Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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シャルコー先生と三浦謹之助先生の素敵な師弟関係

2023年11月03日 | 医学と医療
祖父 三浦謹之助の思い出」という本を読みました.私は臨床神経学の基礎を築いたシャルコー先生のファンなので,その日本人の弟子である三浦謹之助先生(1864~1950)に関心があります.三浦謹之助先生は日本の近代医学の先駆者です.本書や下記に紹介する文献を読んで,ふたりに関するいろいろなエピソードを知りましたし,また理想の師弟関係だったのだなと思いました.以下,まとめてみたいと思います.



【留学の経緯】
謹之助は1889年から1892年まで留学し内科学を研究しましたが,特に神経学に力を注ぎ,ドイツではオッペンハイムとエルプ,1892年1月から帰国まではパリでシャルコーに師事しました.当時,シャルコーは67歳,三浦は28歳でした.ドイツで最も尊敬していたベルリン大学のゲルハルト教授に「将来は神経病学を専攻したい」と相談したところ,即座にシャルコーを推薦,紹介してくださったそうです.ただフランスへの留学の予定はなかったので,言葉には苦労しただろうと思いましたが,謹之助は講演でこんなことを述べています.
「仕方なしに朝から晩までパリ医科大学のいろいろの講義を聞いて回りました.そうすると一週間程経つと慣れて耳に聞こるようになりました.諸君もフランスにお出かけになるときにはそう言う方法をお取りになったほうが近道ですから,私の経験としてお話しておきます」
事実,謹之助は短期間のうちにフランス語をマスターし,フランス語の論文を書くに至っています.

【シャルコーの人柄】
並々ならぬ努力を重ねる謹之助にはシャルコーも注目しただろうと思います.当時のパリでは,ジャポニズムが花盛りで,シャルコー自身も林忠正から日本の美術品を購入するほどの日本通であったため,余計,謹之助に関心を持ったのかもしれません.謹之助は名士達が集うシャルコー邸の晩餐会に招かれたり,朝,病院への道の途中でシャルコーの馬車に乗せてもらったりと,暖かく見守られたようです.謹之助はシャルコーについて興味深い言葉を残しています.

「エルプという人は普通の臨床講義をやるだけで,回診のほうはゲルハルト先生より別段そう大して詳しい方じゃない.シャルコーですよ.1番患者を詳しく診た人は.」

「臨床家で偉いという人には,西洋ではよく観察して,そうして経験を積む人と,もう一つはたくさん仕事をする人(=論文を書く人)と両方あるのです.シャルコー先生などはその両方を兼ねているわけです.本当はそうやらなくちゃいけないと思います.」

「パストゥールでもシャルコーでも柔らかくて付き合いいいですね.ちっとも驕らない人ですね.我々つまらない一書生なんですが,行って話していると同僚みたいな風に話すからね.もっともそういう区別なんか立てないようです.パストゥールやシャルコーなんかは助手のような人に対しても実際優しいですよ」

またシャルコーは若い人たちと飲むことも好きだったようで,ラ・サルペリエールの一室が夜遅くまであまり賑やかだったので,婦長が注意しに行ったところ,ドアを開けたら正面にシャルコーの姿が見えたので引き下がってしまったというエピソードもみつけました.



【シャルコーの講義と診察】
シャルコーの講義と診察については以下のように語っています.まず有名な火曜講義についてですが,シャルコーの仕事の仕方には驚かされます.

「シャルコー先生のやり方についてちょっと話さなければならないのは,患者を講堂に連れてきて聴衆に見せるまでに毎日自分の部屋に呼んで弟子と共に之を研究して,少なくも二週間は診たものであります.私は幸いにしてこの時に部屋で立会うことのお許しを得まして,始終一緒に診ました.そういう風にして宅に帰ってからは文献を調べて,そうしてまた明日来て患者に就て調べられると言う風にして,それから初めて講堂で講義をされたのですから,その言われることは自然に文章を成していました.」

つぎは診察法についてです.
「総てシャルコー先生は物を観察することに重きを置く,目で観察する.その観察にも初め大体のことを見て,それから細かいところに入る.例え,顕微鏡の標本を見る場合にも,初め拡大の弱いので見て,標本の全体を見,それから全部的に拡大してみると言う.このことは,ドイツの病理解剖学者のウィルヒョー先生も同じでありました.患者を見るにしても,まず望診をする.そしてこれは凡そどう言う病気であるかを自分で考えねばならぬ.いわゆる瞬間診断をやる.シャルコー先生はフランス人であるにも関わらず,この際はドイツ語のAugenblicksdiagnoseと言うことをよく言われました.これが必要であります.」

この「瞬間診断」は患者が室内に入ってくる動作を眺めたときにひらめく第六感に近いもののようで,シャルコーの得意な診断法だったと書かれています.ただ文献によると,特徴的な身体徴候により「瞬きする間に診断がつくこと」と書かれているものもあります(Semin Neurol. 1998;18(2):169-76).いずれにせよシャルコーは瞬間診断をして,それを一応頭にしまっておき,2週間の綿密な診察の結果,最終診断を下したようです.そしてこの最終診断より瞬間診断の方が剖検成績とよく合致することが多かったと書かれています.シャルコーは臨床診断と病理解剖所見とが合致するのを良しとしたわけですが,晩年,ヒステリーに興味を示したとき,病理解剖所見は何も異常を示さず,シャルコーを悩ますことになったわけです.

【もしも謹之助が神経学の教授になっていたら】
謹之助が帰国後,師シャルコーに送った2通の手紙について岩田誠先生は紹介されています.1通目は,それまでに訪ねた土地とそこで診た病気のことを報告しています.2通目は,1893年の年始の挨拶状で,極めて重要な内容が書かれています.自分が東京大学医学部の講師に任命され,下谷病院における学生の外来実習講義を担当していることを報告した後,現在は内科一般の診療しているが,将来は神経疾患に焦点を絞って診療したいと述べ,「私は医学部に対し,医学部附属病院に付属する,神経疾患のための部門の新設を進言するつもりです.先生に,深い尊敬の念をこめて,お幸せをお祈り申し上げます.Dr. K. Miura」と書かれています.

事実,翌年の1894年(明治27年)長谷川泰が衆議院に帝国大学医学部に「脳脊髄疾患を研究する講座と病室の新設」,すなわち帝国大学に普通の内科からは独立した神経病学講座を新設し,助教授の三浦謹之助を教授とすることを建議したものの実現しませんでした.1895年,謹之助は東京大学内科学第一講座教授に就任し,これ以降,神経学講座設置の動きは消え,神経学は次第に衰退したそうです.沖中重雄先生は特別講演で「もしも1894年に帝国議会において,神経学講座設置が可決されて,多くの大学に神経学講座が設置されていたら,わが国の神経学は欧米に遅れることなく発展していたかもしれない」と述壊しておられます.「戦後米国から入ってきた神経内科学が,わが国において独立した部門となるのは1964年で,それより70年も前,すでに三浦謹之助は神経内科学が診療科として独立すべきこと,そして独立した大学の講座であるべきことを提言しており,しかもそのモデルは師シャルコーが築き上げたフランスの神経内科学であった.もしこれが実現していたなら,わが国の神経内科学の歩みは今とはずいぶんと異なったものになっていたであろう」と岩田誠先生も書かれています.本当に残念です.

【終わりに】
シャルコーの築き上げたフランスの神経学は,かくしてその直弟子である謹之助に,基本的な精神とともに伝授されたわけです.謹之助が弟子として学んだ期間はおそらく8ヶ月に満たなかったわけですが,お互いに響き合うものがあったのだろうと思います.素敵な師弟関係だと思います.

さて1925年(大正14年)5月25日はシャルコーの誕生百周年に当たり,その際,謹之助はパリに電報を打ち,花瓶を送って先生の像の前に供えたとの記載を見つけました.じつは1年半後に誕生二百周年を迎えます.記念シンポジウムがパリで予定されており,私も参加してみようと思っています.
The 200th anniversary of the birth of Jean-Martin Charcot(2025, June 30 - July 5)

【文献】
三浦義彰.Jean-Martin Charcotと三浦謹之助.Ⅱ.三浦謹之助の生涯.臨床神経33;1255-8, 1993
安藝基雄.シャルコーの時代と三浦謹之助.臨床神経33;1259-64, 1993
三浦義彰.20世紀のわが同時代人.(37)三浦謹之助.千葉医学76;265-271, 2000
岩田誠.Ⅰ.神経領域の100年.2.神経学の伝統―フランスと日本―.日内会誌91;21-24, 2002
林栄子.今,お手本にしたい人 近代医学の先駆者 三浦謹之助.叢文社2011
葛原茂樹.日本神經學會創立(1902)から116年―歴史に学び教訓を未来に活かす―.臨床神経60;1-19, 2020


私の部屋に飾ってある宝物.(右)シャルコー先生直筆の書簡と(左)シャルコー先生を撮った本物の写真.書簡については当ブログで説明しています.

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