何気なく図書館の本棚から抜き出した今橋英子東京大学教授(現)の著書(中公新書:2008年)「フォト・リテラシー」に好奇心が刺激された。
フォトは言うまでもなく「写真」である。リテラシーは、「読み書き能力」を意味する用語とのことだが、今橋は報道写真をターゲットにしながら、写真の深層に踏み込んでいく。大雑把に言い換えると、`写真を読み解いていく時に浮かび上がる様相とその課題を論考する`といっていいのかもしれない。
第一章で取り上げるのは、カルティエ・ブレッソンの「サンラザール駅裏、ヨーロッパ広場」、写真に興味を持つ人が誰でも知ることになった「決定的瞬間」という写真にまつわる論考である。
発刊されてから既に16年にもなるこの著書に眼を奪われ、写真の持つ原風景のようなものを改めて考えてみたくなった。図書館の本には書き込みが出来ないので、この新書を出版社から取り寄せた。
こんなことを知ることにもなった。
カルティエ・ブレッソンはブレッソンといわれることを嫌がり、カルティエをつけることを望むとか、決定的瞬間といわれるようになったことで、この写真に対する撮影者自身の言い方が、変わっていくこと、そしてこの鏡のような水を渡る男(飛ぶ男)は、カルティエ・ブレッソンの友人で詩人レイモンド・クノーであることなど、様々な文献を探って解き明かして行き、僕の好奇心もそれに引きずられていく。
ユージン・スミスが登場し、ウイリアム・クライン、ロバート・フランク、エドワード・スタイケン、などなど写真集を持っている写真家が次々と現れる。
ユージン・スミスの「スペインの村」「水俣」へと今橋は踏み込むが、彼自身はスペインの村は失敗作だった感じていたとの論考、その経緯を解き明かしていく。
今橋は、新書でなくては成果を伝えることが出来なかっただろうと`あとがき`で出版社の担当者にお礼を申し上げたいと記すが、巻末の「図版典拠一覧」や「参考文献」の膨大なリストに研究者の心根は凄いものだと感銘を受けた。
ところで気になることがある。
写真月刊誌「アサヒカメラ」2014年4月号のWORLD欄に、「カルティエ・ブレッソンの決定的なまなざし」と題したパリのポンピドウセンターで開催されたカルティエ・ブレッソン回顧展(2014・2・12~6・9)の紹介がされている。そこに「サンラザール駅裏」と題したその写真と共に氏の代表作とされているが、文中にこうある。
「画面いっぱいに広がる水たまり。次の瞬間にはそこに飛び込んでしまいそうな少年が、水面を境にその陰と触れようとしている」。執筆者は村上華子とされているが肩書きはない。
僕がこの誌面を見て気になっていたのは、飛んだのは「少年」だと書かれていたからだ。
今橋の「フォト・リテラシー」を興味深く読んだ僕は、執筆を依頼してこの一文を掲載した編集者は、余りにも有名なこの写真を、どう捉えているのだろうか?と問いたい。