マルゴート・ケースマン博士の編集長としての恐らく最後の言葉にじっくりと耳を傾ける。新聞に折り込まれている福音雑誌の内容である。そこにあるのはこの女性らしく政治に具体的に言及する姿勢で、宗教者としてドイツ連邦共和国の財政赤字体制を厳しく批判する。
旧約聖書の創世記41章にあるファラオが見た「よく肥えた七頭の雌牛とやせ細った七頭の雌牛」の「ヨセフの物語」から書き始め、完全に回復しない実体経済の状況とその政治的対応について説く。要するに、飛びぬけている日本や合衆国の赤字には遠く及ばないながらも、また財政破綻しているアルジェンティンなど ― 昨晩のラジオ討論はギリシャと日本とEUの財政破綻が専門的に比較対象していたが ― を挙げるまでもないが、財政再建がなされない限り、国の存在理由たる「国民の保護」に今後とも殆ど期待することが出来ないとする。
この辺りに裏返しに68年のヒッピー世代に影響を受けた考え方があって、ある意味オバマ大統領などにも通じる世代の主張が見え隠れする訳なのだが、結論としてはキリスト者として、弱者 ― 慢性的な失業者・子沢山・母子家庭!・障害者 ― を強者が支援する社会の必要性を説く。
まさにここにプロテスタント先進工業国のモットーが繰り返されている。ゆえにエリートの養成が必要なのであり、健全な社会の基本となる財政再建は小さな政府と抱き合わせになるのは至極当然なのである。その援助が本当に必要な弱者の為の社会であるためには、「本当に必要のない援助」はなさるべきではないのだ ― 劣悪教育の無料化などは無教養な小沢何某の子分のような成金趣味のキャリアー志向の俗物か、秋葉原事件のような通り魔を養成するだけなのである。
さて自動車クラブの最新の冊子を見ると飲酒運転への対応が厳しくなっていることに気がつく。最近は全く交通違反などとは縁の無い世界にいたこともあり殆ど注意していなかったばかりに昨年は裁判沙汰になったが、改めて現行の規制基準を見ると驚く。
先ずは「酒帯び」と呼んでも良いような、初心者運転者と二十一歳までの運転手にはアルコールに口をつけているだけで250ユーロの罰金と二点減点が科されている。初心者で酒飲み運転をするのはまだ百年早いに違いない。
血中濃度0.03%を越えてもなにもなければご免であるが、それが顕著化した場合、最低30日分の給与所得が罰金となり、七点の減点と最低半年の免停である。事故の場合は45日分の罰金と、最低九か月の免停と九点の減点。
ケースマン博士の場合は、0.11%を越えで0.16%未満であるから、なにも起こしていなくとも40日分の罰金と、最低九か月の免停に七点の減点で、赤信号で停車していたことで五十日間の罰金に最低十二か月の免停と七点の減点となる。常習や人身事故の場合は運転適格テストの必要性と禁固刑の可能性が付加される。
最も驚いたのは、0.16%を越えた場合の適用で、自転車走行にも罰金が科せられて減点があることだ。免停は免許がないから仕方ないのだろうが、30日分の罰金は甚だしい。この血中濃度は真っ直ぐに走行できる具合で無い事は想像出来るのであるが、故ハイダー博士といい、ケースマン博士といい、眼が廻るような状態で運転していてはやはり危ない。
当のケースマン博士は、上の文章を旧約聖書の箴言31章8節「王レムエルの言葉」から次ぎの言葉で結んでいる:
あなた(我々クリスト者)の口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている人の訴えを。
しかし、次ぎの直前の節は取り挙げていなかった。あまりに出来過ぎている最後の投稿であった。
31章4節
レムエルよ/王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは/君たるものにふさわしくない。
31章5節
飲めば義務を忘れ/貧しい者の訴えを曲げるであろう。
31章6節
強い酒は没落した者に/酒は苦い思いを抱く者に与えよ。
31章7節
飲めば貧乏を忘れ/労苦を思い出すこともない。
参照:
auf ein wort, Dr.Margot Käßmann, Chrismon, Heft 03.2010
Motorwelt, adac, Heft3.2010
箴言31:1、
創世記41章 ((財)日本聖書協会)
権威とはなんでもありの権力か 2010-02-25 | 女
旧約聖書の創世記41章にあるファラオが見た「よく肥えた七頭の雌牛とやせ細った七頭の雌牛」の「ヨセフの物語」から書き始め、完全に回復しない実体経済の状況とその政治的対応について説く。要するに、飛びぬけている日本や合衆国の赤字には遠く及ばないながらも、また財政破綻しているアルジェンティンなど ― 昨晩のラジオ討論はギリシャと日本とEUの財政破綻が専門的に比較対象していたが ― を挙げるまでもないが、財政再建がなされない限り、国の存在理由たる「国民の保護」に今後とも殆ど期待することが出来ないとする。
この辺りに裏返しに68年のヒッピー世代に影響を受けた考え方があって、ある意味オバマ大統領などにも通じる世代の主張が見え隠れする訳なのだが、結論としてはキリスト者として、弱者 ― 慢性的な失業者・子沢山・母子家庭!・障害者 ― を強者が支援する社会の必要性を説く。
まさにここにプロテスタント先進工業国のモットーが繰り返されている。ゆえにエリートの養成が必要なのであり、健全な社会の基本となる財政再建は小さな政府と抱き合わせになるのは至極当然なのである。その援助が本当に必要な弱者の為の社会であるためには、「本当に必要のない援助」はなさるべきではないのだ ― 劣悪教育の無料化などは無教養な小沢何某の子分のような成金趣味のキャリアー志向の俗物か、秋葉原事件のような通り魔を養成するだけなのである。
さて自動車クラブの最新の冊子を見ると飲酒運転への対応が厳しくなっていることに気がつく。最近は全く交通違反などとは縁の無い世界にいたこともあり殆ど注意していなかったばかりに昨年は裁判沙汰になったが、改めて現行の規制基準を見ると驚く。
先ずは「酒帯び」と呼んでも良いような、初心者運転者と二十一歳までの運転手にはアルコールに口をつけているだけで250ユーロの罰金と二点減点が科されている。初心者で酒飲み運転をするのはまだ百年早いに違いない。
血中濃度0.03%を越えてもなにもなければご免であるが、それが顕著化した場合、最低30日分の給与所得が罰金となり、七点の減点と最低半年の免停である。事故の場合は45日分の罰金と、最低九か月の免停と九点の減点。
ケースマン博士の場合は、0.11%を越えで0.16%未満であるから、なにも起こしていなくとも40日分の罰金と、最低九か月の免停に七点の減点で、赤信号で停車していたことで五十日間の罰金に最低十二か月の免停と七点の減点となる。常習や人身事故の場合は運転適格テストの必要性と禁固刑の可能性が付加される。
最も驚いたのは、0.16%を越えた場合の適用で、自転車走行にも罰金が科せられて減点があることだ。免停は免許がないから仕方ないのだろうが、30日分の罰金は甚だしい。この血中濃度は真っ直ぐに走行できる具合で無い事は想像出来るのであるが、故ハイダー博士といい、ケースマン博士といい、眼が廻るような状態で運転していてはやはり危ない。
当のケースマン博士は、上の文章を旧約聖書の箴言31章8節「王レムエルの言葉」から次ぎの言葉で結んでいる:
あなた(我々クリスト者)の口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている人の訴えを。
しかし、次ぎの直前の節は取り挙げていなかった。あまりに出来過ぎている最後の投稿であった。
31章4節
レムエルよ/王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは/君たるものにふさわしくない。
31章5節
飲めば義務を忘れ/貧しい者の訴えを曲げるであろう。
31章6節
強い酒は没落した者に/酒は苦い思いを抱く者に与えよ。
31章7節
飲めば貧乏を忘れ/労苦を思い出すこともない。
参照:
auf ein wort, Dr.Margot Käßmann, Chrismon, Heft 03.2010
Motorwelt, adac, Heft3.2010
箴言31:1、
創世記41章 ((財)日本聖書協会)
権威とはなんでもありの権力か 2010-02-25 | 女
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