Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

Twitter @pkcdelta
https://www.facebook.com/GifuNeurology/

シャルコー先生をめぐる旅

2019年09月05日 | 医学と医療
今年の誕生日はパリに滞在し,敬愛するシャルコー先生(Jean Martin Charcot, 1825-1893)をめぐる旅をした.1882年,パリ大学に世界初の神経学講座が開設されたが,先生は初代教授として筋萎縮性側索硬化症や振戦麻痺(パーキンソン病),多発硬化症,脊髄癆等を正確に記述し,さらにヒステリー研究にも取り組まれ,「神経病学のナポレオン」と呼ばれた.今回,先生が診療と研究を行ったサルペトリエール病院臨床講義を描写した有名な絵(Une leçon clinique à la Salpêtrière, Brouillet 1887)が展示されるパリ第5大学(医学史博物館),そして先生が眠るモンマルトル墓地を訪れた.

【シャルコー先生の研究の現代的意義】
私はシャルコー先生に強い興味を持ち,関連する書籍や文献を集めてきたが,興味の理由は偉大な研究者であることと同時に偉大な教育者であったためだと思う.先生はつまり教育に情熱をかけていたことで知られている.その実績はPierre Marie,Babinski,Gilles de la Tourette,Freud,三浦謹之助など優れた弟子を数多く育てたことからも容易に理解できる.先生は2つの有名な講義,つまり入院患者をテーマとして念入りに準備をして行う「金曜講義」と,主に外来患者を扱い即興的に行う「火曜講義」に取り組まれた.いずれも院外はもとより海外からも多数の聴講者が集まったそうだ.「火曜講義」は,「シャルコー神経学講義(白揚社1999)」や,「シャルコー 力動精神医学と神経病学の歴史を遡る(勉誠出版2007)」といった書籍で読むことができる.

その研究に関して,Rush大学のGoetz教授は,現代の脳神経内科医における重要な意義を3つ挙げておられる.1つ目は神経学における臨床と病理の協働によるアプローチを確立したこと(複数の患者の共通する症候を丹念に記載し,病理学的共通点を見出し,症候や疾患概念を検討する方法論の確立),2つ目は他の領域の進歩を神経学に積極的に取り込み発展させること(写真機とメトロノームを連動させ,不随意運動の連続写真を撮影したり,様々な研究部門をサルペトリエール病院内に設立したこと),3つ目は神経疾患の病態の理解に遺伝学の役割を重視したこと(家系内の異なる表現型も同一の病態ではないかという視点を持っていた)である.

【印象に残る「火曜講義」の2つのことば】
個人的にシャルコー先生から強く影響を受けたのは「典型(type)と亜型(formes frustes)」に関する考え方である.以下,1888年3月20日の火曜講義の言葉を引用する.

「基本形を学ぶ事は病気の記述をする基礎になります.それは欠くべからざるものであり,漠然とした混沌の中から1つの病態を抽出できる唯一の方法です.・・・しかしいったん基本型というものが確立されれば,その次の作業が始まります.基本型を詳細に調べ,各部分を分析していくのです.つまり,症状が1つだけ単独で生じているような不全型も認識できるようにならなければいけないのです.この2番目の方法を用いれば,医師は基本型もまったく新しい光に照らして見られるようになります.・・・病気のごく初期の段階であっても,医師は病気を敏感に察知するようになり,それが患者の利益につながるのです」
私は進行性核上性麻痺(PSP)や多系統萎縮症などの神経変性疾患に関心を持っているが,まさに現在,世界で行われている治療を目指した研究はシャルコー先生が述べたことに他ならない.PSPを例とすると,典型的な症例(Richardson症候群)の検討から始まり,さまざまな不全型=亜型の発見に発展し(atypical syndrome;例えばPSP-PGF),改めて典型例を見直して診断基準を作成し(MDS-PSP criteria),つぎに早期診断と治療を目指すという作業はまさに火曜講義の言葉そのものである.

もうひとつ印象の残る言葉は,ALSに関する講義の中で,治療不可能な神経疾患ばかり無意味に研究しているという批判に対して述べられたものである.
「批判をものともせずに観察を続けましょう.研究を続けましょう.これこそが,発見をするための最良の方法です.そしておそらく,努力することによって,将来私たちがこうした患者に下す判決は,今日下さざるを得なかった判決と同じではなくなるでしょう」(1888年2月28日)
この教え通りに,世界中の脳神経内科医は神経難病に取り組み,難攻不落の厚い壁にいくつもの風穴を空けてきたと思う.若い脳神経内科医にもこの言葉を知っていただきたいと思う.

【シャルコー先生のお墓参り】
さて今回の旅ではまず,スタンダールやドガ,ベルリオーズなど著名人も眠るモンマルトル墓地を訪れ,お墓参りをした.モンマルトル墓地はセーヌ川右岸パリ北部,モンマルトルの丘にある.入り口は1箇所で,メトロでは13号線,2号線のPlace de Clichy駅,または2号線のblanche駅が近いが,私はパリで発達しているUberを利用した.広大な墓地であるが,入り口をくぐってすぐに著名人の墓地の場所を記載した地図があるので,以前,ベルリンでRomberg先生の墓地をなかなか見つからず途方に暮れたときのような苦労はなかった.シャルコー家の墓地は写真のような祠型で,お参りをしてから中に入ると先生の名前を見つけることができた.



【臨床講義の絵】
つぎにパリ第5大学(パリ・デカルト大学)の医学史博物館を訪問した.
Musée d’Histoire de la médecine, Université Paris Descartes, 12 Rue de l'École de Médecine 75006 Paris

メトロ4号線Odéon駅下車,出口すぐのエコール・ド・メディシン通りに入ると徒歩2分である.Musée d’Histoire de la médecineの看板を見つけ,中に入り,階段を登ると有名なサルペトリエール病院での臨床講義の絵(Une leçon clinique à la Salpêtrière, Brouillet 1887)が見える.このように大きな絵画とは思わなかったため迫力に驚いた.ほぼ等身大のシャルコー先生が錚々たる神経学者たち(Pierre Marie,Babinski,Gilles de la Touretteなど)を前に講義する様子が臨場感豊かに伝わった.昔から眺めてきた絵であり,やっと会えたと思い感激が湧き上がった.向かい側の壁にはこの「講義」に描かれている31名の人物の名前が記載された図もあり,興味深く拝見した.講義をするシャルコー先生の横で倒れかけている女性を抱えているのはBabinski先生であるが,その女性はMarieあるいはBlanche Wittmannという名前のヒステリー患者である.先生は前述の通り,典型と亜型にこだわられたが,このMarieさんは大ヒストリーの4段階を呈する典型例であったため,当時のヒステリー研究ではとても有名な患者であった.



鑑賞後,入場料を支払って医学史博物館に入ると,古代エジプトの医療器具から始まり,昔の手術道具や人体模型などが陳列されていた.関心を持ったものが2つあった.1つ目はやはりシャルコーの弟子で,Meige症候群に名前を残したHenry Meige先生(1866-1940)が使用していたハンマー.ハンマー収集家の私も初めて見る形状のものであった.



2つ目は,Paul Richer(ポール・リシェ;1849-1833)によるスケッチ .この人物はサルペトリエール病院にてシャルコー先生の助手を務め,のちに1882年から1896年まで研究所長を務めたが,解剖学者であると同時に,美術学校で美術解剖学を教えた異色の神経学者であった.この絵の説明書きのフランス語を娘に送り訳してもらうと「歴史的に大きな影響を与えるような出来事は必ず前兆があるものだ.彼女は次の4つの文章を残した:てんかんの期間,思い切った行動をする期間,情熱的な態度を見せる期間,錯乱状態の期間」という返事が戻ってきた.つまり前述の大ヒステリー発作の4段階を記載したスケッチであることが分かった.大ヒステリー発作については,前兆症状のあとまず強直性筋緊張をともなう「類てんかん期」,続いて間代性痙攣またはアクロバット様の全身運動を呈する「大運動発作期」,さらにいくつかの情動的状態を生き生きと再現する「熱情的態度期」,そして最後に泣き笑いを伴う「せん妄期」を経て現実に帰還するが,これを描写したスケッチだと分かった.実はシャルコー先生自身も若い頃,画家になるか否かで悩んだほどの画才の持ち主で,そのことが先生の築いた人体・裸体の「観察」を重視する神経学の方向を定めるのに大きく影響したと岩田誠先生は指摘している(パリ医学散歩.岩波書店1991).そしてシャルコー先生にとってもっとも信頼できる「眼」がこのリシェであり,リシェに与えた学位論文のテーマが,まさにこのヒステリー性のてんかん発作だった.



【サルペトリエール病院】
最後にサルペトリエール病院に立ち寄った.パリ大学からぶらりと30分ほどかけて散歩すると,古い病院の歴史を感じさせる門にたどり着く.門をくぐると文献で何度も目にしたことがある威厳の満ちた建物が眼前に広がり息を呑んだ.1656年,ルイ14世が建築家リベラル・ブリュアンに命じて設計された病院付属礼拝堂である.この建物は今も使用されているようで,隣接する建物のなかから患者さんが搬送されていった.そのあと敷地内の看板にBabinskiという名称を見つけ,そこを目指して構内左奥に進んでいくと,玄関にBabinski先生を紹介するパネルがあり,その建物の中に入ると神経学や筋学,脳卒中救急,神経放射線,神経生理学,神経病理学,麻酔科,耳鼻科といった部門が臨床や研究を行う施設であった.カフェがあり,そこで休んでいると医師のみならず患者さんも訪れ,フランス語は分からないながらも小脳性の言語障害のようで,脊髄小脳変性症の患者さんのようだった.シャルコー先生の伝統を引き継ぐ医療が行われているのだろうなと思った.また神経科病棟のそばにはシャルコー講堂があり,一階は講堂,二階がシャルコー図書館としてフランス神経学の古典を蔵している.





【おわりに】
岐阜大学では現在,皮質性小脳萎縮症(cortical cerebellar atrophy;CCA)に関心を持って免疫学的アプローチから研究を行っている.CCAのプロトタイプもシャルコー先生の弟子のPierre Marieの報告(1922)に遡る(いわゆるMarie, Foix, Alajouanine型のlate cortical cerebellar atrophy;LCCAである).CCAの研究は,現在の神経学がシャルコー先生を中心としたサルペトリエール学派(パリ学派)の影響を強く受けていることを再認識するとともに,神経学の歴史を学ぶことは,神経学への興味を一層高め,またその理解は教育においても重要であると感じた.そしてなにより神経学の歴史のなかに自分が関われていることに喜びを感じた.シャルコー先生をめぐる旅は大変貴重な経験となった.

Goetz CG. Charcot: Past and present. Rev Neurol 2017;173:628-636
Marie P, Foix C, Alajouanine T. 1922 De l'atrophie cerebelleuse tardive a predominance corticale. Revue Neurologique. 38 849-885 1082-111

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オープン・イノベーションと... | TOP | 国際頭痛学会2019@ダブリン―... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 医学と医療