Howardとヒラリー・ハーンによる、儚くも力強い美しさを放つ音楽も終始素晴らしい。


□ Tunes of the Day

lim


□ Enigma / "The Screen Behind The Mirror"

Push the Limits

Enigmaにとって最も革新的なサウンドだと感じるのがこちら。
Karl Orffの『カルミナ・ブラーナ』から"O Fortuna"をベースモチーフに、
1stアルバム"MCMXC a.D."の反芻を基型とする本作品にあって、
鋭い自己言及を投げかけています。アルバムで用いられるパーツを
総て凝縮し、ドラムループを規則性に従って分散、階層化させ
立体感を演出。さながら『音のアーミラリスフィア』といった
様相を呈しています。グラウンド・ビート後拍のニ音の強弱を反転させた
まるで反射音のようなリズムがアルバム全体に満遍なく顕れていますね。
ピチカートの主旋律には、低音部の対旋律を絡めており、構造的な主題も
一貫しているようです。"Traces(Light & Weight)"は、"Camera Obscura"
(写真装置の暗箱)のプリズムに射し込みスクリーンに漂い揺らぐ光子の
質感や、その出自に関わる形而上の感覚を覚えさせる見事なコラージュ。
"Smell of Desire"では"Mea Culpa"のダイアログと"Sadeness"の反転聖歌
が再解釈の内に反復される他、表題曲で現れる"The Rivers of Belief"のギターフレーズ
など、作品全体に装置的な細工を施していて、聴くたびに発見や啓示が絶えません。
私がこの5年間、そしてこの先も最も強く対峙し続けているであろう作品です。


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□ Harland / "Salt Box Lane"

In the Dark
Salt Box Lane


Shelley Harland。ソロアーティストとして活動する傍ら、
Junkie XL、Pole Folderなど、数々のクラブ・ハウス系作品に
ヴォーカルを提供、DeleriumのライヴツアーにはKristy Thirskと
デュオで参加し、Pillofiteを結成。Delerium"Chimera"の
アウトトラックで、iTunes等で聴ける"Above The Clouds"を
共作、ヴォーカルを取っています。

最近ではSleepthief"Desire of Ages"の壮大なEnigma/Delerium系
サウンドにのせて、素晴らしい歌詞を書き上げて歌っています。
何処か幼さを残しつつ、エキゾチックな感触も併せ持っているのが魅力。


Achillea - "The Nine Worlds"

2005-04-18 20:16:59 | 映画
-Jens Gad feat.Helene Horlyck-
gad□ ACHILLEA / "The Nine Worlds"

Release Date:11/04/2005
Label:bscmusic / prudence
Cat.No: 398.6710.2
Format: 1CD

Ragnarok - Twilight of the Gods
The Monks of Lindisfarne

www.gadmusic.com

北欧伝承の系譜をテーマにしたチルアウト/ニューエイジ。
Jens GadとHelene Horlyckそれぞれのルーツを扱ったもので、スカンディナビアの古語やヴァイキングに纏わる地名などを散りばめて、セピアに彩られた史劇的情感を煽る作品となっています。
Zodiac(黄道十二宮)や古い航海地図をあしらったジャケットデザイン。

音の方は、Enigmaと同じパーツを用いながらも音数は絞って、淡々として叙情的なグルーヴを保持。Enigmaからビザーレな部分は取り除いて、アンビエント色に補調。神話的な感覚を強めた感じでしょうか。Pilgrimageの"9 songs of Ecstasy"を思い出したのは私だけじゃないはず。

"Prelude"は、効果音と壮大なシンセから導入するサウンドスケープ。
シングルカットされるという"The Seeress Propheey(Daydreaming)"は懐かしいダンス調のシンセとHeleneのオペラチックなハイトーンヴォイスが絡む異色の作品。これは試作段階でルースアンが唄っていたものを録り直したものですね。"The Monks of Lindisfarne"では、グレゴリオ聖歌とE4"Push the Limits"で使われたリズムパターンが現れます。漂うようなダーク・アンビエント"Shears from Scar"は反転されたヴォーカルが暗闇の淡光の如く煌き、クライマックスを飾る"Othila - The Rune Masters"の哀愁を喚起する力強いシンセストリングスから、再びシケイン風のアウトロに移行して神話の旅を結びます。


□ Conjure One latest remix

カナダのCruxshadowsとColette Baronの2アーティストに
新曲のリミックスを発注したそうです。仕上がりはまだとのこと。


□ 映画

アビエイターを見てきました。
ヒューズの言う『未来への道』。
彼はずっとそこにいたんだなーと。
人は皆特別な過去に縛られて生きているのかもしれない。
最後の証人喚問はややクライマックスとしては弱くて
肩透かしに終わってしまったけど、結局は彼の誠実さが
勝利を勝ち取るに至る過程が明快に示されていて気持ち良い。


□ 日記

フランス料理店。私気付きました。
スタッフとの相性が待遇を左右しますw
今日はなんでかメニュー一つ一つに
詳しい解説まで頂いて有り難かったのですが、
周りから視線をチクチク感じて恥ずかしいっつの(-_-)ヤメテクレ…
あと、某日経の特集で読んだんだけど、赤ワインと白ワインは
同時に頼んだ方がいいの?デキャンタージュって
どのくらい時間かかるの?


北極大陸は存在するので?

2005-03-27 11:25:34 | 映画
【北極大陸は】戸田奈津子の字幕35【存在を?】
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/movie/1111072822/

計らずもナショナルトレジャーでまた一つ伝説を創ってしまった
ナッチこと戸田女史。それも「北極大陸」を?
ムーとかアトランティスとかの類なのかと思ってしまいました。
子供にも突っ込まれる始末なので。
大きな特徴として「~を?」とか「~なので?」という語尾の省略、
外来語をそのままカナ表記でねじ込む強引さ等が挙げられます。
丁度予告として流れた『スターウォーズ:EPISODE3』でも
「その力は学べるので?」なんて片鱗を覗かせているので、
本編がとても心配です。なぜなっちを?どうして変えないので?


どうでもいいネタ尽くしになって
いきなり底をみせはじめたこのブログの行く先は何処なので?
コメントはもうちょっとお待ちを?


You are the choosen one!!

2005-03-13 16:32:28 | 映画
starwars3
STAR WARS Episode III -Revenge of the Sith-
(全米五月、日本七月公開)
の最新予告編が公開されました。

Scifinews.de
にて無料でダウンロードできます。(公式サイトは有料)
ダイアローグと訳はこちら
http://www.starwars.jp/ep3memo.html
あぁぁ。。オビワンの最後の叫びが悲痛(⊃дT)
これで私にとっての神話が一つ、その環を閉じてしまうのですね。。