日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

長崎・天草紀行(2) 空路・天草エアラインと航路

2008-07-13 21:46:24 | 日々・音楽・BOOK

東京から天草へ行くのには、羽田から長崎の大村空港へ飛び、バスで市内を経由して茂木まで行き、フェリーで天草下島の富岡に渡る航路がある。もう一つのルートは、熊本空港経由で天草五橋を車で渡るのだが、馴染みがあるのは実家のある長崎のルートだ。
ところが和正君は、福岡へ飛んで天草エアラインに乗るのがいいと電話で言う。娘が帰ってくるときのルートなのだそうだ。なんと天草に空港があるのだ。気がつかなかった。

旅の目的は三つだ。
一つは、僕が小学生時代をすごした下田村(今は天草市天草町下田北だが僕にとっては下田村だ)を訪ね、僕の住んでいたところを歩いてみたい。そして旧友と酒を酌み交わす。下田が変わってしまったことは聞いているし小学校が無くなったことも知っているので、ノスタルジイを満たすというより好奇心のほうだ。村が市になるのというのはどういうことなのだろうかと?
二つ目は建築を観たいのだ。何だか情けないような気がしないでもないのだが、建築家の性(さが)のようなものかな。熊本県には「後世に残りうる優れた建築物をつくり、地域文化の向上を図る」という熊本アートポリスプロジェクトが進行中で、天草にも建てられた気になる建築がいくつかあるのだ。
それに「大江の天主堂」や、なぜか今まで観る機会のなかった隠れキリシタンの里に建つ「崎津の天主堂」もある。
そしてもう一つは、長崎の我が家の墓におまいりし、原爆資料館を見て、隈さんと日本設計のつくった県立美術館と黒川紀章さんの市立博物館を見る。
書いていて思う。これでは僕と旅するのを妻君(細君の当て字だそうだが)が嫌がるのももっともだ。何だか建築ツアーっぽいではないか。

天草エアライン(AMXという)は楽しかった。
福岡―天草便が主で日に4便(9月から神戸にも1便飛ぶことになり、3便になってしまう)熊本―天草が2便、何故か松山―天草というのがあって1便。それを一機で飛び回る。機体の整備期間(3日間ほど)は全便休航してしまうという素朴なエアラインだ。
飛行機はボンバル社(本社がカナダの世界3位の航空機会社)が製造したDASH8-100という39人乗り双発のプロペラ機。立ち上がると頭がつかえそうになるが、ちゃんとステキな客室乗務員(スチュワーデス)もいる。窓から車輪が見えるのもうれしい。

空港に和正君と一視君、それに豊子さんが迎えてくれた。そうだ彼らに会いに来たのだ。観光旅行に来たのではない。それは福岡空港でも感じたことだ。
羽田からの飛行機を降りると「天草に行く人はついてきてください」と案内の女性が現れる。待合室に集まった人々をみると里帰りの人ばかりのようだ。かつての「船」(まだフェリーではなかった)に乗った人たちと同じ匂いがする。僕もその一員だとふと思った。違和感なく、昔の船旅を思い出したからだ。

長崎中学に入り時折帰郷した中学時代、長崎から富岡港に降りバスに乗ると、天草弁が飛び交い、どこかで見たような顔に出会ったものだ。天草エアラインもあまり変わらない。那覇空港で宮古に行く飛行機に乗り換えるのとは趣が違う。天草は観光の島になったのではないのかとふと気になった。

「ボンバル社」。聞いたことがある。昨年のその前後、ボンバル社製の飛行機事故が多発し、安全性が問われていた。「予定通り運行するのかどうか気になっていた」と和正君は絶好の晴天を見上げて笑った。ちょっと気になるとすぐに運休して点検をするそうだ。みな歳を取ったが笑っているうちに小学生時代に戻った。

さて三日後、富岡港からフェリーに乗って茂木経由で長崎に向かった。普通のフェリーだ。
55年前、長男の僕は母に見送られて大都会の長崎中学に入学するために船に乗った。狭い階段を下りると畳敷きの船室があって、担ぎやのおばさんたちが寝転がっていた。長崎の市場に向かうのだろうか。船酔いで苦しそうに吐く人もいる。
板張りの甲板では大勢の大人が車座になって懸け将棋が行われていた。何か手品のようなことをやってお金を巻き上げる人たちもいた。香具師(やし)ともいえない、香具師崩れ。貧しい天草の人から巻き上げる金なんて些細なものだったのではないかと思うが、その光景を忘れ難いのはなぜだろう。
13歳だった僕の「都会」という、異空間へ向かう途中の大人世界との初めて出会いだったからなのかもしれない。天草に観光に来る人なんていない時代の航路物語だ。

船とバスの時間がリンクしていて、フェリーを降りるとあまり待たないでバスが来る。それはありがたいが港町が閑散としているのが気になった。お店もない。バスに乗って走り始めて気がついたが、神社がある。港には必ずある海の安全を祈る神社だ。茂木は名だたる「枇杷」の産地だ。歩いてみるのもいいものかもしれない、と瞬間思ったが神社はあっという間に消えた。