Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

個人とは反するその意志

2023-03-19 | 歴史・時事
新制作「戦争と平和」初日シリーズの千秋楽が終わったようだ。漸く初日に購入したプログラムのページを捲った。先ずは、ドラマテュルークでペトレンコのブレーンのクラスティング氏がロシア専門家のグロイス氏にインタヴューしている。いつ行われたかは分からないのだが、現在のロシアの状況を踏まえるためには、制作企画中に話しを聞いているか書籍を読んでいたのだろう。

そこで話題になっているのは抑々ロシアの思想はヘーゲルから来ていて、コミュニズムに繋がれていったというものだ。つまりフランス革命における暴力による時代の幕開けがあって、ナポレオン自体はフランスの革命者ではないのだが、そうした新時代を築く意志が存在してということで支持されていたというのである。

それが前史になっていて、ヒットラーがナポレオンと比較されたというのはまさにその意志にあったとする。それはレリ・リーフェンシュタールの「意志の勝利」に文字通り現れているというのである。

この解説はとても分かり易く、ソヴィエトにおけるプロレタリア独裁のイデオロギー自体は農民やそうした人民の意志の集合として革命がなされるのだが、スターリン政権下でのナチズムの台頭は反ナチへと傾き本来の共産主義の革命にも反するナショナリズムに傾いたと語られる。所謂スターリニズムか。

それ以前にドストエフスキーにおける「罪と罰」において上記した意志の力はアジア的な思想の中で扱われて、つまり意志を持ったものはそこに朽ちることになる。それがロシアの思想を形作ったとしている。民衆に英雄とされても、つまり意志に導かれる行為は英雄行為となるのは再びトルストイにおいてであるのが、しかし文豪は過激な平和主義者である。それがスターリン政権で特に戦後の1950年代に求められていた英雄伝でとなる。

しかし、現在問題となっているプーティン政権にはそうした構造的な像はない。それがチェルニアコフにおけるモスクワの重要な受け止め方として歴史的なホールでの難民のような生活態度となる。この場合は東西冷戦の幕が下されてから今日まで、ロシアは西側においてただの負け組とされてしまったことで、その自信恢復へとプ―ティン政権が舵を取ったことになる。

こうした知的な作業を経てこそ、舞台化となる。流石に真面な知能があればト書き通りでそれ以外は読み替えなどと戯けは言わないであろう。制作というものはそういう仕事である。

初日のお昼は郊外のホテルの周りで探したバイエルンのお店に行った。偶々探したレストランで期待したのだが、腹を膨らましただけであった。そもそも日曜日のお昼にこれだけ空いているお店が美味いものを出すわけがない。それでも常連さんがいた。近所の住人なのだろう。居心地は悪くはなかった。但し食したものはただ作り置きを暖めてただけの感じの牛肉の煮込みでしかなかった。繋ぎも重く、塩胡椒すれば余計に味が濃くなるだけのようなものだった。実際に夕方からの初日公演では胃もたれから結構眠くなった。



参照:
露勝利を叫ぶ劇場作品 2023-03-08 | 文化一般
エロさ格別プロコフィエフ 2023-03-07 | 文化一般

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