15年前、母校明大の先輩、六代目宝井馬琴師から相談があり、二人の明大OBと共に世話人を引き受け「明大AアンドB倶楽部・宝井馬琴ビジネス講談の会」を始めた。
6月と12月の義士討ち入りの14日前後の年2回、それが12月15日の会で30回を迎えた。
助っ人として「明大体育会卓球部卒業」の三遊亭小遊三師匠が駆けつけてくれ、賑やかな笑いに満ちた楽しい会になった。
僕の挨拶。
「おかしい世の中になったが、この会が30回を向かえ、こんなに沢山の方が来てくださると、まだまだ日本は大丈夫!」。ぎゅう詰め上の池之端の鰻や‘伊豆榮本店`の座敷が笑顔でいっぱいになった。
前座の琴柑さんの演目は「紀伊国屋文左衛門」。小遊三師匠が乗りに乗って客席を湧かせた後の馬琴師は家康が登場する「鯉のご意見」。
30回記念なので薄っぺらだがコピーによる冊子を作った。そこに書いた僕の一文を紹介したい。
『千代と修羅場』
父がフィリピンのモンタルバンというところで戦死したのは、昭和20年の6月、終戦の2ヶ月前だった。とっくに僕は父の歳を越えたが、13年前、父のささやかな50回忌法要を営んだ。池之端、不忍池に面した料理屋だった。この地を選んだのは、講談の拠点「本牧亭」に近いからだ。
僕も僕の弟や妹も父の顔や姿を覚えていない。ことに妹は母のお腹の中にいたときに父が招集され、生まれたときに父はいなかったし、そのまま帰らなかったので、父は生まれた妹の顔、自分の娘を見ていない。
でも、法要に集まってくれた年上の僕の従兄弟(従姉妹)たちは、微かに父の姿と陽気なその語り口を覚えていてくれて懐かしがってくれた。母も集まってくれた親戚の人たちの思い出話を聞きながら、一言一言に頷いている。この日の主役は母だった。
50年間いろいろなことがあった。でもやっと父を供養できる。23回忌は生活に余裕がなくまだ無理だった。
この日、僕は集まってくださる方々に、馬琴師匠(先輩をさんとは言い難く、講談界の慣わし`先生`と呼ぶのも親近感がなくなる。宝井家の一員のつもりで、師匠とよぶ)の講談を聞いてもらいたかった。その母も2年前に亡くなったが、馬琴師匠の講談が大好きで、時折一緒に本牧亭の定席に出かけたものだ。
馬琴師匠と飲む機会(いつもご馳走になるのだけど)があると、まず師匠の口から出る言葉は「お袋さんはどうしてる?」。
その頃僕は夢中で講談家の高座を追いかけていた。写真を撮るためだ。思い起こすとこのとき既に、「明大AアンドB倶楽部・宝井馬琴ビジネス講談の会」をやっていた。日本の伝統話芸「講談」は僕の生活の一部になっていたのだ。
本牧亭から釈台を借りた。五十回忌が本物の寄席になった。演目は「出世の馬揃い・山内一豊の妻」。主人公は「千代」。
馬琴師匠がこのネタにしたのは、僕の母の名が「千代子」だからだ。講談を聞く機会がほとんどない僕の従兄弟や叔母たちが笑みを浮かべながら、千代の良妻賢母振りに聴き入った。
僕は実は驚いていた。このネタは真打になる前の二枚目が良く高座にかける。よくできた解りやすい話だからだ。
でも違う。馬の市の市井のざわめきが聞こえてきた。宝井家の伝統、修羅場調子のリズムによって、きらびやかな甲冑に身を固めた勢ぞろいした馬揃えの武者の姿が浮かびあがる。そして現れる一豊。一瞬シーとした空気と賛嘆のどよめきが僕たちを包み込んだ。これぞ芸だ。
その8年後、僕は写真展をやった。タイトルは「講談・この不思議世界・高座」。朝日新聞やカメラ雑誌が紹介してくれた。会場にいらした神田派の総師`神田松鯉`先生が食い入るように僕の撮った写真に見入って動かない。力を入れて読み上げる自分の首に浮き出た血管に驚いたのだ。
祝辞と乾杯は勿論馬琴師匠。懇親会には僕が敬愛する建築家巨匠`林昌二`さんが現れ、女性建築家に囲まれてご満悦だったことも忘れない。そこにはニコニコしている母の姿があった。
[おかげさまで30回]
この会もおかげさまで30回、なんと15年を経た。
佐藤満喜さんが十五歳年を取ったと、誇らしさの中に嘆きのような、しかしこれからも馬琴さんを追っかけると宣言した一文を寄せてくれた。
孫弟子が師匠にできた。可愛い(というとセクハラ?まさか!)琴柑さん。ときどき前座をお願いする。
今回も。助っ人として、僕たちの同窓・三遊亭小遊三師匠が駆けつけてくださるのもうれしいことだ。
運営(大げさだ)。沼田さんや市川君という吾が母校明大のOBが僕と共に世話人として役割分担をしている。でも主役は出かけてきて楽しんでくださる皆様方だ。2回参加して下さった村山富市元首相が毎回律儀に一言コメントを書いて送ってくださる。
でも本当の主役は無論馬琴師匠。この会をとても大切にしている。
校歌を肩を組んで歌う。その音頭とり。さて今回は誰がやってくれるのだろう! 裏の主役?僕ではない。リストを整理してはがきを出してくれる吾が妻君だ。そして鰻の老舗伊豆榮あってのこと。
この会はチームワークの賜物。それがうれしい。
<写真 「馬琴と修羅場を楽しむ会」第一回のチラシ。馬琴師が還暦になったとき、宝井家の伝統、武士の戦いの様を読む「修羅場」を伝えたいとはじめたこの会も僕がコーディネートし、20回ほど開催した。>