作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

4月28日(土)のTW:#指導者、#資質、#劣化、#麻生太郎

2012年04月29日 | ツイツター

18:01 RT from web  [ 3 RT ]
国家主義者が自己犠牲の精神に富んでいると考えるのは間違いである。自己犠牲の精神を、他者に求めるのが国家主義者である。そして彼ら自身は、他者の自己犠牲によって得られた国家的利益を略奪する自信を常に持っている。
田中昭(平等党報道部)さんのツイート

19:04 from web
昼食を取りながらテレビを見ていると、『証言ドキュメント 永遠(とわ)に咲け なでしこジャパン 日本女子サッカーの30年』という番組が映っていたのでそのまま見た。先月の放映の再放送らしかった。>>cgi4.nhk.or.jp/hensei/program… <<nhk.or.jp/bs/t_documenta…

19:06 from web
この番組を見ていて感じたことは、先のワールドカップで「なでしこジャパン」が優勝を成し遂げたのも僥倖でもなければ必ずしも偶然でもないらしいことである。「なでしこジャパン」がW杯での優勝に至るまでの軌跡には、この女子チームに参加したそれまでの選手たちの努力の軌跡は当然であるとしても、

19:07 from web
初代の上田栄治監督、 それ引き継いだ大橋浩司監督、そして優勝を成し遂げた現在の佐々木 則夫監督、また日本のサッカー界全体の発展に貢献したかけがえのない存在であるJリーグの元チェアーマン川淵三郎氏など、これらの誰一人を除いても成立しなかっただろうことはよくわかる。

19:10 from web
「指導者の決定的な重要さ」 ということだろうか。「指導者の決定的な重要さ」 という論理は、どのような組織においても、もちろん国家においてもそれは当てはまると思う。

19:17 from web
安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦氏これが小泉純一郎氏以後の「日本の指導者」である歴代の総理大臣の名前である。日本の没落が決して偶然でもなければ、たまたまの不幸でもないこともよくわかる。それなりの必然としての現在、理の必然の結果としての没落である。

by soratine on Twitter


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月26日(木)のつぶやき | トップ | 4月29日(日)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ツイツター」カテゴリの最新記事