Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

詩的な問いかけにみる

2007-07-09 | 文化一般
昨晩、先日話題となった映画「Rhythm Is It」を観た。偶々、アル・ゴアの「不都合な真実」を観てみようかと思っていたら見逃してしまい、終りに近い自然災害映像の部分を、何時も見ている風景だと諦めの感情をもってチャンネルを変えると、上記映画予告の文字が一瞬見えた。気になったのでネットで検索をかけると暫らくして独仏共同文化放送局アルテのタイムテーブルが出てきた。

再びTVを点けたときは既に始まっていたが、大体様子は窺えた。ベルリンの普通の少年少女達 ― 世界中から流れ集まってきたような子供たちである ― がストラヴィンスキーの「春の祭典」をフィルハーモニカーと踊るために特訓する情景が記録映画風に映し出される。

見所は、ベルリンと言う現在の世界中の大都市に共通する社会のカオスにおける様相が、ティーンエイジャー独特の孤立感や東西文化の入り乱れる不完全な近代都市に映されることであり、その空気を糧とする思春期の少年少女の肉体的で本能的に発散する踊りをもって実体性を持つと言うところであろうか?特に、英語を話すエチオピア人が雪の積もる北国の町に見せる情景は、ベルリンがシベリアと比べられる世界の僻地でしかないかもしれない事を示して、鬼気迫る想いがする。

まるで宇宙ステーションのごとき、そうした文明の辺境において、人が住み、それらが熱を帯びて行く、練習から公演を終えてほっとする表情の楽屋までの、その風景に初めて人の営みを見る想いがするのである。

またこの曲こそが指揮者ラトルにとって重要なレパートリーであって、大オーケストラ録音デビューの嘗てのLPに、現在も彼の演奏解釈にしばしば投げ掛けられる懐疑に繋がるその好悪の全てが現れている。

ニコラス・ケニオン著「サイモン・ラトル」は、この英ユース管弦楽団との録音や演奏について触れていて、そこでは師匠のジョン・ケリューのみならず、本人もその経過を述懐している。そこから云々されるものこそが、このジェームス・ジョイスを読み、フォークナーについて語るこの音楽家の身上であろう。

先日のインタヴューにあるように、「トーマス・マンのファウストス博士を読んでいない音楽家なんて...」と言わせる所以である。

そして、この映画にも関連する英国バーミンガムでの25年も前からの試みを語っている。英国での音楽教育の減少を見逃せないとして、女性打楽器奏者が提案した聴覚障害者への音楽教育での経験に、その本質をみる:

聴覚障害児たちのグループに尋ねたのです。今一体、何が聞こえる? 

― 全部!

メシアンの「鳥の歌」を演奏して、その歌について説明した時です、ある一人の聴覚障害児が私に言ったのです。

― 分かった、それでは、蝶々の歌は、どのように聞こえるの?

これほどに詩的な問いを未だ嘗て聞いたことがありません。

若い新進指揮者の楽屋裏での昔日の話し振りと、今も一向に変わらない姿勢を示すこの音楽家の創作活動の過程は、やはりその音にしかみる事が出来ないのであろう。



参照:
More Than (雨をかわす踊り)
誰も皆踊る姿にしびれます (無精庵徒然草)
理性を埋める過去の美化 [ 文学・思想 ] / 2007-07-05
文化に見合った法秩序 [ 文化一般 ] / 2007-07-06

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (Seedsbook)
2007-07-10 15:06:10
こういうプロジェクトは贅沢ではなくて必然だといった彼の気持ちは正直にそうだったんだろうな、と思いました。
この映画を作った二人の若者の情熱もあったでしょうね。
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Thomas Grube, Enrique Sánchez Lansch (pfaelzerwein)
2007-07-10 16:06:54
なるほど二人の名前を見ました。続編では北京公演とかの異文化の遭遇も扱っているようですね。

楽団は、今でも恐らく襟を正していれば安泰と思っていて、観光客やどさ廻りやその他の取巻きによってやっていけると思っているのですね。しかし、ラトルはバーミンガムでの経験もあって、社会全体を取り込むようなものでなければ、こうした重厚な文化機構は存続不可能だと考えているのでしょう。

オーケストラムジカーは、文化的超保守派の典型ですから。
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