日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

愛しきもの(6)うれしいグランドセイコー

2008-07-20 12:55:39 | 愛しいもの

40年ほど前に買ったキングセイコーが1年前に動かなくなった後、ちょくちょくヨドバシカメラの時計売り場を覗いては溜息をついていた。僕が見ていたのはGS・グランドセイコーだ。そしてついに買っちゃった。

`ちょっと見てよ`と妻君を誘い出した。ささやかな作戦。しょうがないと呆れ顔の妻君が、こっちだね!とにやりとしたのは、淡いアイボリーの文字盤のほうだ。9f61というシンプルなベーシックなスタイル。もう一つの8j55は少し薄いが文字地盤が白い。僕の好みと一致した。
説明をしてくれた店員の、柔らかい口調でクオーツであっても秒針の美しい動きを実現する`ひげぜんまい`の説明をしてくれる顔がいかにも嬉しそうだ。セイコーの人なのかもしれない。
機械式時計の人気が高くぼくも幾つか持っているが、使っていないと留まってしまうのが困る。だから今の僕はクオーツ党だ。とは言っても引き出しを開けて秒針が動いているのをみると、健気な気がするものの人気(ひとけ)のないところでも密やかに動いているのが気味悪かったりもする。

グランドセイコー(GS)愛用者カードに○をつけていて、僕の生きかたを確認した。
問いは幾つかあるが、例えばこの時計を購入した時の考えや気持ちについてどの程度当てはまるかを知らせて欲しいとあって、非常にそう思うから、そうは思わないまで5段階の欄に○をする。
セイコーのブランド時計GSを、メ-カーのセイコーウオッチがどう位置付けているのかと言うことと、時計メーカーとしての「文化」の捉えかたが見えて、その質問構成が面白かった。
「僕が非常にそう思う」にためらわずに○をつけたのが幾つかあるが、例えば「腕時計を自己表現の一部と考えた」、それに「機能や造りにこだわりのあるものを選んだ」などで、そうは思わないに○をしたのは「製品についての周囲の評判を重視した」である。

「個性的なデザインであることを選んだ」という項目の「個性的」と言うコトバにはちょっとためらった。僕が欲しいと思っていて手に入れた9f61は、いま流行の「個性的」とはいえない平凡とも言えるデザインだからだ。
でも僕は、これがグランドセイコーのコンセプト、ベーシックなスタイルで、不朽のデザインだと思った。一見平凡だがいや実は非凡、並ではない。それが研磨職人の手仕事でつくられたりゅうずガードを持つ9r65になっていったのだ。

東京中央郵便局をつくった建築家吉田鉄郎が「平凡な建築をたくさんつくりました」と晩年に述べたコトバと重ね合わせたりした。平凡の裏にメーカーと職人の信じられないくらいの「ものづくり」へのこだわりがあるのだ。キングセイコーが動かなくなって、次はこれだと思った時計。GSの中では安価で買えなくもないと思ったのだ。
しまってあるキングセイコーを取り出して並べてみた。GSは更に洗練されている。つけてみて改めて感じた。品がある。うれしいものだ。

次の項目も興味深い。
「周囲の目を気にせず、自分らしく生きたい」。うーん、自分らしくとは何か?と考えてしまうが、まあ「非常にそう思う」だ。
そう思わないの項目、「人がうらやむような豊かな生活を演出したい」。「演出したい」には思わず笑ってしまったが、非常にそう思う人が世の中にいるということなのだろうか。
ちょっとためらったのでややそう思うにしたのは、`知的で上品な生活がしたい`と、`洗練された華やかさのある男性でいたい`だ。
「知的で上品な生活がしたい」などとは全く思っていないのに、「やや」とはいえ○をしたのは、泥臭さに憧れてはいるものの、それに徹しきれないので、ではこちらで!という思いがあるからだ。泥臭く、生々しくなければ撮れない写真がある。何を捨ててもどうしても撮りたいという写真がある。『建築』ではなく写真なのに溜息が出てくるのだが・・・
「洗練された華やかさのある男性」。そうだなあ。しかも謙虚でね、大らかで格好いい男。ないものねだりだけど。GS愛好者の生活観・人生観は多分そういう男たちだ。

まったくね、しょうがないねえ、と妻君と娘が頷きあっている。こういうときの母娘はやけに仲がよくなる。ものにこだわるのが「わからん」というのだ。そうかなあ!と僕はぶつぶつとつぶやく。お前たちだって着るものにこだわったりするじゃない。でもお金を掛けないか!
ところで、僕のGSは僕に似合っているのだろうか?