日々・from an architect

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オリバー・ストーンの「もう一つの歴史」

2013-06-09 13:07:16 | 文化考
深夜、何気なくTVのチャンネルを回していたら、NHK・BSのドキュメタリーに眼が釘付けになった。「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」である。

1946年に生まれ、べトナム戦争の帰還兵でもあるオリバー・ストーンは、「プラトーン」や「7月4日」でアカデミー監督賞を受賞した映画監督で脚本家でもある。つい先日録画してあった「JFK」を見て愕然としたのだが、その監督がオリバー・ストーンだったのだ。FJKはアメリカの大統領、ジョン・F・ケネディのことである。

ケビン・コスナーが演ずるケネディ大統領暗殺事件の真実を解き明かすために執念を燃やす地方検事の陪審員に向かって訴える論調に心がうたれた。
思いもがけず陪審員に否決されたものの、公文書館に封印された数多くの資料が50年後に公開されたときに、この論考が正しかったことが明らかになるだろうと言う一言に、でも監督も、ケビン・コスナーもそして僕もその時には生きていない、と震撼とした(いまあることはこのような歴史の積み重ねなのだと)ことと、ケネディが狙撃されたときの様々な映像が取り汲むことができ・広く公開できるアメリカと言う国の姿を想い起こしたものだ。
しかもこの映画は撮影賞・脚本賞も受賞している。多くの映画関係者の心も打った(多分共感した)のだ。

ところで深夜に放映され僕が観たのは「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」シリーズの第7回である。
先代のブッシュ大統領やレーガン大統領の得々たる映像が出てきて、併せてベトナム戦争の現地の人々の悲惨なさまが公開され眼を背けたくなった。
実はかつて何度も見た映像でもあった。
そしてアメリカ政府・大統領は、自国の行為を今まで一度たりとも弁明・謝罪したことはないとのオリバー・ストーンのコメントに、さて!と戦火にまみれた日本はどうであったかと、重ね合わせたりした。

イラク戦争では、核兵器製造がされているとして無差別攻撃そして侵攻したが、その実体はないもののブッシュは遂にそれを認めなかった。レーガンも同じである。日本政府もそれに同調したことがふと頭を過ぎる。

僕は政治に与したくない。考える時間も足りない。でも今の日本の政権の危うさが気にはなっていて、どうもからっとしない。

本稿のタイトルを「アメリカのもう一つの歴史」というアメリカの一文字を入れなかったのは、どこかに日本と重ね合わせたいからだ。
この「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」は、6月13日から三夜連続して第8回から放映されることになっている。

<写真 梅雨の晴れ間での上記一筆。しかし梅雨前線もなく、入梅宣言は間違っていたのではないかと、どうもすっきりしない昨今である>