古い寺には古い石造遺品・・・・、昨日に引き続き京都嵯峨釈迦堂(清涼寺)の三石塔。
その一基目、「源融(みなもとのとおる)の塔」と呼ばれる鎌倉時代後期の宝篋印塔。
相輪を除いた高さは163cm、塔身には金剛界四仏の種子を刻むと言うが、彫りが浅いのか良く見えない。
直立に近い隅飾り、切石の上に、基礎を無くし、別石で造られた単弁反花座の上に載り、均整の取れた風格を持つ。
因みにここは、源融の山荘「 棲霞観(せいかかん)」があり、死後「棲霞寺」としたのがこの寺の始まりと言われている。
二基目の宝篋印塔は「源融の塔」の少し北側、石柵に囲まれた基壇の上に後ほど紹介する石造層塔と並立している。
一目見るなり何処か変、笠部の隅飾りが全て欠損、どこか締まりなく、何となく落ち着きません。
四隅共に欠損するなんて・・・、なんか人為的なものも感じ無いでは居られません。
複弁反花座上に載る塔身には、金剛界四仏の種子を、線彫りの月輪内に刻み、「嵯峨天皇の塔」との伝承があるようですが、鎌倉時代後期の造立。
同柵内、向かって左手には、古びた様式を持つ石造層塔。
特に初重軸部と一段目、二段目の屋根部は軒が薄く勾配も緩く、軒反りも少なく、特に古い様式示している。
特筆すべきは、隅取りした細くて高い塔身、古様な顕教四仏の種子。
基台上部も面取りがあり、古式をを踏襲・・・・上部を欠損するも平安末期の五重層塔だと考えられ貴重な石塔です。
撮影2006.12.16:2012.8.25