ハレルフォルデン・スパッツ病(現在の「パントテン酸キナーゼ関連神経変性症=PKAN」)は,ドイツの神経学者ユリウス・ハレルフォルデン(Julius Hallervorden, 1882–1965)とヒューゴー・スパッツによって記載された疾患です.この病名は倫理上の深刻な問題を孕んでいます。2人はナチス・ドイツの「安楽死」プログラムに関与し,精神疾患などを理由に「無用な命」とされた人々が殺害されたのち,その遺体から脳を取り出して研究に使用しました.こうして得られた標本をもとに記載された病名であることから,この疾患名の使用は長年にわたり議論され,現在では多くの医学文献で両名の名前は用いられなくなっています.
さて,Neurology誌に掲載された論文を読み,大変驚かされました.それは,1953年に発生した倫理と政治が激しく衝突した「ハレルフォルデン事件」の詳細を描いたものです.発端は,ハレルフォルデンがポルトガル・リスボンで開催される国際神経学会に講演者として招かれたことでした.この招待に対して,オランダ代表団はハレルフォルデンの倫理的過去を問題視し,抗議の意を表して学会への参加を辞退しました.
この問題に強く反応したのが,アメリカで活躍していた神経学者ロバート・ワルテンベルグ(Robert Wartenberg, 1887–1956)でした.彼は現在のベラルーシにあたるグロドノ出身で,1935年にナチスから逃れてアメリカに亡命し,カリフォルニア大学サンフランシスコ校で神経学教室を設立するとともに,アメリカ神経学会(AAN)の創設にも尽力した臨床神経学の先駆者です.多くの診察所見(たとえばWartenberg反射)を記載し,私も彼の書籍2冊で勉強しました.

しかし,皮肉なことに,ナチスの犠牲者でもあった彼が,その加担者であるハレルフォルデンを最も積極的に擁護する立場をとったのです.ミシガン州立大学のLawrence A. Zeidman博士は,豊富な書簡資料をもとに,この事件の裏側を詳細に解き明かしています.ワルテンベルグは,オランダ代表団を説得するため,世界中の神経学者に書簡を送り,「西側諸国の団結こそが冷戦下の最重要課題であり,ハレルフォルデンの過去を問題視すべきではない」と訴えました.
彼はハレルフォルデンと個人的な面識がなかったにもかかわらず,その行為を「倫理的でも犯罪的でもない」と主張し,問題の核心を意図的に曖昧にしました.学会の講演者の倫理性を議論すること自体が不適切であるとも述べています.論文中の図2には,ワルテンベルグがアメリカの病理学者Webb Haymakerに宛てた書簡が掲載されています.その中で彼は,ハレルフォルデンを擁護する強い意志を明言し,「アメリカは常にロシアからの攻撃の恐れにさらされている」「西ドイツは最も堅実な味方であり,彼らを中立にさせてはならない」といった言葉を用いて,冷戦政治の論理を医学倫理よりも優先させる姿勢を明確に示しています.
このようなワルテンベルグの姿勢に対しては,オランダの神経学者ラーデマイカーやアメリカの神経学者レオ・アレキサンダーらが強く反論しました.アレキサンダーは,「倫理的原則こそが全体主義に対抗する最大の防衛線であり,それを犠牲にすることはナチズムや共産主義の思考そのものである」と述べています.ワルテンベルグの行動は,倫理を軽視し,政治的打算を優先させることで学問の信頼性を損なう結果を招くことを示す,極めて重要な歴史的教訓だと思います.
Zeidman LA. Robert Wartenberg and the Hallervorden Affair, 1953: A Clash Between Medical Ethics and Cold War Politics. Neurology. 2025;104:e210122.(doi.org/10.1212/WNL.0000000000210122)
さて,Neurology誌に掲載された論文を読み,大変驚かされました.それは,1953年に発生した倫理と政治が激しく衝突した「ハレルフォルデン事件」の詳細を描いたものです.発端は,ハレルフォルデンがポルトガル・リスボンで開催される国際神経学会に講演者として招かれたことでした.この招待に対して,オランダ代表団はハレルフォルデンの倫理的過去を問題視し,抗議の意を表して学会への参加を辞退しました.
この問題に強く反応したのが,アメリカで活躍していた神経学者ロバート・ワルテンベルグ(Robert Wartenberg, 1887–1956)でした.彼は現在のベラルーシにあたるグロドノ出身で,1935年にナチスから逃れてアメリカに亡命し,カリフォルニア大学サンフランシスコ校で神経学教室を設立するとともに,アメリカ神経学会(AAN)の創設にも尽力した臨床神経学の先駆者です.多くの診察所見(たとえばWartenberg反射)を記載し,私も彼の書籍2冊で勉強しました.

しかし,皮肉なことに,ナチスの犠牲者でもあった彼が,その加担者であるハレルフォルデンを最も積極的に擁護する立場をとったのです.ミシガン州立大学のLawrence A. Zeidman博士は,豊富な書簡資料をもとに,この事件の裏側を詳細に解き明かしています.ワルテンベルグは,オランダ代表団を説得するため,世界中の神経学者に書簡を送り,「西側諸国の団結こそが冷戦下の最重要課題であり,ハレルフォルデンの過去を問題視すべきではない」と訴えました.
彼はハレルフォルデンと個人的な面識がなかったにもかかわらず,その行為を「倫理的でも犯罪的でもない」と主張し,問題の核心を意図的に曖昧にしました.学会の講演者の倫理性を議論すること自体が不適切であるとも述べています.論文中の図2には,ワルテンベルグがアメリカの病理学者Webb Haymakerに宛てた書簡が掲載されています.その中で彼は,ハレルフォルデンを擁護する強い意志を明言し,「アメリカは常にロシアからの攻撃の恐れにさらされている」「西ドイツは最も堅実な味方であり,彼らを中立にさせてはならない」といった言葉を用いて,冷戦政治の論理を医学倫理よりも優先させる姿勢を明確に示しています.
このようなワルテンベルグの姿勢に対しては,オランダの神経学者ラーデマイカーやアメリカの神経学者レオ・アレキサンダーらが強く反論しました.アレキサンダーは,「倫理的原則こそが全体主義に対抗する最大の防衛線であり,それを犠牲にすることはナチズムや共産主義の思考そのものである」と述べています.ワルテンベルグの行動は,倫理を軽視し,政治的打算を優先させることで学問の信頼性を損なう結果を招くことを示す,極めて重要な歴史的教訓だと思います.
Zeidman LA. Robert Wartenberg and the Hallervorden Affair, 1953: A Clash Between Medical Ethics and Cold War Politics. Neurology. 2025;104:e210122.(doi.org/10.1212/WNL.0000000000210122)