日々・from an architect

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韓国建築便り(8)近代建築保存についての国際シンポジウム

2008-03-02 17:26:36 | 韓国建築への旅

そもそも!10月(2007年)の旅は、27日に行われた韓国、中国、日本の三国による、シンポジウムに参加するためだった。テーマは(主題)は、「東北アジアの近代建築保存と展望」である。
簡単にシンポジウムの概要を伝えようと思っていたが、4ヶ月を経て振り返ってみると、このシンポは三国の交流にとっても、建築の存在を検証する上でも、また僕自身の軌跡を振り返る時にも、とても大切だったと考えるようになった。あまり理屈っぽくならないように気をつけながら、2回に渡って報告することにしたい。

開催趣旨はこのように書かれている。
『最近急速な経済成長と都市開発で、東北アジアの都市は急変しており、近代遺産は消滅の危機に直面している。韓国は、2001年登録文化財制度の導入以後、近代文化遺産に対する認識が高まっている。しかし、地域均衡発展、ニュータウン,再開発などによる人為的消滅の脅威が加重されている。
先経験を持つ日本や、今現在中国も開発と保存の均衡と調和において、類似な悩みを持っている。近代における多様な遺産をどういうふうに保存・活用し、経済的成長をなしつつ、持続可能な歴史文化都市の未来を準備することができるか?韓・中・日3国の専門家が顔をあわせ、互いの経験と情報の交流を行い、正しい方向を模索する』

会場は、ソウルから車で南へおおよそ1時間くらいの龍仁市(Yong In)に設立された壇国大学竹田キャンパスである。
壇国大学(Dankook University)は、設立60周年にあたって、新しくキャンパスをつくり、建築学科(ここでは建築大学という)などがソウルから移転した。このキャンパスは龍仁市竹田地域を眼下に見下ろす高台に建てられ、盆唐線(地下鉄・鉄道)の竹田駅が新設され12月に開通するとパンフレットに書かれているので、既に開設されていると思う。今後壇国大学が町のシンボル的な役割を担い、町や韓国の教育界に於いて大きな役割を果たしていくことになるのだろう。

このシンポはそれを記念して開催されたのだ。主催は壇国大学とDOCOMOMO Koreaである。Dean(学科長というより実質的に建築大学長という立場)に就任された金正新(キム・ジョンシン)教授がDOCOMOMO Koreaの代表なので、この企画がなされたのだ。

金正新教授の挨拶の後、DOCOMOMO Koreaの前代表(創設時)金晶東牧園大学教授が基調講演をされた。会場に詰め掛けた学生に語りかけるような口調だ。
ハングルなのだが、僕の隣に座った尹(ユン)教授が概要を小声で伝えてくれた。
・これまでは日本の植民地時代の建築についてなど、国内を考えることで勢一杯だった。特に朝鮮総督府問題では親日派ではないかと批判されるなど、様々なことを言われた。韓国の場合は植民地時代の問題を抜きにして建築の保存を考えることは難しいが、世界各地を廻ってきて、今ではそれを乗り越えて、アジアの中での建築を考えて行かなくてはいけないと考えている。
・ソウルからここへ来る車中すざまじい開発の状況を見て恥ずかしい思いをした。今の若者は変な形に興味を持っているようだが、先達の培ってきた近代建築の基本を学ぶことが必要だ。正新先生による壇国大学が新しい時代を創っていくと楽しみだし、期待している。

中国からは、上海の同済大学建築、都市計画科シャ ユンジェ副教授が、「中国上海の都市開発と都市景観」について英語で講演し、韓国を代表して、ジュ スギル延邊科学大学副総長が「延吉市の変遷と近代遺産」と題して、ご自身の研究成果をハングルで報告された。

僕はまず、鈴木博之DOCOMOMO Japan代表のメッセージを代読した。「アンニョンハセヨ」からスタートし、「チョヌン、カネマツラゴハムニダ」。これは洪さんに教えてもらったのだ。
僕の主題は「日本の近代文化財保存運動の成果と課題」である。
「私は貴重な経験をしています。数年前になりますが、DOCOMOMO Koreaの設立総会に招かれてお話しした折、会場から近代建築史を研究している学生さんに、日本統治時代の日本人の設計した建築(の保存)をどう考えているかと質問され、答えに窮しました。この質問によって、建築が社会的な存在であることと、建築の持つ重さに震撼としたのです」
僕の講演はこの一節から始めたのだが、これは僕が建築の存在を考え、保存問題に取り組むときに、常に感じる命題なのだ。<つづく>

<写真 檀国大学竹田キャンパスと町>