紅葉が真っ盛りなのに暦の上では初冬になった。時が移るのが早い。
小町通からちょっと入った路地に、僕のお気に入りの店「ミルクホール」がある。鎌倉好きには知られている店だが、mさんもMOROさんも行ったことがないという。しめたと思った。僕しか知らない。何だかうれしい。小町通の人混みを掻き分けて案内する。
古い町屋に手を入れ、小さな骨董店を併設した小さな店。ミルクホールというネーミングがいい。ハヤシライスやカレーライスなどにコーヒーや紅茶にミルク。
席があった。僕とMOROさんはカレー。美味い。福神漬けもラッキョウもない。ないのにこんなに美味かったかと驚くほど美味い。
mさんは無言でもくもくとハヤシライスを味わっている。美味いだけでも案内した僕は自慢したいのに、木枠の窓から注ぐ光が穏やかだ。この光と影を味わう空間。建築だ。
僕が引っ張って行ったのは市役所の向かいにある武基雄の設計した「鎌倉商工会議所」。四角い箱を4本柱上のピンで持ち上げたシャープな建築。地階にある僕の好きなホールを覗かせてもらう。ここで近美のためのシンポジウムを2回やったのだ。
切れのある造形と共に、この小さなホールを観れば、建築家武基雄の建築感、真髄を読み取れると思うのだ。MOROさんは言葉を発しないが、彼に見せたかったのだ。
そしてかつて保存のために活動をした「御成小学校」。先生に率いられたサッカーの試合をやる二組の小学生チームがウォーミングアップをしている。校庭をぐるぐる走りながらの掛け声にぐっと来た。可愛いのだ。
ここから歩いちゃいましょう、というmさんに案内してもらったのが洋館・鎌倉文学館と吉屋信子邸。木造平屋の作家吉屋信子邸の枠や梁型が太い。
繊細なハッカケを駆使して日本の近代数奇屋を築いた吉田五十八の持つもう一面が見えてくる。大磯に建つ旧吉田茂邸や、上野の日本芸術院会館の骨太に通じる吉田五十八の美意識だ。
吉田五十八らしいのが、白く塗り幾何学的な形を張り合わせた天井の目地の銀箔貼りだ。でもなんとなく釈然としないまま歩き始めて、裏庭に面した書斎のモノトーン空間が心に残っていることに気がついた。
机の上の天井にフラットに設けられたトップライトから光が落ちる。書斎だから書物に埋まっていたことはなかったのだろうか。心に残ったイメージは虚空間だ。
しかし撮った写真を見るといささか人臭い。オヤと思い骨太は五十八の美意識だけではないかもしれないと考える。日本伝統対峙の五十八の回答なのかもしれない。僕の心が揺らぐ。
ぎゅうぎゅう詰めの江ノ電を江ノ島で降りて、タクシーに乗る。次はMOROさんだ。そしてカルチャーショックを受けることになった。
扉を開けガラス越しに右手の部屋を見たMOROさんの身体が固まった。いる、森次晃嗣が!ウルトラセブン、モロボシ・ダンだ。
といわれても僕にはピンと来ない。敵と戦い、学習院ピラミッド校舎が壊れ、次の回ではなんと壊したはずなのに建っていたというピラミッド校舎のエピソードしか知らない。そのウルトラセブンがいるのだ。
その森次さんのカフェ「JOLI CHAPEAU」でコーヒーを飲みながら僕は考える。少なからずショックを受けながら。
小学生だったMOROさんにはウルトラセブンがいた。そのウルトラセブンが、なんと三十数年間MOROさんの人生に居座っているのだ。
呆然としている彼の顔を観て唖然とし、なぜか笑うどころか考え込まされた。
MOROさんが云った。演じたモロボシ・ダンこと「森次晃嗣さんは、僕にとっては=ウルトラセブンなのだ」と。MOROさんは、ウルトラセブンに逢っているのだ。「西の空に、明の明星が輝く一つの光が、宇宙に飛んで行く」(MOROさんのブログから拝借)。
解る。だが!僕にはウルトラセブンがいないのだ。
ショックを覚え、ショックを覚えたことでショックを受けた。
純だ。もしかしたらそこに単が付くかもしれないが(失礼!かな?)MOROさんが繰り返し言う「正しい道を歩こう。列を乱すな」。札幌の建築家、上遠野徹さんが講演会で述べた`F・L・ライトに学んだ田上義也のコトバの意味がしみ込んで来る。
でも僕は相も変わらず考え込むのだ。
緊張のあまり強張った顔で森次さんと記念写真を撮っているMOROさんを見て、僕は思わず微笑んだものの困惑した。僕とも握手をしてくれたウルトラセブンの掌は暖かかった。
おや?この笑顔、観たことある!
<写真 旧吉屋信子邸書斎>