Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

復活祭への少しの思い入れ

2012-03-16 | 
バーデン・バーデンで新たに開催される復活祭音楽祭の券を注文した。まだ一年先のことであるが、最初の様子を是非見届けておきたいと思ったので、安いものを確保しなければいけないからである。なんとか興味のある初日の「魔笛」と復活祭の日のマーラーの復活交響曲は入手できた。〆て155ユーロである ― 初日の入場券は他の日よりも30ユーロ近く高価であるとあとで知った。

夏のザルツブルクとの係わりはモルティエー時代に持ったが、復活祭と精霊降臨祭の音楽祭は共にカラヤン財団の主催で、結局通うことはなかった ― つまりベルリンのフィルハーモニカーがピットに入っての演奏は未経験である。アバドが監督をしていた当時、夏のそれに比べて芸術的に完全に落ちていて、如何にも下衆な感じが強かったからである。同じ下衆でもフォン・カラヤンがいた当時は本物の俗物たちであった。

その点、主催は変わらないものの、バーデン・バーデンでドイツの公共的なフェストシュピールハウスが組んだことから、若干社会的に受け入れやすい形となったかのように見える。恐らくそこにはサイモン・ラトル本人の個性も影響しているのであろう。

指揮者サイモン・ラトルの演奏会やオペラはかなり体験しているが、ベルリンでのショスタコーヴィッチの第八交響曲演奏以外は知的にも満足できるもので、芸術的に大きな失望をしたことはない。それどころか先日生誕60周年を迎えた作曲家ヴォルフガンク・リームのスピーチに続いてのブルックナーの第四交響曲はとても高度な芸術であったのだ。その点からも、バーデン・バーデンでの活動にいくらかは期待できるのである。

なぜモーツァルトの「魔笛」などを杮落としにもってきたかは理解できず、更にザルツブルクと張り合う意味もないと思われるのだが、ベルリンのフィルハーモニカーがオペラを演奏した場合の精緻さからすると聞きものに違いない ― なるほどこの歌劇の場合ヴィーンの座付きよりも張りのある弦のベルリンの楽団の方が歴史的なビーチャム指揮の録音からベーム指揮のそれまで、録音ではスタンダードとなっているものなのである。ある意味ドイツを代表する歌劇なのかもしれない。

さて、一年先とは言いながらこの価格ならば、交通費もフランクフルトへ行くよりも安く、それ以外のコストが殆ど掛からないので全く問題ない。こうした催しが新たな芸術的な意味を持つのかどうかは先ず体験してみなければ分らないが、少しでも文化を公共的に育む糧になるために寄与してくれればと思う。そうである、子供のための上演が併設されているように、この歌劇には情操教育という面が少なからず期待されるのだ。

一週間ぶりに室内クライミングに行くと、久しぶりの若夫婦の顔を見かけた。先日の日曜日から半年振りに再開したと戯けたことをおっしゃる。そして月曜日にセクションの仲間が死去してその日葬儀があったと知った。肺がんでそのまま二年間胸に収めていたのだが、最後は脳に転移していたようだ。二三日の入院で亡くなったらしい。奥さんも仲間で二人の子供さんと気の毒である。ご本人とはザイルを組んだことはなかったように思うが、幾つかのエピソードは記憶に残っている。享年50歳でまだまだ若すぎるが、葉巻を吹かしていた姿が思い浮かぶのが慰めで、なによりも苦しみから解放されたに違いない。最後に見かけたのは昨年の一月だったろうか。もう一年も前のことである。


追記:発売状況を見ると高額の席から売り切れている。特に初日は首相などの著名人が臨席する可能性が高いから社交場と化するのだろう。しかし会場のVIPロビーなどは決まっていて、既に販売は一月前から始まっていたのであり、はじめから数が少なかっただけであろう。それに引き換え天井桟敷が直ぐに売り切れないのは如何に若く熱心な聴衆が少ないかで、ザルツブルクなどでは考えられないことである。カールツルーヘなどはとても近いのであるが、どうしたものだろうか。



参照:
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
ラトルの投げやりな響き 2007-07-03 | 文化一般
詩的な問いかけにみる [ 文化一般 ] / 2007-07-09
頭の悪い人達が集まる業界 2010-02-11 | マスメディア批評
文化的な企業家の歴史 2012-01-03 | 文化一般
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免停になる前に注意目標

2012-03-15 | 生活
自動車クラブの会報に点数制度の改革が載っている。2013年末に実施される通称フレンツブルクの点数の扱いについてである。ドイツ最北端の最も自動車ドライヴァーにとって有名な町での改革である。

アダージョ・イム・アウトのピアニスト交通相ラムザウワーの仕事である。現状では点数の大きさによって免許剥奪まで敗者復活やらセミナー受講による加算点数の削減や医者による診断などあるのだが、そうした複雑な事務処理が省かれて8点で即剥奪となる。

要するに現在の持ち点16から圧縮された分、危険性に直接拘らない交通上の侮辱や何かと実効性の疑いの高い環境エチケット無しの大都市内運行などが減点対象から省かれている。また1点の減点を二年背負うことが一年半に短縮される代わりに、3点の減点は五年のままで、それ以上は十年までも監視されることになる。これは執行猶予や事項を考えると法的に若干問題があるのは当然であろう。

若し若いドライヴァーとしてデビューしていたならば完全に免許停止の連続で剥奪への道を突っ走っていただろうが、流石に三年ほど前の裁判沙汰で3点減点を漸く許して貰った以外は過去二十年近くは減点無しで走ってきたからあまり影響はない。

それでも点数を背負う危険性は免停を含めて高まっていて、特に赤信号での交差点進入や時速30KM超えスピード違反、また高速での車間距離とか、0.11%以上の血液濃度の飲酒運転などは注意目標である。兎に角、点数を背負わないことが先決である。



参照:
争そってはじめて学ぶこと 2009-12-03 | 雑感
アダージョ・イム・アウト 2011-11-03 | 雑感
飲んで義務を忘れ訴えを曲げる博士 2010-03-05 | 女
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直ちに健康に影響が出る

2012-03-14 | 生活
インフルエンザ発症後初めて駆けた。どのコースにしようかと迷ったが久方ぶりに5KMの峠往復にした。短く早くよりも、一寸長めに様子を見ながらにしたかったからである。そして最初の林間の登りはウォーミングアップに歩ける。そこを9分、走り出して峠まで22分、峠から駐車場に降りてきて35分と若干遅めであったが、走り出して峠までがとても苦しかった。一呼吸入れてからの降りも辛かった。案の定暫くなかったことであるが脈拍が優に130を超えて140に近かったように思う。

これほど喘いだのは長くなかったことである。やはり病気の間に血液中のバランスが大分変わっていたのだろう。発熱から最終的にはヘモグロビン量が減少したのだろう。蛋白も大分喰われている筈だが体が軽くなる以上にパワーが落ちている。

それでも、日曜日、月曜日と様子を伺ってきて漸く再開出来たのは良かった。日曜日は雨がちでもう一つ自信がなく、月曜日は洟がずるずるとしてきて全く駄目であった。なるほど可也疲れたが身体的にはそれほど無理をした感じがないのでこれで完全復活だろうか。朝起きたときはやはり熱っぽいと言うか体温の調整がうまく出来ないでいたのだが。

古傷の関節の痛みなども雰囲気が変わってきたので、先ずは白血球の攻防もひと段落ついたような感じで、漸く自意識強く体を動かせるようになりそうである。

そのようなことをしていて電子メールを開けるのを忘れていた。開けると朝早くからメールが入っていたようだ。ダブリンからの問い合わせがあった件でのようである。問い合わせがあってから大分経過していたので忘れかけていた案件である。先方も直接メールを認めたことであり、殆ど野暮用なのであるが、ものの二十分も掛からないことなので半日遅れて明日送りとなるが準備しておく。

朝食に先日購入した安売りのチーズを食そうと思った。賞味期限が14日まででそろそろ開けないとと思ったのである。なんと青カビが生えている。もしかするとツィラータールの青カビチーズだったかと思ったが、よく調べてみると一部しかはえていない。まだ青カビが生えていないところを夜にでもワインと楽しんでみよう。青カビの発がん性は高そうであるが、直接食するのではなくて毒に直接やられないような量ならば、基準値のセシウム入り米と同じで、直ちに健康には影響がないと考えるのが当然であろう。食品の焼きこげなども、炭化したものが胸焼けなどを起こさない限りそれほど発がん性が高いとは思われないのだ。

しかしどこにカビの生えた食品をスーパーに並べ、焦げだらけの料理を出すレストランがあるだろうか?



参照:
効率よく働かせる保険 2012-03-09 | 生活
ダブリナーからの電子メール 2012-02-22 | 生活
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フクシマ後にうつる青写真

2012-03-13 | 文化一般
フクシマを通して日本研究は一躍精度と深化を増したように思う。日本学のみならず社会学的な分野での更なる研究成果が期待されるところである。

日曜日の夜の独公共放送第二TVのニュースでは日本特派員ヨハネス・ハーノが「津波後の日本」を伝えていて、同時に既に紹介した「フクシマの嘘」の視聴を改めて広報していた。

特派員は技術国日本の現状を手短に説明するのだが、なによりも見捨てられた被災者の政府への不信感などで、日本社会が大きな変化を迎える契機となるだろうとしていた。ひょっとすると新しい時代への。

なるほど、情報の隠蔽と操作の存在とその背後にある官僚を主体とした為政者の権力構造が奇しくも原子力で照らし出されて、今は殆どの有権者がそれを知ることになる。もはや、政治家や官僚のみならず、専門家と呼ばれる大学の研究機関や高名な教授が発言してもその科学的な根拠の背後にある金の流れや権力構造を同時に測ることになり、スポンサーや電通などの広告会社に動かされた商業報道機関のみならず共に記者クラブを構成する公共放送機関からの情報も眉唾物となっている。

しかしそれでも東欧諸国や北朝鮮の国民のようにそうした報道の裏側を読む長い経験もないので、情報の扱い方に慣れていない。歴史的な政治社会体制から日本のそれを東欧の国と比較して来たが、例えばネットを通しての情報収集力は全く異なるとしても連帯当時のポーランドと比較して現在の日本のそれはそれほどに進化しているとも思えないのである。現在のハンガリーの国民は、少なくとも日本の国民よりは十分に賢明であると思われる。

先にもマンハイムでの展示会での日本の近代黎明期の写真について触れた。同じ頃の写真が今ヴェネチアの展示会で紹介されているそうだ。その写真とは既に見たようにカラー写真なのである。白黒写真に混じっているカラー写真の数々である。

世界で最初のカラー写真はコダックでもアグファのそれでもなくて日本で写された飛脚や火消しや芸者などの写真であったのだ。勿論化学的に焼き付けられたのではなくて、手書きで着色されたのである。

日本の写真の父上野彦馬に代表される技術はコルフ島育ちのヴェネチアの写真ジャーナリストで戦争写真家のフェリーチ・ベアートによって日本へ伝えられて、オーストリアのフォン・ラテニッツなどと共に横浜で多くが制作される。そこから1870年当時の宮島の海や鳥居の色彩などが世界中に伝えられることになる。

1885年の日下部金兵の写真として全身刺青の丁髷褌姿の飛脚のカラー写真があり、竹の先に御用と記された書状を挟んでいる。所謂公的な文書を一っ走りして届けるのだろう。もはや明治十七年のことであるが、こうした写真で見るように庶民の生活はなにも江戸年間と変わらず、一部の士族などの知識人が様々なことを学んでいただけなのである。そうした状況は今でも全く変わらないのである。もしかするとドイツにおいても同じかもしれない、エリートの育成が教育の一番の課題であるからだ。あのような大統領しか選出できないことに全てが表れている。

そこから更に百年少々しか時代は経過していない。それほど高度なことを日本の市民に期待するのは間違っているのだろうか、東欧の彼らに急激な社会的な進化を期待しても仕方がないようにである。



参照:
Japan in stillem Gedenken (ZDF MediaThek)
Übers Papier gestrichelter Regen, Bettina Gockel, FAZ vom 7.3.2012
先進工業国初の原発零? 2012-03-11 | マスメディア批評
創造する首が無ければ 2012-01-31 | 文化一般
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強い意思と「努力」あるのみ

2012-03-12 | 文化一般
昨夜から今晩にかけて二つの電球が切れた。一つは枕もとの電球で明るめだったのだが、手持ちの25Wにすると読書するには暗い。そこで玄関に点いている40Wのものと取り替えた。まだ欠けているので25Wのものを改めて購入しておかなければいけないだろう。

もう一つは間接照明用のスポットライトで40Wが切れた。これも手持ちが40W の墓場鬼太郎の目玉親爺のようなものしかないのでそれに替えておいた。夏場はバルコンで使うのでそれはそれでよいかと思っている。しかし基本は暗くしていくことである。

承前)前述のラジオ番組においても示唆された文化的な背景、つまり日本社会が事態に急激に対応できるその独自の文化性への関心も喚起される。ARDのTVプログラムにおける三月に入ってからのものでは、311以降に神頼みへと向かう日本人像が描かれている。仏教・神道やキリスト教者の脱原発活動を通しての日本人の不思議、つまり広島・長崎に続いて福島を一手に引き受けた日本人の業が取り上げられている。当然のことながら結果は得られないのであるが、そうした捕らえ方は丁度このBLOGにて脱近代をそうした一神教の世界観として考察していく作業と丁度相似形になっていると考えてよい。

ARDが追いかけたハートケアレスキュウの三浦氏なども登場して、宗教者としては出来るだけのことをするしかない現実と、そもそも宗教者が日本の社会認識に影響を与えることの出来ないその無力な宗教哲学を示唆している。

明仁天皇が「この震災のため、原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は、住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。」と哀悼の意を述べた。会場に招待されていたテプコの勝俣会長は一体どのような顔をしてこれを聞いていたことだろう。被害者には一言も謝罪せずに超一流財界人としてそこに列席したとんでもなく不貞な輩である。

日本では阪神大震災後にヴォラティアー活動が推奨されるようになったと聞いている。なるほど陛下も触れるようにそうした活動がなければ更に酷い状況へと進んでいる。困ったときの人助けには多くの人が見捨て置けないとの気持ちで自然に体が動くであろうが、尚努力しないといけないとそこで語られているのはそうした単純な気持ちからの無償行為ではなかろう。

それではどういう行為であるかと言うと、その回答が前述のARDの番組にもしかすると描かれているかもしれない。広島・長崎への祈りや誓いは福島を阻止することが出来なかった。それが現実である。なるほど小出助教が語るように核開発と原子力が別のものとして宣伝されたために分らなかったと言い逃れすることは出来る。しかし、ARDの後述する別番組でバラックを仮住居とする老婆が漏らすように「東京に造ってくれ」と言うその背景の意味が最初から多くの人はどこかで気がついていたに違いないのである。それを自ら誤魔化したのは日本の市民である。

神頼みで祈ることで平安が訪れると信じている日本の若者は同じ過ちを繰り返すのである。彼らには本当のエゴも自意識も欠けているのは、戦前の大日本帝国のまたはそれ以前の庶民となんら変わらない。

ヴォランティアーなどはそもそも厳しい自己との対峙とエゴの自覚がなくては生じない無償行為であって、只の自己満足では成り立たない行動なのである。そうした精神活動の中で自らのおかれている環境を認知することが出来て初めて環境への働きかけとしての活動が可能となる。ARDの番組は些か整理されていない内容ながら其処をついている。

柏崎刈羽などでは地元の住職も反原発運動の背後にいて、どうしても活動が盛り上がらないので外部からの応援を集めるためにもネットで情報を発信しないといけないとしている。それは反原発だとか脱原発の問題ではなく、それどころか強力なリーダーによって物事の道筋をつけるという考え方とは正反対な個人の態度なのである。

到底「絆」などの言葉では築かれない連帯への意志であって、その基礎には磨き抜かれたエゴが確立されていなければいけない。正しくドルトムントの香川が漏らしているようなエゴである。そうやって初めて連帯が築かれて、初めて努力が報われるのである。

もう一つのARDの教養番組では、もはや「広過ぎる」とお手上げ状態の除染の児玉龍彦教授の語りは圧巻である。その除染効果の限定的な扱いと共に ― 寧ろ効果の表れる三郷や柏市のようなホットスポットでの活動に集中すべきである、より危険な内部被曝に触れて、特に都内において子供の小水やミルクなどからの放射性物質の発見に専門家が杞憂しているというのはとても衝撃的であった。そうした情報をもとにどのような行動が求められているか?

正しく、自らのエゴを強く自覚することで初めて社会を見極め、それらを取り囲む環境を認識が出来るのである。エゴイズムへの啓蒙をせずにヴォランティアなどとの給うのは所謂「滅私奉公の勧め」でしかない。ヴォランティアーの本来の意味合いを知っている為政者である日本の文科省のエリートが態と教育本来の意味を誤魔化しつつ自らのエゴイズムを追及しているからなのである。そのことは311にて日本の国民でさえ皆知ることとなったのであった。

陛下の言葉の意味を正しく理解すべきである。311以降、急激にその存在感と強い意思が世界中に伝わるようになった明仁天皇であるが、宮内庁の検閲?に拘らず、其処には病身を圧しての公的な現示以上に内容が、意思が人格が感じられる。「行ってきました」が「怠ってきました」と発せられて、反対に「ヴォランティアー」のオックスフォード仕込がつい出てしまう立派な英語のアクセントではなくて、その言葉「努力」の裏にある行動への誘いを聞き損じてはいけない。行動と蜂起あるのみである。(終わり)



参照:
Fukushima - Eine Reise durch ein verstörtes Land,
Putzkommando gegen Strahlung (ARD Mediathek)
独駐日大使からの福島報告 2011-06-29 | 雑感
心を揺さぶる貴く強い振る舞い 2011-05-11 | 雑感
天皇陛下!万歳!万万歳! 2011-04-06 | 雑感
毒は勝俣に呉れてやれ 2011-08-25 | マスメディア批評
キタロー、履き違えじゃ 2012-03-08 | 文化一般
震災1年に対する外国メディアの報道 (クラシックおっかけ日記)
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日本を照らす原子力!

2012-03-11 | 生活
承前)丁度一年前の体験を科学的に根拠付けておこう。朝早くからがさがさとしたので目が覚めたのだった。時計の針は朝の七時前であった - 日本時刻で3月11日15時前のことであった。

オーストリアの地質観測所網のHPによると地震波は12分後にアルプスで観測されている。その伝わり方は良く分らないが恐らく地球の表面を伝わるP波が観測されてそれから一時間以上に渡ってエネルギーが送られ続けたようである。

震源からアルプスまでと、ここまでの伝播距離の差は精々500KMほどなので時間にして一分ほどの差異であろう。発生は日本時間で14時46分23秒であるから、こちらの時刻で6時46分23秒である。それから12、13分後にざわめきで目が覚めたのであった。それから暫くしてTVで津波の惨状を目の辺りにするのだった。

フランクフルターアルゲマイネ紙は福島を取り巻く現在の様子を伝えている。驚かされるのが今でも原発副読本が小学校で使われていることで、その内容の変遷を扱っている。その天下りの制作グループの破廉恥さとかメディアを巻き込んでの広報活動を伝える。星野仙一の関電のスポットの恥さらし振りを紹介して、金浸けにされた地元住民の姿を赤裸々に描いている。新幹線の福島駅では若い女性が、「東京人は福島人を馬鹿だと見做している」と怒こる。

星野仙一などの原発推進で原子力むらから稼いだメディアや芸能芸術関係団体を含む連中がその全額を寄付として原発被災者に返金するのは当然であるが、そのような金では足りないのである。だからドイツからの支援金で子供を休暇には少しでも福島市内から安全な場所へと連れ出そうとする家族の苦難が描かれる。何よりも何一つ信用するものがなくなった疑心暗鬼が市民を蓋い、そこに不安が横たわる。とても少々の金ぐらいでは足りないのである。

その一方、今でも原発推進へと金を投資する連中の真意が分らない。それどころか、福島以後にも風評被害監視をする団体が発足して、フード・コミュニケーション・コムパス「Food Communication Compass」(フード・コミュニケーション・コンパス 略称:フーコム)として活動していることなどは正気の沙汰ではない。背後にはそうした政府の意向があり、原子力むらはゾンビのように何度殺されても死なない。一網打尽にしょっ引いて刑務所にぶち込むしか方法はないのである。善良な市民は蜂起すべきである。

こうした記事の内容を読むと、殆ど想像のつかない日本の社会がそこにある。考えられるのは、バブルが弾けて行き場を失ったバブル金がそうした原子力むらにデポされて、そこで核反応のように核燃料として注がれているとしか思われない亡者の巣窟があるのだ。現在進行中の日本の社会秩序は北朝鮮のそれと殆ど変わらない。ドイツの公共放送や高級紙で伝えられる内容が日本のメディアでも十分に共用されて広く伝えられない限り、そこには報道や表現の自由などは存在しないのである。(続く



参照:
Im fröhlichen Atomkraftland, Tobias Weiss,
Nicht zu lange draußen spielen, Carsten Germis, FAZ vom 9.3.2012
Das Tohoku-Erdbeben in Japan am 11. März 2011 Allgemeine Informationen zur Zentralanstalt für Meteorologie und Geodynamik (ZAMG)
地震を感じて目が醒めた一日 2011-03-11 | マスメディア批評
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先進工業国初の原発零?

2012-03-11 | マスメディア批評
三月十一日を前にフクシマ関連の報道が盛んである。車中のラジオでは、ドイツよりも遅れながら急激な脱原発に迫られている日本の姿に注目している。このまま全機を停止させれば工業先進国初の原発零国となる。その現実性は、現在まで停電することなくやってきており、夏場のピークの乗り切りであろうとして、長期的には化石燃料以外の再生可能エネルギーへの急激な転換によるとされる。その技術面でドイツよりも遥かに遅れながらも、実際にはドイツでも日本の太陽光発電設備が使われていることなどから、政治社会的な動きに左右されるだろうと考える。

三月に入ってからのドイツ公共放送のアーカイヴを一望した。ARDとZDFのTVは其々これまでと同じ基調で特番報道番組を流しているが、後者では過激な番組制作の東京特派員ハーノが菅直人に独占インタヴューした内容が注目された。結論からすると、ドイツからの視点として重要な質問は全て単刀直入に為されたが、前首相の回答は多くははぐらかしであった。寧ろ、そうした様子を話者の表情の大写しと共に客観的に捉えた構成は高く評価したい。

そこには政治家としてのまた個人としての菅直人が包み隠さず映し出されているが、それ以上にここでも事故調査委員会に求めた判断の経過については一切の言及がなかったことでも、議事録を取ることの出来ないとんでもなく際どい判断がそこにあったことを伺わせた。最新の原子力災害対策本部の議事概要メモ書きなどの発表によると玄葉光一郎国家戦略担当相がそこで発言していて官僚のサボタージュどころではない最も高度な政治判断がそこでなされていたことは明らかである。

恐らく先の開戦から数えるほどしかなかったような政治的な判断がそこでなされたことは確かであって、この時点において議事録が無いと言うような公式見解は「その内容を最高級の極秘情報化した」と語っているに他ならない。こうした席において各政治家が秘書官なりのプロトコールによる発言の明確化の保障もなしに発言することなどはありえない。それは政治家として唯一自己の正当化を護れる方法であるからだ。総理官邸は料亭ではないのである。

それゆえに前首相は、自らの最初の「国民への呼びかけの偽りの内容」についてもお茶を濁して、只状況判断が出来なかったことで十分な避難誘導を出来ずに無駄な被曝をさせたことに遺憾の意を示したに留まった。それどころか、マスメディアを含む日本の各界が原子力村の勢力化にあることを示唆して本質的な問題から目を逸らそうとしている。

同じようにネットで観た東電会見での質問の風景は東電の松本部長代理を大写しにしながら「その慇懃無礼の犯罪者の表情」を遠慮なく写し取る。更にテプコの現地対策本部での懸案の四号機補修の耐震対策への問いかけへの回答はそのもの311前にテプコがとっていた態度と同じ姿勢を編まなく映し出していて、視聴者を震撼させるに十分である。その足で元GEの社員の住むサンフランシスコに飛んで、如何にテプコが嘘つきで、原子力村が強力な権力を持っているかを傍証していく。

こうした映像表現はとてもIWJなどネット報道では表現出来ないもので如何にもZDFらしい踏み込んだ映像ジャーナリズムの表現をしている。しかし一連の報道姿勢は物議をかもしたものとは違って客観報道をベースにしているだけにとんでもない迫力に満ちている。多くの視聴者に齎した効果は計り知れない。

そうした表現の一つに、海上からの接近や住民である原子力エンジニアーに同行しての数キロ圏への接近での発電所の近景の映像は、時期などは異なるがヴィデオジャーナリスト神保哲生の映したもののその比ではない迫力である。なるほど一時帰宅への同行であるから必ずしも直接線量は高くはなかったのであろうが、まるで達観したかのようなマスクなどをしないエンジニアの態度と共にとても強烈な印象を与えた。まるで腹切りの介錯のようでとても日本のマスメディアでは映像化出来なかったであろう。(続く



参照:
Atomkrise in Japan - Naoto Kan,
ZDFzoom: Die Fukushima-Lüge,
Fukushima: Ein Jahr nach der Katastrophe (ZDF/MediaThek)
中間報告書へのコメント 2012-01-30 | マスメディア批評
日本社会の民主化に向けて 2011-10-11 | マスメディア批評
喧嘩を売買する報道姿勢 2011-09-16 | マスメディア批評
公共放送の大いなる使命 2012-03-01 | マスメディア批評
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現代の音環境への認知力

2012-03-10 | 
フランクフルト空港はストライキなど最近なにかと話題となっている。我々が興味あるのは、新滑走路絡みでの、航空機の騒音の大きさに準じた空港使用料の設定であろう。

アイデアとしてはとてもよいと思うが、他の空港も同じような基準を設けなければ航空業界への大きな影響はないだろう。チァイナエアーなどは、欧州空域でのCO2規制で、サンクションとしてA380 の注文をキャンセルしたのと同じように、フランクフルトに飛ばさないことで圧力をかける。

それを受けてルフトハンザなどは、既に小ざかしいボーイング737のエンジンカヴァーのアコースティックパネルズを取替え、離着陸で2.4dbの騒音低下の効果を得た。またA320シリーズでは主翼下のタンク油圧調整に渦調整装置を取り付けて離陸時の騒音を0.6から2.3db下げている。この少ない対数表示のデシベルの削減によってスタートバーンにおける騒音を85dbに抑えることが出来ると言うのである。

騒音を下げることは、一般的には環境問題の解決であるが、そうした住民の生活環境の向上であると同時に、音への感受性を鈍らさないための基本的なことなのである。感受性とは、なにも高度な芸術的な表現まで行かなくとも、人類の基本的な五感に、つまり認知にかかわることなのである。基本的人権とかそうした主張以前の根源的なものである。

先日購入したCDエディションの中で、やはりハインリッヒ・シュッツの音楽はその和声のあり方からしてブルックナーなどに通じる独自性が見事である。そしてその他のパッヘルベルのカノンも手馴れたもので素晴らしいが、恐らく知ることもなかったようなラッススの弟子のレヒナーなどの美学的時代背景も良く分り、こうしたエディションのなによりもの利点である。なるほど廉価版なのでブックレットには情報はないので、個々の作曲家や曲については必要ならば逐一調べなければいけないが、現在においてはネットで十分な情報も楽譜も容易に無料で得ることが出来るので全く問題ないであろう。

騒音の中での反射的な拒絶・閉鎖とは丁度反対に、こうした積極的な聴姿勢によって初めて開かれる音の環境が存在しており、嘗てCD導入期に問題となっていたような受身の聴環境というのはこうした聴習慣で完全に打破できるだろう。そうした目的に叶うように、個々の良く出来たCDのプログラムに加えて、全体もアンソロージーとして素晴らしく文化的な制作となっている。

そもそも大バッハの音楽の本質的な価値や趣味を理解しようと思えばその一族の音楽だけでなくこうしたそれらを取り巻く環境を実感しないことには分らない。それは、所謂西洋近代音楽への視点でもあって、現代人の音環境の基礎にあるものなのだ。



参照:
屋根裏のジェットストリーム 2012-02-26 | テクニック
文学としてのジャーナリズム 2012-01-04 | マスメディア批評
脱思想・脱原発・脱体制 2008-01-29 | 歴史・時事
無駄が聞こえない環境作り 2011-09-07 | テクニック
タービンが力強く回るところ 2011-07-04 | テクニック
福袋CDエディション 2012-02-28 | 暦
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効率よく働かせる保険

2012-03-09 | 生活
明らかにインフルエンザであった。悪寒に襲われて足元がふらふらするほどの熱ではなかったので、経験上39度には至ってなかったであろう ― そのように意識混濁となっていたら解熱剤を投与していただろう、しかしその頭痛の仕方からすると38度に近づいていたかもしれない。37.8度と言った感じである。

激性のようで、潜伏期間は少なくとも月曜日にはあった訳だが、本日木曜日は熱は下がり、熱の影響で腸の動きが不調なのと、若干筋肉痛や関節痛が残っている程度である。熱があったときは一昨年の左手第二関節の怪我と右手の手首関節に熱が溜まった。喉の痛みは激しいが炎症しているだけなのでのど飴をなめて蜂蜜でもなめておけば直るだろう。若干夕方になって熱っぽくなってきたが月曜日の疲れ方の程度に戻ってきている。

なるほど労働者の場合は病休にするために医者に行く必要があるらしいが、我々は病気証明書などは必要ない。正しく保険制度というのは如何に労働者を効率よく働かせるかに重点が置かれていて、個人の健康とかQOLとかとは一切関係ないものなのである。最低の医療を受けるための保険制度は必要であるから公的健康保険は社会保障として必要であるが、労働効率向上の健康労務管理や高級医療のためのものではないのである。

先日来ラジオでも盛んに伝えるところとなっているのが、癌検診の無駄と経済的な損失である。要するに、もはや乳癌検査だけでなくて一部子宮癌の検査の無効性は医学的に証明されていて、検診を受けた者の方が発病率?死亡率?が高いことが明らかとなっている。しかしこうした検査が医療機関の経済的な餌食となって、更に健康保険制度を脅かしているというのである。

先ずは、癌の早期検査とか健康診断とかが話題に上るとき、必ず眉に唾してその背後にある黒い意思や利権構造を考えてみるべきであろう。殆どの癌検診などは意味が無い。少なくとも知人において癌定期検診をして長生きをした者などは一人もいない。勿論、放置しておいて余命の無かった者はいないことは無いが、それは余程横着な患者かどうせ施しようの無い病気でしかなかったのである。

ここにおいて婦人科ならず男性科の話題をアンチエージングシリーズとして扱ったが、どうしても男性の場合は女性に比較すると自己の身体に対して無頓着となる文化的な社会的な背景があるということであった。それは即医者へ駆け込めという事ではなく、自らの内的・外的な状況・環境を丁寧に観察して認識しろと言うことでしかないのである。



参照:
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
原発銀座で息を吸えるその幸福 2011-04-26 | アウトドーア・環境
グリーンピース発表によると 2011-03-30 | アウトドーア・環境
癌治療に漢方を組み合わせる効用 2011-02-24 | 数学・自然科学
財政再建無ければ未来も無い 2011-01-13 | 歴史・時事
前提とは理念を再認識すること 2010-11-17 | マスメディア批評
穴が開いたからの電話 2008-10-24 | 生活
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キタロー、履き違えじゃ

2012-03-08 | 文化一般
風邪を引いた。うつされたかどうかは分らないが、流行っている感冒である。今朝起きると喉が詰まっていた。軽くうがいをしたが遅かった。昨日の目覚めに熱っぽかったのは寝不足のせいではなくて。気温に対応できなかったのに違いない。今晩はおとなしくしていることにする。裸で飛び回ったのがいけないのだが、直ぐに直るだろう。

新聞を見ると九十の誕生日の水木しげるの会見風景が写真入で紹介されていて、ドイツでもフランスから遅れること漸く出版社がつくことが報じられている。調べてみるまで妖怪辞典などはフランスで好評発売されているのを知らなかった。

キタロウでおなじみの水木しげるであるが、戦争で無くした左手とともに玉砕を生き残った語り手として貴重な存在であることは変わりない。そしてその妖怪ものには常に近代文明批判が背景にあったのは誰もが認めるところだろう。

知らなかったのは「ヒトラ」と称されるヒットラーを題材にした漫画で、これもフランスで発売中であるが、ドイツでも出版されそうである。兎に角、キタロウが下駄を履いてドイツの町を闊歩するのは近い。その前に妖怪辞典上下巻のフランス語版を勉強しようかと思っている。

現在の日本のように明るい町にした「明るいナショナル」にも責任があるのは間違いないのだが、暗い夜と貧しさが結びついた背景は興味深い。少なくとも欧米においては、明るさよりも安らぎの夜が健康な豊かさの象徴であって、昼のように明るくした夜の生活などは不健康そのものであることには間違いないのである。

そして、明るさと豊かさを混同して履き違えたのは必ずしも松下幸之助だけではない。一体どうした過程で暗さと貧困が結びついたのか?そこには日本の独自の近代化の諸相があるようだ。

ドイツでのエネルギー消費量は下がる傾向にあるという。この暖冬の影響だけでなく、夜は早く寝て、夏時間を利用して、出来るだけ太陽の光で暮らすこと、その為には暗くなってからの外出を自制して、健康的な生活をするの限るのである。その結果がドイツ経済の力強さに結びついている。

夜の生活のために安いチケットが残っているようだと思って、マウリツィオ・ポルリーニの土曜日のリサイタルを予約しようと思った。昨年の秋にキャンセルされたものでショパンとリストのプログラムである。35ユーロならば車代にもならないがと思って調べると75ユーロ以上しか売れ残っていない。録音などを聞いてももはや嘗ての威光の無いピアニストであり、機会があれば最後にもう一度聞いてみるかと思ったが、ガソリン代よりも高くつくので価値が無い。

正しく現代の大コンサートホールに空き席をおいての煌々とした照明の下でのショパンもリストももはや何かを履き違えているとしか思われない。そうしたことを意識しない者は、芸術音楽などを鑑賞してもなんら脳みその足しにすらならないのである。精々、水木しげるの妖怪辞典でも紐解いているのが宜しい。

必要以上の夜の明かり、そしてその中に隠されているのは、正しく遺伝子のように引き継がれた前近代的な貧困の生活感の反動となるのだろう。夜の帳が下りて熱を感じるようになった。体内温度計では七度四分はありそうだ。完全に遣られたが、基礎体力があるので、明日ぐらいには全快して欲しい。



参照:
摂氏零下の小夏日和 2012-03-07 | 暦
先ずはそこからだ! 2012-03-06 | アウトドーア・環境
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摂氏零下の小夏日和

2012-03-07 | 
陽射しが強い。よって気温は放射冷却で零下となっているが、もはや春たけなわである。窓を開けて、パンを取りに行く序に、ひっとっ走りしてくる。

もはや上着は要らない、七分で足を出して走ろうかと思ったが、長ズボンにした。上はTシャツ一枚だったので、走り出しの木陰は凍った。

日曜日に走ったことであり、寝不足後の寝起きであったので、ゆっくりと体の調子を見ながら走り出す。太ももへの負担が大きいが、日曜日のコースと違って坂が知れている。息もそれほど上げずに何時もの白樺まで走った。

予想通り記録は良くないが、準備さえしてウォーミングアップをしておけばもっと早く走れそうであった。降りも11分と登りとあまり変わらない。汗を掻きそうになったところで駐車場に着いた。

日曜日から祝い事でグランクリュを二本開けた。日曜日はニコゴリに合わせて、現在飲み頃を迎えている2008年産から、マンデルガルテンを開けた。クリストマン醸造所のものである。既に購入直後に開けているので二年ぶりである。

結論から述べると、イガイガ感があって若いときよりも欠点が目立つ。2008年は独特の量感のある押し出しの強いややもすると下品な酸が特徴であるが、新鮮なときは目立たなかった傷と同時にその酸の荒さのようなものが見えて若干興醒めである。しかし人によると、それ以上に天然酵母が落ち着いてきた丸みと感じるのかもしれない。

なるほどマンデルガルテンの土壌感は貴重であるが、葡萄を腐らせたのか明らかな灰汁が出ていては頂けない。現時点では至らないミュラー・カトワールのマンデルガルテンの方が良いと思う人もいることだろう。VDP会長のビオデュナミの葡萄も今以上に葡萄を剪定しないといけないのではないだろうか。勿論まだ今後熟成は進むだろうが、そもそも飲み頃の難しい2008年産で、この時点でイガイガ感と残糖がかわるがわるに感じられるようであると、先は暗い。

さて、月曜日には更に10ユーロほど高価なビュルクリン・ヴォルフ醸造所のペッヒシュタインを開けた。パフューン系の香りからしてまったく別世界であり、価格の相違は顕著である。そして最初の飲み頃に開けれた玄武岩土壌のこのリースリングの酸の肌理の細かさと豊かさには呆れるばかりである。しかしこれも人によると鋭い酸と13.5%の強いアルコールであまりにシャープに感じるかもしれない。その通りである。この年はまだ培養酵母を使っていた筈だからである。

その価格の差は、満足できるワインと出来ないワインなのだが、満足できないワインを高い金で買ったかと思えば腹立たしいが、少々高くても心から満足できれば喜びである。その差は大きい。

食事は、海老と鮭をナスやジャガイモとオーヴンにかけた。甲殻類が合うのだが、鮭も決して悪くはなかった。突き出しに食べた鰯のニコゴリが予想以上に美味く、塩気を全く感じないほど薄く、熟れ鮨と江戸前の中間のような感じでとても上品でよかった。

2008年産のペッヒシュタインは現時点では過去のものに比較して、新鮮でありながら出来ていると言うことで購入したのであるが、なるほど2001年産は別として、2004年産の若干の汚れ感のあるようなものに比較すると番茶も出花で粗が全く見えない。

振り返ってみると、殆どビュルクリン・ヴォルフ醸造所の2008年産のグランクリュを購入していないかと言うと、やはり天然酵母ではない奥行きの無さが気に食わなかったからであろう。2008年以降は天然酵母木樽醸造となった。



参照:
創作への理想的環境 2012-03-05 | 生活
狐につままれたような気持ち 2010-06-05 | アウトドーア・環境
旨くない途轍もない将来性 2009-09-03 | 暦
黒光りする掘り出しもの 2008-10-30 | アウトドーア・環境
湿っぽい紅葉狩りの週末 2008-10-13 | ワイン
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先ずはそこからだ!

2012-03-06 | アウトドーア・環境
ドイツ国境に近いもう一つのフランスの原発が問題となっているようである。ザールラント州から12KM 離れたカトナムの原発である。ラジオは、話し合いの場が開かれると伝えるが、フランス政府は最も古い一号炉でさえ2046年まで60年間稼動させる予定である。殆ど狂っているとしかいえない。

モーゼル河畔のここの四つのある炉の一つでもフクシマ並の事故を起こせば、僅か9KMしか離れていないルクセンブルクは幻の王国となる ― しかしルクセンブルク市民は国王ともども日本と違って財産を持って世界中に離散するだけでよい。フクシマで、もはや世界中の人々の考えは変わった。フクシマは一度だけで十分である。

電気コンロの上の換気扇についている電球の一つが切れた。態々調べることもなく新たに二つの電球を購入した。二種類の消費電力を選べるが、迷いながらも小さい方の25Wにした。

帰ってきて取り替えてみると40Wの電球を使っていた。使える電球も外して二つとも25W に揃えた。少し暗くなったようだが別に構わない。電気代をけちると言うよりも、極力無駄な電気を使わないこと、これのみである。なにも手術室のように明るくなくても良いのである。それほど細かなことをコンロの上でしない。

先ずはそこからである。



参照:
スイス合理主義の判断 2012-01-11 | アウトドーア・環境
アルザスの原子力発電所 2011-07-06 | アウトドーア・環境
犯罪行為のオール電化 2012-02-10 | 生活
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境
屋根裏のジェットストリーム 2012-02-26 | テクニック
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創作への理想的環境

2012-03-05 | 生活
チャーリー・チャップリンが赤狩りに遭って、ハリウッドから追放されて、欧州に帰ってきたことは周知の事実である。同じように女王陛下のスパイであるMI5にも監視されていたことは噂にはなっていたかもしれないが事実としては確認されていなかった。その内容が明らかになって、ロンドンの南部の出生記録はあるようだが、ユダヤ人の姓名やフランスで出生したと言う噂は確認されなかったと言うのである。

そうした状況に嫌気が指してスイスのジュネーヴ湖畔に居を構えてから、最後の映画を撮る時には英国に戻ってそうした状況を痛烈に批判した映画を制作したとある。

同じように欧州から合衆国に渡り、そこから再び欧州へと戻った文化人は数限りない。自身は弟のように社会主義者でもなく、ユダヤ人でもないにも拘らず奥さんの関係もあって亡命を余儀なくさせられたトーマス・マンなどもそこに含まれる。

そのノーベル賞作家が、三部作「ヨゼフと兄弟」を著したキャリフォルニアの自宅が、着欧時に売却されて、その飼い主の子孫が借家として空きを出していると新聞に紹介されている。月毎15000ダラーであるから、高級であるが、小説に描かれた棕櫚の並木がそのまま残っているようで興味ある向きには決して高価ではないだろう。

そもそもそのロス郊外の家は1945年に映画「アルキスト夫人の家」でオスカー賞をとったベルリンから亡命した舞台芸術家パウル・フルジェンスキーの内装と同じくハリウッドで仕事をしていた建築家ダヴィドソンの手によって当時新興のサンレモドライヴに建築された数軒の一つであった。

瀟洒な建て方とバウハウスの流れを汲む自由な建築様式でそれなりにドイツのそれの流れを汲んでいるようだ。そのような環境で、三部作の執筆には最高の条件を齎したのみならず、「ファウストュス博士」の執筆もそこで行っている。当然のことながら同じ亡命者であるアドルノもそこを訪れているようだが、作品との関連に関しては言及していないようだ。折角車を走らせてやってきたその学者もマン夫人である老カティアに掛かると只の己惚れのばか者となるのであるが。

先週に続き山の上まで駆けた。走り出しで膝の上下に酸素がいかない感じが強かったので、これは駄目かと思い歩こうかとも思ったが、駄目はもともとも我慢した。すると万歩計がベンチのところまでで9分しか示していない。16分掛かっていたところをそれはないだろうと思ったが、調子の良い自分はスーパーマンかと思い、走り続けた。次のチェックポイントまでそこから5分しか掛かっていない。これは記録達成と思い、頂上まで抜けると19分を示していた。流石に歩数が足りないことを鑑みても正しく時間を刻んでいないと疑った。それでも最後の坂も十分に走り登ることが出来て、先週の一回目とは大分違う。力配分が出来るようになったのであまり苦しまずに頂上まで登り、寧ろ降りの方が疲労して汗びっしょりで駐車場まで帰ってきた。タイムは兎も角、先週とは大分疲れ方が違う。体が軽い。これは楽しみである。



参照:
QOLとしての水道水 2005-07-29 | アウトドーア・環境
パリへと航空郵便を発送 2008-11-30 | 雑感
福袋CDエディション 2012-02-28 | 暦
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言うことを聞かない筋

2012-03-04 | 雑感
水曜日に続いて金曜日へと尻上がりに良くなった。水曜日は二時間みっちりと登ったので疲れが残っていたのだが、通常と違う疲れ方であった。筋肉痛というよりも背中の張りとか、筋とか張りに近いものであった。

下椀の筋の痛みは数年前に感じたぐらいで暫く無かったのでどうなることかと思ったが、結局問題なかった。よく思い出してみると以前に筋が痛くなった様子とは若干違い筋肉の筋がばらばらに感じられるようになってきている。

実際に金曜日にオーヴァーハング帯を幾つか、垂壁を間に挟みながら登ってみると、訳も分らずに腕が疲れるということがなくなって、その使い方によってその部位だけがばらばらに疲労する感じが顕著になってきた。

現在意識しているのは、力と時間の掛け合わせのパワーと、その力の大きさと時間の短さのコントロールである。要するにフルの力で長く負荷を掛けていたのではもたない。そこで必要な時間だけを出来るだけ短く必要なだけの力の負荷を掛けるように意識するのである。こうした意識はそのままクライミングの技術と呼ばれる合理的な登り方でしかないのである。

力の入れ方を意識することと全く同じことなのだが、オーヴァーハングの下でザイルをカラビナに掛ける体勢を維持することが、腕一本への負荷となることから、最も筋力が必要な過程なのだが、それを合理的にスマートに手早くやることがまさにこの技術なのである。これが身についてくるので、野外で本格的に登るときも自信を持って中間確保支点を設置できるようになるのである。

土曜日の朝のラジオの教育の時間で話されていた。NOと言える園児を育てる保育についてである。「言うことを聞くよい子」は、社会にとって大切な教育目標であることは間違いないのだが、そこで拒絶とともに相手の立場を尊重することも大切な教育であるという考え方による。

幼稚園も決して「言うことを聞く」ことを否定しているのではなく、拒絶する難しさやその方法、そしてそこから立場の違うものを尊重して、尚且つ議論できる社会のための教育であると言うのである。とても立派な考え方である。

三週間もすれば夏時間である。冬のクライミングシーズンも精々あと七回ぐらいである。



参照:
福袋CDエディション 2012-02-28 | 暦
とんでもなく腕力が強くても 2011-12-18 | 雑感
ここぞのときの葉隠れ術 2011-12-14 | 生活
週三回の熱い危険な誘惑 2009-06-20 | アウトドーア・環境
誘われて、困っちゃうな 2009-06-04 | 雑感
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工業折り紙デザイナー

2012-03-03 | 
ユダヤ系ドイツ人らしき女性デザイナーの記事が載っている。折り紙の専門家のようで、それを使って工業デザイナーとして活躍しているようだ。

折り紙は最近はドイツでも一般的になってきているが、彼女に言わせるとエルサレムの学校では授業過程の一つであり、合衆国や中国などでは盛んなのだと言う。実際は知らないが、そのような理由で振興の勢いがあるのだろう。

折り紙の二次、三次元的な展開が幾何の素材としても扱われて、数学的な解析が可能なのは常識であるのだが、工業デザインとしてなくてはならない技能とは知らなかった。

折ることの出来る素材は全て折り紙されることが前提となって、折り紙でなければ合わせたり、貼り付けたりして形成しなければいけないところが折ることだけで、原料も加工もいらずに製品化出来ることが画期的なようだ。

最も身近な製品では自動車のカブリオーレの屋根やエアーバックの折込が挙げられて、三次元的なスペースの限られる宇宙開発・工学部門でも欠かせないようだ。アンテナやその他の形成を考えればよい。

それとは反対にミクロの部門の内視鏡外科などの発達の進歩の著しい外科医療分野でも折り紙は欠かせないらしく、一番有名なのは心臓の血管狭窄をステントなどが代表例らしい。内側から風船で膨らまして広げたところでこれを広げて咬ますのである。手術が出来るだけ皮や肉を切り分けることなく、最小限度の出血で行われるのは今や常識的なことなのだろう。

折り紙の本は、どうしても日本語のものに頼らなければいけないが、日本語は分らなくとも絵で学んでいるようだ。

ラジオが伝えていた。前ドイツ連邦共和国大統領ヴルフの新築の家に家宅捜査が入った。



参照:
折り紙の現課題と原体験 2006-07-16 | 文化一般
非被逮捕権まで剥奪 2012-02-19 | マスメディア批評
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