愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

津市白山町 真光寺の地蔵笠石仏

2013年12月16日 | 石仏:三重

津市、旧白山町の真光寺墓地に立つ地蔵石仏。

前回紹介の旧久居からの帰り道、かねてから気になっていた真光寺の地蔵笠石仏を訪ねて来た。

白山町は青山高原の東部山裾、国道165号線沿いの鄙びた山里・・・・、真光寺は国道165号、倭交差点南西脇に立つ、地区の集会場を兼ねた小さな無住寺。

そんな境内脇、寺墓入口に真新しい基壇を設けられ、六体地蔵と共に立って居る。

本来伊勢街道脇に立って居たそうですが、いつの時代かにここへ移された様です。

高さ約1mの板石状自然石の表面の頂部のなだらかな舟形光背を彫り、中に像高約60cmばかりの定形地蔵を半肉彫りで刻み出して居る。

軒反りの良い大きな笠石と穏やかで古風な像容、反花坐を持つ大きな蓮台に立ち、南北朝期の造立。

袈裟懸けの様な補修痕が少々気になりますが、穏やかな顔容が記憶に残る地蔵さんです。

鄙びた山里の田舎仏に在っては珍らしい。

撮影2012.4.1


旧久居市桃園 光明寺地蔵石仏

2013年12月15日 | 石仏:三重

旧久居市桃園地区、三体目の石仏は 天台真盛宗光明寺に残る地蔵石仏。

光明寺は近鉄桃園駅、東へ約600m、新家(にのみ)町外れに佇む静かな庵。

本堂脇に立派な地蔵堂が建ち、砂岩製の大型地蔵石仏が安置されて居る。

地蔵石仏は二重光背を負い、蓮華坐に立つ像高142cmの定形地蔵立像。

真っ赤な涎掛けと帽子をちょっと失礼・・・・像容が「栄松寺」のものに瓜二つ。

光背に「正和三年(1314)甲寅八月廿四日 願主 沙弥道観」の刻銘がある。

栄松寺が同年8月16日、光明寺が8月24日、宝樹寺が8月29日の造立、殆ど同時期に同一作者だと思われる石工の作??

それにしても同時期造立ながら、立像、坐像、龕像と全く違う形状で表されて居るのが凄い

しかしこの石仏も前述「光明寺」の石仏同様、光背と鼻先口元の一部が欠損・・・これは偶然???

撮影2012.4.1


旧久居市桃園 宝樹寺の地蔵菩薩坐像石仏

2013年12月14日 | 石仏:三重

前回に同じく旧久居市桃園地区に残る鎌倉後期の地蔵石仏。

近鉄桃園駅より南方向へ約300m、集落外れに天台真盛宗の宝樹寺があり、前述の栄松寺に同じく真新しい本堂で迎えて呉れる。

良く整備された境内横、寺墓入口に立派な地蔵堂が建ち、堂内に安置、祀られて居る。

供台により最下部までは見えませんが、台座は三石に分けられ、最下に複弁反花座、敷茄子、その上三段うろこ葺きの蓮華座を設けて居る。

上に載る地蔵石仏は二重光背、蓮花紋円頭光、を持ち結跏趺坐、右手錫杖左手宝珠の定形地蔵ながら、木彫仏程の肉感や精緻さに驚きを隠せない。

総高217cm、像高84cm、光背に「願主 右衛門少尉 源 幹重」 「正和三年(1314)甲寅八月廿九日建立之」の刻銘がある。

大きく丁寧で存在感の有る造りは、かなり手馴れた腕前を持ち、「栄松寺」の地蔵石仏と同石工の作だと考えられて居る。

三重県の文化財指定・・・・、少し惜しい事に後背上部と鼻先口元の一部が欠損して居る。

撮影2012.4.1


津市 旧久居市桃園地区 栄松寺の地蔵石仏

2013年12月13日 | 石仏:三重

旧久居市、近鉄名古屋線「桃園駅」北西約500m、「栄松寺」に残された地蔵石仏。

栄松寺は新旧混じり建つ古い檀家寺、付近の住宅開発が進み、本堂や庫裡は真新しく、境内もスッキリ整備されて居る。

山門がわりに植えられた槇の木が見事に刈り込まれていたのが印象的・・・・付近にはもっと見事な植木門も有り驚かされた。

石仏は良く整備された境内の片隅に覆い屋を建てられ安置されて居る。

見るものを驚かすような一種独特な造り・・・柱状凝灰岩に深さ約30cm近くも二重光背を彫り窪め、龕状にした中に地蔵立像を刻み出して居る。

地蔵立像は見事にせり出した蓮華座の上に立ち像高66cm。

細身ながら厚肉彫り、穏やかな顔容で、余程力量の有る石工の作だろう・・・・

頭光背を戴き、高背面には「正和三年(1314)甲寅八月十六日造立也」、「願主沙弥淪海」銘が見え鎌倉後期の造立。

因にこの桃園地域には、他に二体の年号を同じくする素晴らしい地蔵石仏が残されて居る。

撮影2012.4.1


大阪府交野市 覆い懸け民家

2013年12月12日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

大阪北河内、交野市中心街に程近い住宅密集地に残って居た覆い懸け民家。

大きい屋根をを持つ上級農家だったのだろう・・・在りし日の茅葺き屋根はさぞかし立派だったに違い無い。

付近は民家が建ち混んでるとは言え、まだまだ昔日の名残を留め、大きい屋敷に覆い懸け民家がポツポツ残されて居る。

積木細工の様な現代建築を背に、黒いトタンを掛けた大きい入母屋造り・・・・

街中では覆い懸け民家を見かけることすら難しくなった。

撮影2013.4.27


奈良県生駒市  南田原町の覆い懸け民家

2013年12月11日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

大阪府四條畷市上田原と対面する奈良県生駒市南田原の覆い懸け民家。

棚田道を登って行くと目の前に背の高い大和棟の覆い懸け民家・・・・、後方にも色違いの覆い懸け屋が見える。

茅葺き屋根に似せたつもりだろうか??紅殻色のトタン屋根が良くマッチし、落棟館の煙り出しも中々良い感じ。

台地裾にもこんな大和棟民家が見られて、この辺りにはまだまだ、こんな民家が色濃く残って居る

撮影2013.4.5


奈良県生駒市  南田原町の茅葺き民家-2

2013年12月10日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

南田原町、台地集落の北端に建つ豪農クラスの大きな屋根を持つ民家。

隣には新築ながら大和棟民家?、手前には豪壮な茅葺き屋根。

屋敷はやっぱり、大きな植え込みと長屋門に囲まれ、静まり還っている。

この家も妻側半分と裏側は銅板懸けに成って居た。

立派な屋敷や建物が目立つ集落でした。

撮影2013.4.5


奈良県生駒市  南田原町の茅葺き民家

2013年12月09日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

生駒市南田原町、旧道とバイパスに挟まれた高台集落で見掛けた半茅葺き民家。

高台集落への細い坂道を登って行くと、周りを腰板塀と庭木に囲まれた大きな屋敷、その奥には大きな屋根の茅葺き民家。

表正面だけ茅葺きのまま残し、妻側や裏側は全て銅板で覆って居る

寄せ棟と呼ぶのか?入母屋と呼ぶのか?棟は棧瓦仕舞、右妻側に小さな落棟の様な煙り出し館を設え、独特なデザイン・・・・。

この辺は都市部へのアクセスも良く宅造も盛んで金回りも良いのだろうか?整備の行き届いた大きい屋敷の家が目立つ。

撮影2013.4.5


奈良県生駒市  北田原町の覆い懸け民家

2013年12月08日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

こちらは生駒市北田原町で見掛けた覆い懸け民家。

大阪四條畷市の田原地区とは国道168号線を境に接する、奈良県生駒市の北田原町。

淀川に注ぐ、天の川右岸に広がるなだらかな棚田上部に集落の家並みが建ち並ぶ。

集落内にはやっぱり大きな屋敷構えの民家が多く・・・・

在所内は何処を走っても離合困難な道ばかり・・・・古い在所道なんて車が通ることなど予測もして無かったろう・・・。

まだ40~50年前には牛が荷車を引いていた道そのまま。

田圃の畦道は軽四トラックが何とか走れるように広げられ・・・・田圃の縁には覆い懸け民家。

桜の頃には何とも言えない長閑さを醸し出して呉れる景観が広がって居る。

撮影2013.4.5


大阪府四條畷市 下田原町の覆い懸け民家

2013年12月07日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

この集落の茅葺き屋根も、ここしばらくの間に全て消えてしまった。

大阪、四條畷市、上田原の北側に位置する下田原集落。

長閑な田園風景を囲む様に、大きな屋敷を持つ民家が建ち並び、鄙びた里山を演出しているが・・・幹線道路国道163号線が集落を分断するように貫いている。

見事な煙り出し館を棟上に備えた寄せ棟トタン屋根の民家は茅葺きの侭でなくても、充分その美しさを感じられる。

撮影2013.4.5


大阪府四條畷市 上田原の茅葺き民家/覆い懸け民家

2013年12月06日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

生駒山系北端近く、東側山裾、四條畷市上田原町で見掛けた茅葺き民家と覆い懸け民家。

どうしてこういう事に成ってしまったのか??ここ田原は国道168号線を境に東と西に分けられ、西側は大阪市四條畷市、東側は奈良県生駒市と成り、

それぞれが「上」「下」・・「北」「南」と分れ、ややこしい事この上ない。

かっては一つの郷として存在していただろうに・・・・。

そんな上田原に唯一残った茅葺き民家、しかし納屋袖門?は固く閉ざされ、庭木は伸びるに任され外部からは建物も窺い難い状況。

唯一撮影出来た一枚、もう温もりは無く、ただただ朽ち果てるの待って居る状態でした。

このまま朽ち果てるのは何とも忍びない佇まいですが・・・・。

すぐ近くには、よく似た屋根の覆い懸け民家。

前回、高山で見掛けた覆い懸け屋によく似て棧瓦棟に煙り出し館・・・茅葺きのまま見てみたかった。

少し離れた覆い懸け民家

やっぱし同じ様式、トタン屋根の色が違うだけ・・・・、これはやっぱり生駒形式とでも云うのだろうか・・。

美しい形です。

撮影2013.4.5


京都府精華町 乾谷の覆い懸け民家

2013年12月05日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

昨日に引き続き国道163号線沿い、こちらは京都府側のなだらかな丘陵斜面に建ち並ぶ集落。

こちら、斜面と言う程の高低差はなく、すぐ背後には中枢部が広がっている。

しかし集落の入口辺りから望む景観は、そんなことを全く感じさせない純農村集落の佇まい。

この集落の民家も、前回同様、良く手入れが行き届き裕福で有る事を窺わせる。

大きな大和棟はカラフルなトタン屋根に変身。

旧い在所道をちょっと詰めれば、こんな懷かしい佇まい・・・・

高い石垣の上に屋敷を構える上級農家・・・・・大きい大和棟覆い懸け民家だが・・・ここは相当傷んで居ました。

こんなトタン屋根民家も・・・

こんな民家も・・・この集落でも茅葺き民家は全滅・・・それでも懐かしさを醸し出す覆い懸け民家は、まだまだ沢山見られます。

撮影2013.2.26


奈良県生駒市 鹿畑町

2013年12月04日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

国道163号線、奈良県生駒市の最東端、京都府と境を接する大規模開発の京阪奈学研都市の狭間に有る旧い集落。

周りはすっかり学研都市の開発が進み、この谷筋斜面だけが開発の波から取り残された様に昔日の佇まいを残している。

国道を逸れ、旧道を少し進めばこの景観・・・少し残った棚田を前に大きな長屋門の奥手に大和棟民家。

集落は谷川沿いの斜面に雛壇状に建ち並び・・・・・

豪壮な大和棟や覆い懸け屋が点々と見られるが、茅葺き民家は殆ど姿を消してしまった。

谷筋を上へ上へと詰めると・・・・・・

こいんな素朴な覆い懸け民家も。

この集落は谷間斜面に100軒以上も連なり、尾根筋まで続き、旧い集落の形態を良く伝えている。

学研都市開発で土地成金も多いのか?どの民家も手入れが良く行き届き、真新しい近代的な大和棟民家も数多く見られる。

都市近郊と言う事もあり、奥深い斜面集落でありながら、殆ど廃屋などは見られない。

しかし集落では子供の姿には出逢わなかった。

鹿畑・・・・その昔は鹿が群れ遊ぶ程の奥地だった事だろう・・・・・。

撮影2013.2.22


奈良県生駒市 旧宮方集落

2013年12月03日 | 街道街並集落 景観 

グーグルマップを眺めて居て、この地にも茅葺き民家が残って居そうだと寄ってみた。

たった1軒残って居た茅葺き民家も、宗教法人の名を大きく掲げた艶消しの景観に成って居ました、しかしこの集落の景観が素晴らしかったのでUPしておきます。

国道163号線高山大橋から県道7号線で北に直ぐ、宮方橋で右折、集落は富雄川に注ぐ小川沿いの小高い台地に石垣を積み並び建つ。

小さな小川の谷はなだらかな棚田が占め、どの家も大きな敷地を持ち、裕福な集落で有る事を窺わせる。

集落入口に付近の民家は茅葺き屋根に銅板懸け、棟に掲げられた避雷針がちょっと物々しいけど・・

その並びにはこんな民家、棧瓦屋根だが、土蔵や土塀の白壁とのコントラストが美しい。

こんな古き佇まいを一杯に残した里山ながら、大都会大阪へのアクセスが便利で、周りはどんどん積み木細工の様な住宅地になって居る。

もうこんな佇まいも、そう長続きはしないかも・・・・。

撮影2013.2.22


奈良県生駒市 榜示(ぼうじ)の覆い懸け民家

2013年12月02日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

「あの頃はまだ良かった、たとえ覆い懸け屋でも残って居て・・・・」、と言われる日も、そう遠くないはず・・・・。

2007~年撮影の国土地理院の空撮では一軒のみが健在、グーグルアース「2007.2.1、取得」とする空撮には二軒がの完全な茅葺き民家が写って居る。

榜示の集落は奈良県生駒市の北端、大阪府交野市と県境を接する里山集落、その昔は同一集落だったのか?交野市側にも榜示の名を持つ、たった4~5軒の集落が有る。

集落は県道7号線沿いの高台に軒を連ねるが、旧い佇まいを残す民家は殆ど県道近くに集中している。

今でも奈良の茅葺き民家で検索するとこの民家の茅葺き時代の写真が出てくる。

この裏手にも必ず登場するもう一軒の茅葺き民家が在ったのだが・・・・、それはもう5~6年前にすっかり解体、すっかり新建の近代的な建物に変わって居る。

同じ並びに在る覆い懸け屋根民家・・・

片側を寄せ棟、もう一方を入母屋造りとして、煙出し館を棟の上に置く独特な造りで美しい。

少し離れて谷川にも、もう一軒・・・・

一般農家だったのだろう・・・朱いトタン屋根の小さな入母屋造り。

こちらもう一方の谷側の覆い懸け民家

同じ入母屋造りでも一回り大きな屋根を持つ・・・もうこの集落の茅葺き屋根は全て全滅。

覆い懸け屋根が遠い昔の面影を伝える。

撮影2013.2.14