日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

やむを得ず「東京中央郵便局」 書きたいことは沢山あるのだけど!

2008-12-14 10:01:15 | 建築・風景

書きたいこと、書いておきたいことは沢山あるが、経済界の状況がおかしく、政界も`うんざり`と言いたくなる異様な事態。今になって始まったことではないと思いながらも、文化論を書いていていいのかと逡巡する。
財界も政界ともほんの少し前までは無縁だと思っていたが、どうもそのどれもが、身近な事態に直結している。やはり黙ってはいられない。例えば「東京中央郵便局」。

まだ千代田区の都市計画審議会も、都の景観審議会、都市計画審議会が行われていないのに、施工業者が入札で決まり、VE・技術提案までなされている。本来各審議会で様々な検討がなされ、それを設計に反映させる、そのための審議会なのではないのか。郵政は不備が指摘されても意に介せず11月4日に解体告示が現地に掲示した。12月5日からアスベスト撤去工事が始まり、引き続いて解体に入るという。
千代田区では、総務委員会の要請によって、都市計画審議会等でのこの問題での審議がなされていないので解体を見合わせるよう郵政に申し入れる事態となった。

更に気になることがある。
東京建築士会の機関誌「建築東京」11月号に、設計概要が記載された。ほんの一部を保存、残りをすべて解体し、その一部をレプリカで再現する。そして超高層を建てる。それで日本の建築の歴史を刻んできたこの庁舎の価値を保存・継承したのだと、郵政サイドがとくとくと述べているのだ。

日本郵政、不動産企画部次長のS氏は、全て解体すればコストを抑えて斬新なデザインの建築に生まれ変わることが出来たのに、保存に要するかなりな費用を費やして保存し、次の100年に歴史的価値を継承したと力説する。K氏の「巨星落つ、されど光は消えず」。なぜ光が消えないのか、僕にはわからない。

区の審議会では、この建築のあり方を検証するために設置された「歴史検討委員会」の意向を受けて決定したと、会場の聴講者や議員からの質問に、郵政や関係者が答えていることだ。そのような見解表明した歴史検討委員はいないのに。ではと、その歴史検討委員会の報告書を公表するように求めると拒絶する。これはいわゆる偽装だ。何とも情けない。

僕たち「東京中郵を重文にする会(略称)」では、国会請願をするなど頑張っているが、今の時代、これでは日本の社会が壊れる。
審議会で答えるのはなんと、「建築東京」記事と同じく、郵政(旧逓信省)を率いてこれらの秀でた建築群をつくり上げた先達・建築家吉田鉄郎の後輩たちというのがやりきれない。恥ずかしいいことだ。僕のこの発言は、ぼやきでなく「怒り」だ。

こういう状況の中で、微笑ましくグッと来たのがテレビで放映された「ノーベル賞」の授賞式。異例だというが、送呈者が日本語で祝辞を述べた。会場が暖かい空気に包まれたのが画面から伝わってくる。報道したアナウンサーも述べていたが、単なる演出ではなく、日本の科学者に対する尊敬の念と、スエーデンのゆとりある奥深い伝統の賜物だとおもった。
日本の奥ゆかしい伝統はどうなってしまったのかと、溜息が出てくる。

土曜日の夜。神田駿河台から帰ってきてこの一文を書き継いでいる。母校明治大学で行われたシンポジウム「風水思想と墓地・東アジアの隠宅風水」に参加したのだ。懇親会で大勢の文化人類学の研究者と親しくなる。このシンポをコーディネートした首都大学東京の渡邉欣雄教授や院生たちと、来週沖縄に行くのだ。隠宅とは墓のこと、墓のあり方が変わりつつある。時代が変化するのだ。

「風水」。人の生き方と自然環境を考察する風水研究。人に眼を向けず、マネーに犯された今の都市(中郵の存在を!)を、沖縄を歩きながら視点を変えて考えてみたい。

<写真 初冬の東京>