我が家の壁のどこかに必ず掛かっている絵がある。
居間のメインの壁だったり、僕の部屋の机の前の狭い壁、玄関、細君(愛妻に愛妻はやめてと言われたので悩んだ。暫定的に細君と書いてみる)のベッドの脇の壁、何処にかけても存在感がある。今は・・・トイレの壁だ。
額縁は桜三角と言う最も安いもの。これが妙に似合う絵だ。何だ、それじゃあ面白くないや、といわれそうだけど、描いたのは僕の娘。幼稚園のときのクレヨンと水彩絵の具で描いたガジュマルとゴムの木だ。
木の幹がなぜかやけに太い。小さかった娘の感じ取った幹なのだ。緑で一気に書いた葉っぱには勢いがあり、ゴムの葉には緑と渋いブルーが大胆に塗られている。バックが水彩絵の具の黄色だ。
このタッチでは僕は描けない。
作意のない絵は大人には描けないと言われる。そして画家の一見子供風の絵でも、感性を修練によってつかみ取り、それを作品として昇華させたのだという。描けるのだ。技術の修練もしたし時も受け留め得たから。だから子供の絵みたい!と言われても、到底子供には描けない絵なのだという。
そうだと思いながら、でもこの絵を見るたびに不思議感に襲われる。なぜ黄色なのか。でもほかの色ではたぶんこの絵は成り立たない。どうして複雑な葉っぱの重なり合いをこんなにあっさりと省略して描いたのだろう。こういうふうにしか描けなかった。技術がないから。そうなの?と言われても娘は困るだろう。もう大人だから。
でも、このガジュマルとゴムの木を見るたびに、子供の面白さと、だんだん大きくなっていく様に刺激された好奇心がふつふつと沸いてくる。それは今でも変わらないのだけど。