Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

再生可能な環境税の導入

2011-06-11 | アウトドーア・環境
大阪でのデモ行進の規模が膨れ上がったと聞いた。関電が節電で顧客を脅迫したから、その反発が反原発機運に向かったのだろうか?

昨日触れた「複雑な課題」は、三月にも扱った。自然エネルギーという用語が示すいかがわしさそのものなのである。一体、脱原発によって得られる自然エネルギーなどあるのだろうか?やはり再生可能エネルギーが正しい。

焚き火を増やして、木を伐採して、二酸化炭素を排出すれば、産業革命前期のように一挙に空気が汚れて、空気汚染などで公害が世界を包み込んで、健康な生活などは出来なくなるのである。

再生可能エネルギーとして最も有名なのはバイオエネルギーである。すでに実用化が進んでいて、ほとんど毎回二割がこのバイオエタノール入りの燃料を自動車に注油している ― 既に何も明示されていない95ハイオクなどにもこのバイオエタノールが混入しており、純粋なガソリンは嘗ての鉛入りのように特別な付加価値がつくようになっている。

植物として伐採されエネルギーとしてそれから出る二酸化炭素も、それを使わない場合と比べて地上に余分に付加されないので再生可能エネルギーとなるのである。

同じような意味で自然エネルギーというのは存在しないので、如何に地下などから掘り上げて来て、新たに大気中に二酸化炭素などを増やさないかが重要なのである。

もし仮に死の灰を一億年も地下に埋めておけば再びウランやプルトニウムなどとして使用出来るとなれば、その安全性は別にして再生可能エネルギーとして認められるであろうか?

一般的に再生可能エネルギーと呼ばれるものは、風力を使おうとも地熱を使おうともその運動形体やその位置エネルギーなどに係わらず、工業的な技術と生産で利用されるエネルギーなので、自然エネルギーなどとして想像されるような自然とは隔たったものである。

無為自然などと呼ばれる考え方があるが、まさか霞を食べて生計を立てているといわれる仙人ではないので、そもそもその「自然」の日本語への翻訳の問題なのであろう。

再生可能エネルギー自体の発想よりも、容易に原子力発電を押し進めた二十世紀の文明がすでに過去の遺物となっていて、如何に新たなエネルギーへとシフトしていくかは最も新たな文明の創世に関わっているに違いない。

それゆえに脱原発という自明の現象自体には意味が無くて、再生可能エネルギーへの移行を促す社会の整備のために、あらゆるエネルギー消費から環境税を数パーセント徴収して、その財源を全て再生可能エネルギー開発へと投入する政策こそが重要なのである。

緑の党との連立のシュレーダー政権で導入された環境税の負担は消費者にとっても今だに大きいが、少なくとも風力やその他の新しいエネルギーの産業を軌道に乗せて、少なくない雇用を生み出し、輸出超大国であるドイツ連邦共和国の国際競争力を強化した。

節電やエネルギー消費の削減を訴えかけるよりも、税をかければ目的を達成出来るのである。特に原子力エネルギーには「相当の税」をかけるとなれば即時原子力発電事業から撤退するしかないであろう。



参照:
勝手に風呂敷を広げる面白さ 2011-03-09 | BLOG研究
それでも安物レタスを買う 2011-06-10 | 生活

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« それでも安物レタスを買う | トップ | 経営不安の独占企業 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿