Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

モデュール構成の二百年

2008-01-19 | 文化一般
承前)蛇のように開いた目、しゃくれた鼻、厚い唇、小さなおちょぼ口の顔が、華奢で狭い肩、小さな乳房、細いウェスト、長い腿ぼねの肢体に乗るのが、頭である父クラナッハの好みに合わせて11人のスタッフが制作するクラナッハ工房の作品である。

そうして制作された作品は、クラナッハの「蝙蝠のを付けた蛇のロゴ」を入れたブランド商品として注文者に引き渡された。我々がその作品を、シリーズとして分類できるのも、その裸体などが掌を上に向けたり下に向けたりと、頭を傾げたり背景を動かしたりと、少しずつ細部を換える事で、唯のコピー以上の価値の作品を納入出来たその制作過程が故なのである。

作品数にして同時代のデューラーが百作品を完成させているのに対して、クラナッハ工房は千の作品を供給している。それも、再版のコピーではなくてオリジナル作品としてどの作品も一定の水準を越えているのである。

ルネッサンスの芸術を思い起せば、なにもデューラーがせっせと擦って尚且つその版権を考えた版画ならずとも似たような現象にぶつかるのだろう。特定の注文主や特定の機会を離れた芸術作品としてもしくは独立した芸術家の創作としての認知へのその経済行為がこうした現象を引き起こしている。経済そのものが文化になって来るのである。

その後のバロック時代における音楽芸術なども、独立した作品としての用途と機会芸術としての用途が交差している時代例であろう。クラナッハの展示を後にして、レーマーカテドラルを右に見て、とっぷりと暮れたマイン河に架かる歩道橋を渡り、旧フランクフルトのザクセンハウゼン側から新フランクフルトの旧市街に戻ってくる。車をアルテオパーの方へ移し替え会場に入る。他には催し物が無く珍しいほどひっそりとしていてまるでベルリンのフィルハーモニー周辺のようである。コーヒーを飲みながら時間を潰し、プログラムを態々好みの女性の元へと取りに行き、先ずは今見てきたものを回想しながらメモを取る。

クラナッハの映像表現を初期のプロテスタンティズム芸術とすれば、バッハこそがプロテスタンティズムの音楽表現の頂点を築いたとしても異論はなかろう。その期間二百年にバロック芸術が興り既に終焉を向かえていた。

コンラート・ユングヘーネル指導のカントュス・コェルンの演奏会は、中ホールで素晴らしいバッハ家族を取り巻く声楽曲を堪能して以来、大変楽しみにしている。今回はバッハのカンタータをBWV172、182、21と三曲演奏した。そして今回も最近のバッハ演奏では、最も信頼置ける演奏実践と感じた。

最も分かり易い例がアンコールのカンタータ「心と口と行ないと営みと」BWV147の有名なリフレーンのアーティクレーションに顕著に現われていた。まさにバルターザー合唱団等と基本的には変わらなかったが、ここではその双方の差異を綺麗にア-ティキュレションとして歌い別けていた。そこだけ聞いただけでもこの合唱団の指導と基本姿勢の正しさが確認出来る。

そしてその姿勢は、今回三人のゲストを迎えた正式な五人の声楽メンバーを中心に徹底していて、その姿勢を管弦楽のアーティクレーションが合わせる。BWV182の「天の王よ、よくぞ来ませり」のコラールなどもそこに見事な綾が聞かれた。

要するにアーティクレーションへの拘りは、原曲が使い回しされようが、そこに付けられるテクストによって全く新たに生まれ変わるほどの音楽的な再生を齎し、そこから管弦楽的な部分部分と全体の組み合わせである作曲の妙がここに明かされる。

それは、「鳴りひびけ、汝らの歌声」BWV172での響きの美しさに、管弦楽的な多様性として、また面白い対位法的な究極の表現にも繋がっている。更に、「わが心に憂い多かりき」BWV21をこうして演奏されると、そのハ短調の調性が下げられたピッチゆえ(休憩後とはいえ三曲目なので一曲目のピッチとは当然異なる)のみならず全く違って響くのである。実際この曲は、当時のヨハン・マテーソンと称する音楽理論家から「テクストの退屈な繰り返し、好い加減な間合い」と厳しく批判されていたようで、推測するに先人の時代から躍進している作曲技法こそが槍玉に上がっている感すらある。

特にシンフォニアに続く二曲目の合唱などは、大バッハの家族の先人が実践してきたものを一挙に組み合わせて抽象化してしまっている快さが、そこでは殆ど苦笑しているかのようにすら響くのである。まさにそこにこそバッハの創作の世界があり、モデュールな音楽要素の扱いが、その後の二百年の歴史の中で、再び主観的な表現意欲を持った視点によって誤解釈されて行くのだろう。

これを聞いて思い出すのは、先ほど見てきたばかりのクラナッハ工房での制作過程で触れた作業方法そのものである。例えば習作様の数々で示されているような頭部の画像、体の特徴や背景の風景などは、現在の工業でなくてはならないモデーュル工法と同じく、必要なところに必要な形としてそれを埋め込むことが出来るように描かれている。

こうした絵画における制作過程がどこから生まれたかは興味深いが、こうすることによって、工房における分担作業を各々の得意とする分野に効率よく専念させることが出来て、ブランドマークをつける最低品質が得られやすい。更に、細部の取替えによって、シリーズ化された中で新作品を容易に提供することが出来る利点が生じている。(続く

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2 コメント

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覗いてみたい (old-dreamer)
2008-01-20 00:30:08
大変充実したフランクフルトの日々を楽しまれたようで、ご同慶のかぎりです。クラナッハを見て、バッハを聴き、ワインを飲むというのは、至福な時としか表現できません。ドイツにおられて初めて実現できる空間でしょう。
それにしてもクラナッハ工房の仕事の仕組みは、現代の目で見ても絶妙に柔軟であったようですね。100年後の17世紀の工房でも、とても追いついていません。一枚の型紙を手本にただ模写をしているのとは違い、顧客の好みに応じてひとつの基本モデルを巧みに模様替えする、変幻自在なところなど、実に見事な対応です。コンパスと定規で文字通り杓子定規に描いたようなデューラーの作品と対照的な感じさえします。多数の徒弟がいた盛期のレンブラントの工房の仕組みとも違いますね。親方の指示を職人、徒弟がどのように受け取り、作業していたのか、覗いてみたい気がします。
必要は発明の父? (pfaelzerwein)
2008-01-20 08:32:18
この日は、ワインは車で帰って来てから、寝酒代わりに一杯口を湿らした程度でした。ガソリン代の高騰がつい出不精にしますが、フランクフルトぐらいの距離であれば、今後も美術館訪問を兼ねることが可能のようです。しかし、車で三十分ほど遠いシュトッツガルトやストラスブールになると他の用を兼ねて、ついでに寄るのは難しいかなと考えています。

工房のあり方などを考えたことがなかったので、様々な形態があるとは思いませんでした。このクラナッハ工房も様々な憶測もあるようで、あそこまで細かく描かれている山城などでも、専属がいるとか、後塗りだけとか書かれています。筆捌きで分からないのが疑問なのですが、修正の手を加えるのみならず師弟(親子)関係ならば見よう見まねでしょうから、その差が判別出来ないのでしょうか。

最大11人の内には枠作りや準備係も含まれているようなので、かなりインティームな作業風景が想像されます。そうして後継者を育成したのも事実ですから。現在もありえる家内工業のマイスター工房風でしょうか。

しかしながら、もともと数をこなす事に貪欲だったのか、過大な注文が先だったのか、必要は発明の父だったに違いありませんね。

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